だらっとした「場」としてのオンライン、あるいは「会う」のグラデーション化
※いつも通り投げ銭方式です
こんにちは、こばやししょうたです。
この土日に「LocalCraftMarket」というイベントをRemoで実施した中で考えたことをまとめようと思います。イベントレポートというよりは考えたことのメモなので、レポートは他の記事を参照してください。
LocalCraftMarketとは?
だらっとした場としてのRemo〜ミテモの場合
今回のRemoの活用や、ミテモ内でオンラインオフィス的に利用しているRemoの活用を通して、このサービスは「だらっとした場」として活用することが一番いいと感じています。
ミテモでは3月末にはフルリモート化していき、すでに1月半以上の日数が過ぎているわけですが、相当早い段階で「雑談がないこと」への懸念を感じていました。そこでテストプレイ的に、中学時代を思い出してまずは「さぎょイプ」ならぬ「さぎょZoom」を導入。
とりあえずZoomにつないで、適宜ミュートにしながら仕事をする。作業音や雑談を楽しむためのツールとして取り入れてみたのですが、これが結構うまくいきます。なんだか集中できないときも人の目があれば集中できたり、雑談をちょっと挟めば気分転換になったり、そこから新しいアイデアがうまれたり。とにかく「なんとなくつながっておくオンラインの場」を用意することのメリットを感じた取組みでした。
しかしある程度続くと今度はリアルなオフィスの機能と比較してZoomに足りないところに目がいくようになります。例えば、オフィスでは「ちょっと会議行ってくる」というやりとりを頻繁に目をするわけですが、あれって「誰がどんなプロジェクトに関わっているか」を暗黙的に理解するとても重要なやり取りの一つですよね。
リモートで働くとこういう、暗黙的に共有される情報がなくなり、手に届く範囲の情報だけで仕事をする必要がでてきます。すべて明文化すれば、それでいいかというとそうでもなく、結局必要ない情報は取りに行かないので、オフィスでの遠くでのやり取り、みたいなグレーゾーンのコミュニケーションが重要なんです。
これがRemoだと、まずは入ってみると、あちらのテーブルではミーティング、あそこは黙々と作業、あそこは雑談しながら、みたいになってるので、自分のそのときの気分にあわせている場所を選べます。ちょっと声をかけたときも、「じゃあ隣のテーブルで」と移動すれば他の人への影響も少なく、かつ周りには打合せが始まったという情報がシェアされる。結果として今のミテモでは、「さぎょZoom」を経由して今は「さぎょRemo」が中心になってきています。
だらっとした場としてのRemo〜LocalCraftMarketの場合
元々Remoは、ぼくの中ではその移動の自由さからワークショップ界隈で人気になっていた印象です。確かにZoomと違って参加者が自由に行き来できる在り方は、パット見「ワークショップ」の光景似た状況が再現できそうです。
しかし「機能として移動できること」と「実際に移動が生じること」には大きなギャップがあります。実際はテーブルに急に入っていくのは勇気がいるし、入っても話しかけにくいし。結局ネットワーキングタイムとしてはあまり機能しないわけです。
今回のLocalCraftMarketの場合、2日間合計8時間開きっぱなしのオンラインの場としてRemoが機能しました。そのためそれぞれの参加者は、20分くらいでざーっと会場を見て回ってかえってくることもあれば、各ブースで深く話しを聞きながら楽しんでみたり。あるいは各テーブルの空きテーブルに入って少し遠くから様子を伺ってみたり。
そういう意味では、Remoはマイクとカメラをオフにしておけば、テーブルに入っても「入ってきた感」があまりないのがとてもいいです。マーケット的な利用なら、ぼくのようにあまり話したくない人はそっと出入りができるし、ワークショップ なら、Zoomと違ってファシリがドーンと入ってくる感じが弱い。
そしてそこから発展して、Remoでイベントをやるときはテーブルを埋め尽くさないほうがいいですね。それぞれのテーブルに入ること自体がかなり勇気がいるので、まずは全体を俯瞰するために「とりあえず空きテーブルに逃げる」ためのデザインが非常に重要だなと感じました。
こんな風に参加の方法にグラデーションがとれるRemoの良さは、長時間のイベントでこそ真価を発揮するのではないか、そしてテーブルの配置でその仕組はデザインできるのではないか、というのが2日間やってみた最初の気付きでした。
リアルな場の聖地化と「会う」のグラデーション化
もう一つ、LocalCraftMarketをやって思うのは、オンラインでは簡単に繋がれるからこそ、つながった先が「聖地化」する特徴があるなということです。「聖地化」という言葉は6curryさんにインスパイアされているのですが、オンラインで気軽に会えるからこそオフラインの価値が上がる。そしてこれを突き詰めると「場所」の価値が上がる。これは言ってしまえば各所の「聖地化」に繋がります。
例えば、今回のLocalCraftMarketでは、「Local」とうたうくらいなので、日本全国から出展者さんが参加しているのですが、参加者からの声で圧倒的に多いのは「出展者さんの場所に行ってみたくなった」ということだったんです。
これは自明ですが、オンラインになればなるほど情報をデジタル処理するわけなので、ぼくらが生きているこの豊富な情報を持つリアルと比較して、情報量が落ちてしまいます。例えば匂いとか。音からくる振動とか。もっといえば「空気」が届かない。それはみんなわかってる。
だからこそ、オンラインで会えば会うほど、リアルに出会いたくなる。これによってリアルの希少性が上がるため、リアルは「聖地」になっていく。こんな特徴がオンラインの場にはあると感じました。
そしてまた「会う」にグラデーションがつけられる世界になっている点も特徴です。
これまでは「どのように会うか」の選択肢が基本的に対面しかなかったわけです。正確にはオンラインの選択肢はあったけれど、むしろ親密な人とのコミュニケーションとしてオンラインが選ばれていました。友達とはLINEで電話するけど、初対面の人といきなりLINEで電話するのはちょっと怖い。何度かテキストでやり取りして、じゃあ会います?となるのがこれまでのコミュニケーションだったわけです。
つまり「まずは対面で」が基本の世界。それがこれからは「まずはオンラインで」よければぜひ「対面で」に変わっていく。
今回これだけ変わった世界で、オンラインの場に「遊びにいく」ということが普通になりました。オンライン飲み会にジョインしたり、オンラインイベントに参加してみたり、顔も名前も知らない誰かとオンラインで会うことが日常化しました。これによって、これまでむしろハードルが高かったオンラインでのコミュニケーションのハードルが一気に下がったわけです。
そのため、「まずはオンラインで」。そして徐々にリアルの価値が上がったところで、次は「対面で」「聖地で」という流れが今後基本になっていくのだろう、というのが二つ目の今回のイベントを通しての気付きでした。
一方で、面倒なことを言えば、どう考えても二度と満員電車には乗りたくないけれど、「移動」が持っていた力は絶大だし、その「スキマ時間」が持っていた力も大きいと感じています。例えば友達と話した帰り道。改めて話した内容を何となく思い返していたら、ふとアイデアが浮かんだり。リモートの社会で「どこでもドア」を手に入れたぼくらが手に入れたのは簡便さだけど、便利になったことで失ったものがあるはず。そこについて次は考えていけたらいいなあと思いながらこの文章はここらで終わります。
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