小説『三分間』第三話

 白ウサギに別れを告げた僕は、この世界での街に向かうことにした。街はいつも賑わっている。サンバカーニバルが開催されていることを期待したが、ここでも開催されていないようだ。空を見上げると、シロナガスクジラがふよふよと浮かんでいた。どうもこの世界では、生き物が宙に浮かべるようなのだ。
 僕も以前浮かべるかどうか試してみたのだが、無理であった。その代わり、宙を走れる自転車があり、それに乗って空中散歩をすることができる。誰かにぶつかっても怪我をさせることはない。なぜなら、ふよふよと進んでいくからだ。一度、空中で自転車を手放し地面に落ちたらどうなるだろうと思ったことがあるが、まだ流石に試していない。自転車屋さんも、何も言っていなかった。 
 どうもこの世界では、金銭の流通が行われていないらしい。どの商品も極めて流動的だ。すべての種類の生命体が、ものをシェアし、食べ物も分け与えているようなのだ。りんご屋のクマがおらよっとりんごを投げ渡してくる。僕は右手でりんごをキャッチし、齧った。うまい。
 とうもろこしはないのだろうか。ウサギはないと言っていたが、街でもまだとうもろこしは見たことがない。なぜ自分がとうもろこしにこだわるのか、理由はよくわかっていない。ウサギをからかうつもりで言ったのかもしれない。
 先に進むと、シロクマがなにやらうまそうなスープを作っていた。色は、黄色い。コーンスープか? と思った。しかし、ウサギはとうもろこしなどないと言っていたので、きっと違うのだろう。シロクマにスープを貰い、飲んでみる。味は、なんとも言えなかった。
 少なくとも、とうもろこしではないなと思った。改めて、ウサギはいいやつなんだな、と思った。ただ、そのスープを飲み干すと、ぐわんと周囲の景色が変わる感覚があった。地面が崩れるような思いがした。景色が目まぐるしく変わり、気がつくと紫色の世界に来ていた。そこは、異次元の中の別の世界線だった。
 紫色の世界では、先ほどののどかな世界とは異なり、工業化が進んでいるようだった。機関車が煙をあげる。漆黒の煙をあげる機関車は、ずんずんと進んでいく。運転手はいないようだった。
 あの機関車は、どこに向かっていくのだろうか。とても気になったので、タイミングを見計らい、列車に飛び乗った。窓は外側から見ると黒く見えたので、気がつかなかったが、中には多くの人たちが乗っていた。みんな僕のことには見向きもせず、ぺちゃくちゃと喋っている。僕に気づいていないのだろうか。車内を進んでいくと、ひとりの青年と目があった。
「なあ、君、この列車に乗るの、初めてだろう。そんな装いをしているよ」
 どんな装いだ、と思った。彼は、ブルーの眼をしていた。僕の世界の人で例えると、欧米人だろうか。ただ、肌はもっと白く、そばかすのような赤い斑点が頬に目立っていた。
 きっと仲よくなれそうだ、そう思い、そいつの目の前の席に座った。
「この列車は、海に向かっているんだ。みんな、海に行くのさ。海はどろどろしているんだが、悪くない。みんな変わったものが好きだなあと思うが、俺もなんだ、そういうのが嫌いじゃないんだ」
 そう言うと彼は懐からたばこを取り出し、火をつけた。えらく大人びた青年だなと思った。窓を開けようかと手をかけたが、窓は開かないようだ。煙が車内に立ち込めるが、誰も気にする様子がない。
 僕は彼に尋ねてみた。
「あのさ、たばこの煙ってあれなんじゃないの? 体に悪いんじゃない? ほら、受動喫煙だなんだって言うじゃないか」
「受動喫煙? なんだいそりゃ」
 彼は素っ頓狂な顔をしていた。受動喫煙という概念がそもそもないのか、この世界線ではまだ知られていないのかはわからなかった。本当は彼も知っていて、すっとぼけているだけなのかもしれない。
「窓の外を眺めているとね、こう、木々が流れていくじゃないか。なんだか、そういうのっていいよね。君も、一本どうだい?」
 そう言って、彼はたばこを手渡してきた。僕は、それを頂くことにした。たばこは吸ったことがなかったのだが、面白い味がした。彼はまだ何か喋っていたが、僕はなぜか眠くなり、たばこを一本吸い終わると、そのまま寝てしまった。
 眠りに落ちる寸前に彼を見ると、やはり彼は、窓の外を眺めていた。

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