一生忘れられない一夜…

続きです…

訪問看護ステーションに電話したのが午前1時40分頃でした。12日は土曜日だったので、夜勤看護師さんはお一人しかおらず、うちに来れるのが30分後位になると言われたので、お待ちしてますと伝え電話を切りました。

葬儀屋さんも到着するのは1時間後との事でした。実家の2階には母の妹夫婦が住んでいます。内線を使い、叔母にも亡くなった事を伝えました。叔母はすぐ下に降りてきてくれました。

母…叔母にとっては姉の元へ行き、「お姉ちゃん…」と声をかけました。叔母と私で昔の話から今までの事を泣きながら話しました。

看護師さんが来てくださり、母の処置を丁寧にしてくださいました。「お綺麗なお顔ですね、在宅医療になさって良かったですね。病院だと点滴してしまうから、亡くなる寸前は溺れた様に苦しくなるんですよ。その様な方に比べたら本当にご自宅で最期をお迎えになったのは正解だと思いますよ。」と言ってくださいました。

自宅で死にたい…母がそう望んでいると父から聞いた事が、私の頭のなかからずっと離れませんでした。母の望み通り自宅で最期を迎えられた事は良かったと思っています。

看護師さんが在宅医療の主治医の先生に連絡してくださり、処置を終え帰られた後は、父と兄と叔母と私で思い出話をした。その時の時刻は確か午前2時30分頃。皆寝ることなんて忘れてしまうぐらいに話に夢中になりました。

午前3時15分頃に主治医の先生が来てくださいました。母の元に行き、死亡確認をしました。「○○さん、お疲れ様でした…」そう言いながら先生はお辞儀をされました。

よくドラマで観る光景が私の目の前で起きていました。瞳孔を見たり…。先生には死亡届を書いていただかないといけなかったので、リビングにお連れし書いていただきました。死亡届を初めて見た瞬間でした。

主治医の先生はとても明るく素敵な先生で、母もリウマチを患ってから、かなり信頼を寄せていました。在宅医療になってからも訪問診療をしていただき、いろんなアドバイスをくださいました。先生には本当に感謝しています。

先生も帰られ、後は葬儀屋さんが到着するのを待つだけでした。その間も4人の会話は続きました。

午前3時45分頃、葬儀屋さんが到着しました。リビングに通し、葬儀の簡単な打合せをしました。夜中の勤務の方が来てくださいました。朝の8時に日勤の方と入れ替わるので、その方が今後担当者になると教えてくださいました。午前11時頃に担当者の方が打合せに来る事になりました。

午前4時過ぎ、葬儀屋さんは母が眠る部屋の前で手を合わせ部屋に入りました。もう一人の方も部屋に入り、母の遺体を袋に丁寧に入れてくださいました。遺体安置所に移動するのです。

寝静まった時間、まだ暗い早朝に母は寝台車で長年住んだ自宅を離れました。

つづく…

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