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木爾チレン「神に愛されていた」そして被害者ポジションのこと

私は毎朝、愛犬うずめちゃん(元保護犬6歳)と散歩します。近くの代々木公園をぐるりと一周、最後にドッグランに寄って帰ります。

この半年ぐらい前からかな、散歩中にAudibleで小説を聴くのが楽しみになっています。昨年、目の手術をして以来、読書が少し苦痛になっていました。そんな時、「聴く読書」を試してみたところ、変わりゆく景色をながめながら小説の世界にどっぷりと浸る経験がとても楽しくて「次は何を読もう」と思えるようになりました。

さて、今朝聴き終わったのは木爾チレンさんの「神に愛されていた」。2011年の東日本大震災以来、圧倒的な現実の前では空想の世界への興味が薄れてしまっていたので、木爾チレンさんのことも存じ上げませんでした。

でもよくぞこの小説を見つけた私、偉いっ!と言いたくなるような素晴らしい作品でした。聴き終わった時に涙が流れた作品は本当に久しぶりです。カズオイシグロさんの「わたしを離さないで」以来かも。

内容は、ふたりの小説家のお話。若くして作家になった東山冴理。しかし数年後、彼女の前に現れたのは、天使のように美しい天才作家、白川天音。冴理は天音の才能に嫉妬し焦り、なぜか天音は冴理のモノを次々と奪っていくようにみえる・・・。いつしか冴理は天音さえいなければと殺意すら覚える。そして30年経って、お互いの誤解と事実に気づく。

勝手に絶望し勝手に自分は誰にも愛されていないと思い、勝手に人の気持ちを代弁する。おこがましいけれど、私もそうだなあと。絵を描いても描いても「あの人に比べたらまだまだだ」「もっといい絵を描きたい」ともがき悩む。本当は絵を描くことが大好きなはずなのに。

そんな話を今朝夫と食事しながらしていると「被害者ポジションを手放すべきだよ」と言われました。確かに私は勝手に人の思いを代弁して「誰からも必要とされていない」など相手目線で自分の作品を語っていることが多いかも。

勝手に絶望するな、自分目線で自分を語れ、戦うなら自分と戦え。いま個展の最中ですが、今朝は強く背中を押された気がします。この作品に出会えてよかった。さてこの後、支度して個展会場へと向かいます。私はやはり絵を描くことが大好き。みんなそんな私の絵を見に来てね。


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松尾たいこ
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