ロバート・ケネディ・ジュニア氏の選挙活動中止発表を受けて(チャールズ・アイゼンスタイン)(その1)
訳者コメント:
2024年のアメリカ大統領選挙で無党派の候補として立候補していたロバート・F・ケネディ・ジュニア氏が、選挙運動を中止しドナルド・トランプ氏の陣営に加わると、8月23日に発表しました。ケネディ氏の選挙顧問を引き受けていたチャールズ・アイゼンスタインは、ケネディ氏の頑固なイスラエル支持に心を痛めながらも、アメリカ社会を覆う分断を癒すために助言を重ねてきました。ケネディ氏の撤退表明を受けて、チャールズが心の内を語ります。長文のエッセイなので3部に分けて掲載します。
第1部は、トランプとの連携によって、関係者同罪という分断のシナリオを発動させることに終わらぬよう、チャールズがこの選挙運動を通じて大切にしてきたことを再確認します。
原文リンク:https://charleseisenstein.substack.com/p/shades-of-many-colors
様々な色のグラデーション
〜トランプ、ケネディー、パレスチナと、我らと彼ら〜
2024年9月9日 チャールズ・アイゼンスタイン
ロバート・F・ケネディ・ジュニアがドナルド・トランプを支持するために選挙運動を中断すると発表したことを受けて、この選択について私の意見を表明してほしいという懇願、要求、依頼をたくさん受けました。
私はその意思決定の過程を知る立場にありました。数え切れないほどの人々が、ボビー(ケネディー)や彼の周囲の人々に手を差し伸べ、熱烈で、説得力はあるけれど、相反する助言をしました。多くの人は、自分たちの見識が候補者の目に届かなかったと思い込んでいました。そこで、二つの大きな主張を取り出して、他の一つか二つの材料と組み合わせ、ボビーの選択が火を点けた分裂の熱狂を和らげるかもしれない薬を調合してみようと思います。でもあらかじめ忠告しておきますが、その成分の中には目眩や吐き気を催すものがあるかも知れません。
これら二つの対立する主張を提示するとき、私がどちらを支持したかをあらかじめ示しておきたい誘惑に駆られます。もしそうすれば、読者の少なくとも半分に、私がまだ人間としての良識の規範を犯してまで暗黒面に行っていない、受け入れ可能な人間であることを保証する、仲間部屋の合言葉を渡すことになってしまうでしょう。ですから、私は各々の主張をできるだけ寛大な方法で紹介しながら、何を考えているかは明かさないでおこうと思います。
主張①:選挙戦を継続せよ!
あなたは16カ月をかけて、大規模で独立した政治運動を築き上げてきた。あなたは選挙運動の一環として、わが国の首を絞めている二大政党制を非難し、それに代わる選択肢を提示した。あなたのために精力的に活動してきた10万人のボランティアを含む数千万人の支援者と、およそ同数の寄付者とに希望を抱かせてきた。彼らが深入りしたのは、あなたを信じたからだ。あなたはこの国を解放できる独立運動の旗手だ。たとえ今回の選挙で勝てなかったとしても、将来の候補者のための基礎を築いたことになる。変化は一夜にして訪れるものではない。しかし、アメリカ政界で最も対立を引き起こす人物であるトランプと合流するなら、この努力はすべて無駄になってしまう。あなたを信じてくれた人々を裏切ることになる。47℃にもなる暑さや厳しい寒さの中、あなたのために署名を集めてくれた人々。何のためだったのか? 口約束で有名な男から空約束をもらうためか? 都合が悪くなった瞬間にあなたを見捨てるような人のためか? 最悪の衝動をアメリカ人の精神に呼び起こす人物のためか? 甘く考えないで。今あきらめないで。どんな困難な旅でも、重要な瞬間は全てが失われたと思われる時にこそ訪れるのだ。その瞬間を乗り越えた向こう側で、ゴールはそれほど遠いものではなかったと分かるだろう。
主張②:トランプに合流せよ!
あなたは世論調査で着実に支持率を下げており、この選挙戦はますます虚栄心のため続けているように見えてきた。自分では勝てると思っていないのに、支持者には本当に勝てると偽って、この不可能な聖戦を続けることもできよう。あなたは、支援者が苦労して稼いだ寄付金を奪い、おそらく、反体制派の票を二分し、選挙を民主党に引き渡した張本人として、歴史に名を残すこともできよう。民主党こそ、あなたを誹謗し、検閲し、選挙戦を妨害し、あなたに対して法廷闘争を仕掛けた政党だ。民主党こそが体制側なのだ。もし勝てなくても、ネオコン政権が終わりなき戦争という計略を追求し続けるという大惨事を回避することはできる。プロパガンダ、監視、検閲の権力を、選挙が無意味になる程にまで強化し、ハイテク企業、大手製薬会社、軍事請負業者、ウォール街の手下であり続けるという大惨事を回避することはできる。でも、あなたはトランプ政権で大きな影響力を持つことができる。連邦政府機関の腐敗を根絶する手助けができる。トランプは沼の水を抜きたかったが、その方法がわからなかったのだ。あなたなら方法を知っている。保健機関を改革し、何百万人もの子どもたちを死と不幸から救うことができる。あなたがキャリアを捧げてきた使命を果たすことができる。そして、トランプの最も良い衝動を盛り立て、最悪の衝動を打ち消すことができる。
友人、支援者、寄付者、家族、そして助言者たちは、ボビーが①を選んだらひどい間違いを犯すことになると強く警告しました。また、②について同様の警告を発している人々もいました。誠実で、情熱的で、理路整然とした警告でした。ときには同じ助言者が、ある日はある主張をし、次の日には正反対の主張をすることもありました。
朱に交われば赤くなる
ケネディが最終的にドナルド・トランプを支持すると発表したとき、彼に選挙戦に留まってほしいと思っていた人々は落胆し、当惑しました。何十人、何百人が私に連絡を取り、説明を求めたり、同情したりしました。「調子はどうですか?」「大丈夫ですか?」
このような働きかけの多くは、間違いなく誠実なものでした。彼らは本当に私が大丈夫かどうか知りたがっていたのです。しかし、何百ものメッセージの中に、私はその裏の意味も感じ取り(あるいは想像し)ました。そこに含まれていた暗黙の問いは、「あなたは暗黒面に行ってしまったのか?」というものでした。
私がどちらの側にいるのか、つまりMAGA[Make America Great Again(アメリカを再び偉大な国に)、つまりトランプ支持者]へと「転向」したのか、という問いが私の中に呼び起こすのは、原始的な恐怖です。この問いに対して、カマラ・ハリスの政策と比べてトランプの政策が比較的にどれほどの良し悪しがあるかという議論で立ち向かうことはできません。それが問うのは、あなたは我々の仲間なのか、それとも奴らの仲間なのかということです。あなたは社会の、つまり「私の社会」の一員として受け入れることができるような人間なのか? なぜなら、チャールズ、あなたが不可触民に近づいた以上、必要な禊ぎをして汚れを清めない限り、あなたも不可触民なのだ。つまり、そこに込められている要請は、私がドナルド・トランプとケネディの同盟関係を明確に否定し、糾弾し、拒絶しなければならないということです。そうすれば、私は再び受け入れられる人間としての地位を確かなものにできるでしょう。
トランプの欠点や美点、あるいは彼の周囲の人々の欠点や美点、彼の政権がもたらす可能性のある影響の良し悪しを、冷静に評価することは、清めの儀式のための条件に反しています。トランプを他者にしなければならない。自分の「付き合い」の輪から追い出さなければならない。あなたはどのグループに属しているのか?
これは古くからある恐ろしい社会的な力です。魔女狩りが行われているときは、魔女と友好的な関係を持たない方がいいのです。魔術を声高に非難することで、あるいはもっといい方法として、自ら魔女狩りに加わることで、自分の身を守らねばなりません。共産主義者に対する赤狩りが行われていた頃は、共産主義者と名指しされるような人とは付き合わないようにしなければならず、さもないと「道連れ」と呼ばれることになりました。
現在の状況が魔女狩りと全く同じだと言えないのは、トランプ陣営が無力な少数派ではないからです。ストレスの多い時代になると、社会は常にスケープゴートや集団としてのスケープゴート階級に目を向けて、問題の責任を負わせ、血なまぐさい粛清で社会を団結させようとします。スケープゴート階級が社会の恐怖や怒りの受け皿となるには、社会の片隅にいる比較的無力な存在でなければなりません。魔女狩り、リンチ、大虐殺は、内戦を引き起こさずとも生贄を抹殺することができます。
人間の問題を「私の側」と「あなたの側」で見るような二極化した考え方がこのまま強まるなら、待っているのは内戦です。米国で内戦が勃発するとしたら、不正選挙の認識が広まった場合や、トランプ勝利の場合には、社会的混乱が「カラー革命」[独裁的政権の交代を求めて起こった民主化運動]の企てにつながる場合でしょう。
人間という生物種のレベルで、私たちはすでに内戦状態にあります。あらゆる戦争は内戦なのです。
同じように深刻なのは、選挙が紛糾した後に暴動の起こる可能性が、権威主義的な弾圧に口実を与えることです。権力側は国民とメディアとインターネットに対する支配を強化するでしょう。テレグラムやツイッターのように言論の自由を保障するプラットフォームを、取り込んだり閉鎖したりします。AIを駆使した恐ろしい監視と検閲の技術を導入し、「誤情報、偽情報、悪意のある情報に対抗する」という名目で、反対意見を封じ込めます。反体制派の銀行口座は凍結されます。政敵は投獄されます。意味のある選挙は無くなります。そして、このような全体主義的権力の手は国境を越えて伸びてくるため、隠れる場所はどこにもありません。
政治を語る言葉が分断を煽るものであればあるほど、侮蔑的であればあるほど、憎悪的であればあるほど、扇動的であればあるほど、私たちはこのような結果を招く舞台を準備することになるのです。ガスコンロの左右のバーナーの両方から、吐き気を催すようなガスが噴き出します。臭気が家中に充満します。そしてこの選挙が多くの火花を散らすのは間違いありません。ですから私は、距離を置いたり、こき下ろしたりするようなゲームに加わりたくないのです。
私がこのような騒ぎの熱を最初に感じたのは2018年頃、ラッセル・ブランドのポッドキャストにゲスト出演したときでした。そのすぐ後にラッセルはジョーダン・ピーターソンを招きました。すから、私は[新法で強制されたジェンダーニュートラルな代名詞を大学で使うことを拒否した]ジョーダン・ピーターソンと同じプラットフォームにいたのです。まもなく私に届いたメールは、ラッセル・ブランドと距離を置き、ブランドがピーターソンと関係したことを糾弾するよう求めるものでした。大衆という子供たちは、ジョーダン・ピーターソンにはバイ菌が付いていると宣言したのです。だから、ラッセル・ブランドにもバイ菌があり、彼と距離を置かない私も同じだということです。
「距離を置く」とはどういう意味でしょうか? それが意味するのは、暴徒の怒りの対象である非人間化された容疑者を儀式的に糾弾することです。もし私がこのエッセイをドナルド・トランプに対する儀式的な糾弾から始めていたら、多くの読者は今ごろ、もっと良い気分になっていたに違いありません。そして、私が良識と美徳の側にいることを保証し、ロバート・F・ケネディ・ジュニアの側近でありスピーチライターを務めてきた私が、ドナルド・トランプに技術や支持、推薦を移し替えるかもしれないという身の毛もよだつ疑念を打ち消すために、少なくとも軽蔑の示唆や微妙な意図を見つけようと、私の言葉の一つひとつを吟味している人もいるでしょう。もしそうなら私の読者の別の一部は喜ぶでしょう。しかし、それがあなたの吟味の中心だとしたら、私のメッセージはあなたを素通りしていくでしょう。
勝つことが主目的ではない
私たちが「支持」と呼ぶものは何なのでしょうか? 「この候補に投票すべきだ」ということになり、私がどの陣営に属するかが決まります。しかし、「あなた」が特定の候補に「投票すべき」だとは、私は思っていません(他とは違う無数の「あなた」がいるのですから)。もしそれが、よそよそしい非協力的な態度や日和見に見えるなら、あなたは私にこう尋ねたいかもしれません。「ケネディを当選させるために働いたように、トランプを当選させるために働かないのですか?」では、なぜそれを知りたいのですか? おそらくその理由は、そうすれば、私が「我ら」なのか「奴ら」なのかが分かるからです。そうすれば、私の文章を読み続けるべきかどうかが分かるでしょう。そして私は、社会を破滅へと向かわせる部族的な衝動に屈することになるのです。
人々が私の文章を受け入れるかどうかは、文章自体の真価を見て判断してほしいと私は思いますが、私がどの政治的部族に属しているかで(属していたとしてもですが)判断してほしくありません。しかし、先の質問に答えるなら、選挙顧問やスピーチライターとしての私が最優先にしたのは、候補者を当選させることではありませんでした。もちろん、彼に勝ってもらいたかったですが、私が主として忠誠を誓ったものは、①彼の選挙運動が役立つかもしれないこと、つまり真実、平和、透明性、自由と、それらの背後にある、文明のための新たな物語、そして②私が顧問として、友人として、目撃し、信じ、励ますことができる最良のケネディ自身に対してでした。
政治の世界では、選挙に勝つことが世界で最も重要なことのように思われています。全てはそこにかかっています。ああ、もしあなたが当選したら、どんな変化が起きるでしょう! しかし、大統領や億万長者、企業トップが光明を見さえすれば、世界を変えられるなどと、私は思ったことがありません。彼らは私たちが思っているよりも無力です。支配的なシステムやイデオロギーに従い、文明に君臨する神話の延長線上にいる限り、彼らは力強く見えます。しかし、それに逆らったとき、それまで帆に満ちていた力は反旗を翻すのです。それでも逆風の中を折り返しながら進み、美しい目標を達成できるかもしれません。でも風向きを変えることはできません。
風向きは変わるものです。宇宙と元素の力は全て、進化する人間の意識と共鳴し、風を集めたり分散させたりします。そのため、私の仕事は主に物語のレベルであり、文明の背景にある基本的な神話を変えることです。それは、個別ばらばらの自己、人間と自然の分断、物質と魂の分断、数量の崇拝、進歩の幻想、お金の物語、死の否定、力に基づく因果の優位性といったものです。この任務が誇大妄想と聞こえないように、私の役割は非常に小さいものであることを急いで付け加えておきます。ちょっと持ち上げるだけです。本当の力仕事を担ってきたのは、無償の犠牲と忍耐によって、愛、優しさ、癒し、寛大さの場を築いてきた人々です。風を呼び起こすのは彼らです。私のような語り部は、彼らの神聖なエネルギーを利用しているだけなのです。では、本当に「力のある所」にいるのは誰でしょうか。今日、スーダンかハイチかガザのどこかで、ある男が自分の最後の一切れのパンを譲ったのは、ほとんど面識のないお婆さんでしたが、彼女はそれを飢えた子供に食べさせようとしていました。彼が自分の犠牲をひけらかすことはありませんでした。たぶん、誰も知ることはないでしょう。もしかしたら、彼も、子供も、お婆さんも、生きてこの物語を語ることはないかもしれません。大部分の人々が信じている変化の理論だと、彼の犠牲は世界に何の影響も及ぼさなかったということになります。しかし、幸運にもそのような行為に立ち会うことができた者が、それを目の当たりにして理解するのは、何か重要なことが起こったということです。その子供だけでなく、全ての子供たちへの奉仕なのだということです。人間の本性の原則が強化されたということです。神の証人に対して宣言が発せられたということです。「これが人間のあるべき姿だ、これが人間の選ぶべきものだ」と。このような人々こそ、私たちの世界を支えてきた、隠れた行者たちなのです。このコラムでは、折に触れて彼らのエピソードを紹介していくつもりです。私がそうするのは、実際に物事を変えるような政治的関与の圧力や危険から身を引いているからではありません。それは、新しくも古来の神話と繋がるのを助けるための、薬となる物語だからです。彼らの声が聞き届けられ、感謝と名誉が彼らに流れ込むとき、この世界の守護霊たちは力を得るのです。
それでも、運命と境遇によって私は「権力者」の仲間に近づけたのですから、私がそこで役に立てる限り、そこに私の心の一部を捧げ続けるつもりです。彼らは私たちが思っているよりも無力ですが、全く無力というわけではありません。彼らには彼らの役割があります。でも彼らの本当の力は選挙に勝つことからは生まれません。どのように勝つか、あるいは負けるか、そして勝っても負けても、その結果どんな人間になるのか、そこから本当の力が生まれるのです。
結果よりもプロセスを重視する変化の理論に則って、私はロバート・F・ケネディ・ジュニアに勝利を最優先しないよう勧めました。私は彼に逆説で助言をしました。「勝つより他のことを優先しなければ、勝つことはできません」と私は言ったのです。
この逆説には二つのレベルの理解が可能です。第一に、これは実践的なアドバイスです。人々は、あなたが他の政治家とは違うと感じ取る必要があり、最終的には自分自身の力を超えた理想に仕えることになります。人々が聞きたいと思っていること、勝つために言わなければならないと思っていることを言って安全策をとるのではなく、正直な言葉を話すことで、人々はあなたを信頼するようになります。もちろん、政治家が嘘をついて勝つのはいつものことです。不誠実は政治の世界の通貨です。しかし、もしあなたが普通の政治に代わるものとして立候補するのであれば、実際にそのような選択肢となる必要があります。
第二に、あなたが通常の方法で選挙運動を行い、人々が聞きたいと思うことを言い、真実よりも勝利を優先したとしましょう。そうやって勝ったとしたら、実際に勝つのは誰なのでしょうか? どのバージョンのあなたが勝ったのですか? 勝利を新たな神としたことで、あなたは何者になってしまったのでしょうか。「あなた」は勝ったかもしれませんが、あなたは勝っていません。あなたが仕えようとしたものは、勝っていません。あなたがなろうとした人物は、勝っていません。そして、あなたが「権力」を得たところで、それは変わりそうにありません。
ですから、私が助言する人に対する誓いは、あなたの最良で最高の動機に忠実であり続けるための味方になります、ということです。私は、あなたの組織の中でその理想を持ち続けるよう努力することを約束します。私はきっとこの約束を完全には守れないでしょうし、あなたが完璧であることを期待しているわけでもありません。もしそうでなくても、私はあなたを見捨てません。しかし、ズレを目の当たりにしたら黙ってはいません。私はそれを指摘します。しつこく指摘します。そして私は、あなたが勇敢であり正直であることを見守り続けます。
私はドナルド・トランプの選挙運動には参加しませんが、彼の心、彼のメッセージ、彼の選挙運動、あるいは彼の政権に私がアイデアを植え付ける機会があるなら、そうするつもりです。私は、制度的な権力を持つ立場の人に対して、誰にも同じことをするでしょう。もしそのような人々が、私が奉仕する新しくも古来の物語のどれかの要素に対して心を開いてくれるなら、それに応じる用意はあります。
(その2に続く)
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