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蜃気楼を追いかけて (トランスヒューマニズムとメタバース その3)

訳者より:私は自動車関連企業で技術者をしていました。自動車社会の中にいると、油田での原油流出や石油精製の大気汚染のことが目に入りません。ハイブリッド車にすれば石油の消費が減らせると思うとき、モーターや電線に必要な銅が、当たり前に使っている資源だと思っていても、じつは採掘や精錬で環境破壊を引き起こしていることが見えません。バッテリー電気自動車にすれば完全に石油フリーでクリーンな未来が待っていると思うとき、自動車1台あたり100kgも必要になるようなリチウムが、ウユニ塩湖を破壊してまで採掘されていることは見えません。チャールズがいうように、テクノロジーが実現する社会の中にいると、その外にあることは見えないのです。チャールズ・アイゼンスタインの『トランスヒューマニズムとメタバース』日本語訳、今回はその第3回。(こちらに第1回第2回


3. 蜃気楼を追いかけて

トランスヒューマニズムは反自然的です。そこでは、自然や身体、宇宙に本来備わった知性があるとは認めず、逆に知性など無いと決めつけた世界に人間の知性を押し付けようとします。あらゆる物は人間の意図によって(最終的には人間が作ったAIの意図によって)改善できます。しかし紛らわしいのは、多くのトランスヒューマニズム主義者が未来像の中にエコロジーの主張を繰り広げていることです。私たち人間の数を減らして自然から退き、地球が自ら野生を取り戻すに任せる一方、私たちはカプセル都市とメタバースに引きこもり、ロボット化された高層農場と、精密発酵工場、動物細胞培養肉、人工乳「ミィルク(Mylk:植物性代用乳)」で食いつなぎます。

著名なトランスヒューマニズム・テクノロジー支持者の中には優生学や産児制限政策に賛同する人がいることを指摘する陰謀論者もいます。この結びつきは全く理にかなったもので、べつに怪物のような悪の存在を暗示する必要はありません。もしロボットとAIで人間の労働を置き換えられる分野がどんどん増えるなら、必要な人間の数はどんどん減っていきます。これが人類の地球に掛ける負荷を軽減するという追加の恩恵をもたらすと、支持者は信じます。身体や脳を「改善する」という同じ工学的な考え方が、社会やゲノム、地球の最適化へと自然に繋がるのです。

人類が根本的には地球にとって重荷だというのは、同じ例外主義を共有した仮定です。例外主義はそもそも何かを超越しようという野心の動機となります。おそらく、私たちが人間の宿命について別の考え方をするなら、人間はこれほど重荷ではなくなるでしょう。もし私たちの野心が物質と肉体を超越することではなく、ますます多くの命と美が地球の上に限りなく展開する営みに参加することなら、私たちは他の生物と同じように、進化を続ける全体性にとって欠かせない一部分となるでしょう。

トランスヒューマニズムはこれと違う理想を掲げます。人間の領域により厳格で正確な制御を持ち込むと、私たちは自然なものから自らを切り離します。トランスヒューマニズムはずっと古くからある超越主義という考えの現れで、人間の宿命は物質世界を超越することにあると捉えます。メタバースは「天国」の現代版で、魂の領域です。純粋な心の領域、純粋な表象の領域、自然の制約から完全に自由な領域です。メタバースでは、仮想の土地を所有できる広さや、アバターが着ることのできる仮想の服の数、所有できる仮想通貨の量に関して、根本的な制約はありません。制約があるとすれば全て人工的なもので、ゲームを面白く、そして収益性の高いものにするために、ソフトウエア技術者が課したものです。現在メタバースには相当な大きさの仮想不動産市場がありますが、その希少性、つまり価値は、完全に人工的なものです。しかしその人工的な価値はかなりの大きさになります。ブルームバーグはメタバースからの年間収益が2024年には8千億ドルに達すると推定します。もう既に、ヴォーグ誌(有料記事)によれば、オンラインゲームの『フォートナイト』は仮想化粧品で年間30億ドル以上を売り上げ、世界最大級のファッション企業に名を連ねています。

世界中に2億人いる発育不良で衰弱した子供たちの親は、それをどう考えるだろうかと私は思います。

この最後のコメントが指し示すのは、人類の超越主義的な努力の下に隠された醜悪な秘密です。必ずといっていいほど、超越主義が見えなくしているものたちには、大きな害が降りかかります。メタバースに入ると、それ自体が現実であるかのように見えます。その物質的な基盤はほとんど目に見えず、したがってその境界の外にある物質世界には全く影響を与えないと簡単に信じてしまいます。没入型の度合いが強くなればなるほど、その外に何があるかを忘れてしまうでしょう。

記号や抽象に没入して物質的基盤のことを忘れるなら、いつでも同じことが起きます。経済学者が経済成長の数字に魅入られて、それに伴う混乱や貧困、生態系破壊を見ないのも同じです。気候政策の立案者が炭素の計算に夢中になって、リチウムやコバルトの鉱山が引き起こす荒廃を見ないのも同じです。伝染病学者が症例死亡率に取りつかれて、自分の尺度の外にある飢餓や孤独や絶望という現実をほとんど顧みないのも同じです。

私たち自身のために作り出した現実は、これまで長い間いつもこうでした。その外にあるものを私たちは忘れるのです。その外に何かがあることさえも、私たちは忘れます。20世紀の大都会もそうでした。都市生活に没入すると、何か他のものが存在し関係していたことを簡単に忘れ、都市生活の維持に伴い社会や環境に与えた害のことを無視しがちでした。このパターンがあらゆる規模で繰り返されます。大富豪の世界に入っても、やはり同じ理屈が働きます。何もかもが美しい豪邸やクルーザーの中からは、その維持のため物質世界と社会に及ぼすコストは、ほとんど見えません。

少々霊的な理屈をめぐらしてみましょう。分断の中で幸福に暮らすのが不可能なのは、人の存在の本質が関係性にあるからです。現実を2つの領域に分断すると、両方とも病に冒されます。人間も、自然も。

そんなわけで、テクノロジーの計画は、トランスヒューマニズムとメタバースをその新たな極みとして、永遠に蜃気楼を追いかけることになると私は信じます。その蜃気楼はユートピア、つまり完璧な社会で、そこでは苦痛が技術によって根絶され、生活は日に日に素晴らしいものになります。テクノロジーの計画がこれまでどんな成果を上げてきたか見てみて下さい。物質を制御し社会を管理する能力では長足の進歩を遂げました。私たちは遺伝子や脳内化学物質を改変できますが、今はもう鬱病を克服できたはずではありませんか? 私たちはほぼ全ての人間を常に監視することができますが、今はもう犯罪を根絶できたはずではありませんか? 人口あたりの経済生産性は半世紀で20倍になりましたが、今では貧困を根絶できていたはずではありませんか? どれもできていません。私たちが全く進歩していないのは、ほぼ間違いありません。技術エリートはこう説明します。私たちの仕事はまだ終わっていないのだ。私たちの制御が完全なら、モノのインターネットがあらゆる物体を一つのデータセットに結び付ければ、あらゆる生理的マーカーをリアルタイムで監視し制御すれば、あらゆる取引や人の移動を監視すれば、現実世界には要らないものの存在する余地はなくなる。全てはコントロールされるのだ。これで何万年も前に始まった自然を飼い慣らす計画が完成する。物質世界の全体が飼い慣らされる。砂漠の地平線に見たオアシスへと、私たちはついに到達するのだ。私たちはついに虹のふもとにある黄金の詰まった壺へと到着するのだ。

もしも到達することなど無いとしたら?困窮と苦痛が分断のプログラムの誤りバグではなく仕様だったとしたら? 蜃気楼が私たちの突進と同じ速さで遠ざかっていくとしたら?

私にはそう見えるのです。人間の状況が、チャールズ・ディケンズ[英国の小説家、1812~1870年]の時代や、中世ヨーロッパの時代、あるいは狩猟採集の時代から比べて悪化したのかどうか、私には確かなことは言えません。人間のドラマや苦しみはすべて、形こそ違え、あらゆる人間社会に行きわたっているようです。しかし、人間の状況が改善してもいないのは間違いないと私は思っています。物質と肉体の苦痛を超越することに向けて、私たちは進歩したように見えますが、その目標には少しも近付いていません。せいぜい、苦しみが形を変えただけで、悪化しないだけましという程度です。たとえば、エアコンのおかげで、私たちは酷暑に苦しまなくて済みます。自動車のおかげで、私たちは数キロを移動するのに疲れ果てずに済みます。パワーショベルのおかげで、私たちはもう家の基礎を掘るのに筋肉を痛めなくて済みます。あらゆる医薬品のおかげで、私たちはもう様々な病状にも痛みを感じずに済みます。でもどういうわけか、社会で最も裕福な階層でさえ、痛みや疲れ、苦しみ、ストレスを消し去ってはいません。あなたが公の場にいるときちょっと注意して見れば、計り知れない苦しみが蔓延しているのに気付くでしょう。その苦しみに耐えているのは、英雄のような私たちの兄弟姉妹です。苦しみを隠し、苦しみに耐え、市民にふさわしく、寛大に、明るく振る舞い、何とか生きていくため最善を尽くします。でもよく見れば、秘めた苦悩に気付くでしょう。身体の痛み、心の痛み、不安、疲れ、ストレスに気付くでしょう。あなたの見る一人一人は肉体に宿った神性なのであり、ほとんど実りのない状況にも関わらず、最善を尽くしているのです。しかしそうであってもなお、美はそこにあり、その神性は自らを表現しようと絶えず努め、命は生きようとするのです。そんな場面を目にする幸運に恵まれたとき、自分がひとりの友であることが、私には分かります。

第4回につづく)

原文リンク:https://charleseisenstein.substack.com/p/transhumanism-and-the-metaverse

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