「言ったって理解できないもの」でも、相手に伝える意味。
先日、障がいデイサービスの中で利用者さんとニットの帽子を作りました。
自分で糸を選んで編んだニット帽をかぶってご満悦の利用者さん。
皆に見せてまわって、私の横に戻ってくると、色々質問をしてきました。
「ねぇ、この帽子の端っこがくるんてなるの、
これくるんてならないようにできないの?」
「くるん?ああ、編み終わりが少し裏返ること?」
「そう、これ真っすぐに出来ないの?」
「ここか~。うん…。多分出来ないね。
編み物って伸びたり縮んだりするでしょう。
縮む力があるから丸まってしまうんよ」
「これ真っすぐにしたいなぁ」
「真っすぐかぁ。そうだねぇ、たぶん…
真っすぐにしようとすると、伸びることが出来なくなって
頭の形にフィットしなくなると思う。そうなると、
付け心地も悪くなるよ」
「そっかぁ。じゃあ仕方ないんやな」
「そうやね。他にも方法はあると思うけど、ちょっと手間がかかるね」
とっても技術的な質問。私も悩みながら、こういうことじゃないかなぁと返しました。
それを聞いていてある方が疑問に思ったようです。
「利用者さんにそんなの説明しても分からないし意味がないのに、
どうしてそんなに説明するの?」
子供が難しいことを色々質問してきて「言ってもあんたにはまだ分からないよ!」て返したい気持ちと一緒ですよね。
子供ならそのうち理解してくれるかもという期待があったりしますが、身体が大人の利用者さん達には「言っても無駄なのでは」という気持ちになりやすいのだと思います。
凄く分かります。私も子供に言っちゃう時あるから。😅
でも先ほど書いた会話では、そうはしてないんですよね。
それはもちろん、福祉的には「分からないと決めつけて話さない」とか「人と人の対話だから」だとか、「話してみることで次の支援に繋がることがあるから」だとかあると思うんですが…
そういう大義はあると思うんですけど、実際のところ私が考えているのは
自分が嫌な気持ちになりたくないから。
正直、私も聞かれて一瞬「面倒な質問だな」とは思ったんです。
「今それしてくれって言われても出来ないし、どうやって断ろうかな」とか。
でもその「何とか諦めさせるように」とか「面倒くさい~」とか、
「どうせ分からないでしょ~」とか考えて話してると、お腹の辺りに
すごく嫌~な気持ちがたまりません?
それだったら説明をがんばる。「どうやったら分かってくれるかな」って考えた方が、心が楽なんですよね。だから私自身も「なんでやろ?」と考えながらそのまま説明しました。
おかげで私の心はすっきり晴れて、嫌な気持ちにはなっていません。
超打算的!🤣
でも、アクションを起こす気持ちは、なんでも良いと思うんですよね。
ここで「言っても分からないよ~」で終わらせるよりは、会話した分、きっかけは増えると思う。
もし話したところで相手には分からなかったら、それはそれでいいと思うんです。「そっか~分からなかったか~」以上のことも以下のこともありません。
「次はもうちょっと説明できるようになろう」と思ったなら、勉強したらいいんです。ほら!私にも「勉強しよう!」という良いきっかけが出来た!
その後、その利用者さんは「次は何を作るの?」とものづくりの意欲が高まっているようです。
「言ったって分からないことを聞いてこないで~」と困っている皆さまの心が軽くなりますように!