小説『エッグタルト』最終章
会社では、プログラミングや新しい技術について日々学びながら作業をし、たまに失敗して怒られたりもしながら、結局新卒で入ったその会社を三年間勤めたあと、俺はSESという契約形態の会社に転職することにした。エンジニアとして客先の会社に常駐をして働くことが主な仕事となるらしい。こちらの働き方のほうが自分に合っているのかもしれないな、と思った。
転職先が決まったあと、山田に誘われて社会人のフットサルサークルに参加することになった。試合に出る際は、主にキーパーとして出場することにした。キーパーとして試合に出場していた週末のある日、ゴール前に立ち、ぼんやりと試合を見ていると、山田が先制のシュートを決めた。
「何つまらなさそうな顔して見てんのよ。友達がシュート決めたのよ。笑いなよ」
守備専門のポジションなのか、前に立っていた女の子が話しかけてきた。
「君だって、何もしていなかっただろ?」
「まあそうだけど」
そう言って彼女は笑っていた。笑顔の可愛い女の子だな、と思った。
試合が終わり、帰る途中、駅に向かって歩いているとき、試合中に話しかけてきた女の子のことを思い出していた。これから仲よくなれそうな気がした。
ぼんやりと歩いていると、駅が近づいてきた所で、誰かに声をかけられた。
「太田くん?」
突然話しかけられたのと、大人になり容姿が少し変わっていたので気がつかなかったが、見覚えのある顔だった。川野さんだった。
「川野さん? ひさしぶりだね。日本に、帰ってきたの?」
「ええ、先週にね。ひさしぶりに会えて、嬉しいわ」
ひさびさの再開に、感傷に浸っていると駅から外国人の男の人が手を振りながらこちらに向かってきた。それに気がついたのか、川野さんもその人の方を向きながら笑顔で手を振り返していた。
「あの男の人は、誰?」
「ジェームズよ。もうすぐ、結婚するの」
「はっ!?」
驚きのあまり、よくわからない声が出た。
「彼、日本語を話せるの」
「こんにちは。私の名前は、ジェームズです」
川野さんの隣までやってきた彼は、俺が川野さんの友達であると察したのか、握手しようと手を差し伸べてきたので、俺はそれに応じた。細身だったが握力が強かった。
ジェームズに、
「この人は?」
と聞かれたのに対し川野さんは、
「太田くんよ。高校のころの友達なの」
と説明していた。それに対し彼は、
「オーケイ」
とすぐに納得していた。突然のことであったのと、外国人と話すことがあまりなかったので、取りあえず、
「ナイストゥミーチュー」
と教科書英語で彼に対応した。
「川野さんは、これから日本で暮らすの?」
「ううん、日本には、彼と観光に来ただけなの。二週間ほど過ごしたら、カナダに帰るつもりよ。そこで暮らしていくつもりなの」
「そうなんだ。あはは。俺、もう行かなきゃなんだ。ひさしぶりに会えてよかったよ。日本、楽しんでいってね」
「ありがとう。私も、ひさびさに会えてよかったわ。元気でね。またね」
去り際に川野さんの顔を見ると、昔と変わらない優しい笑顔をしていた。ジェームズにも、
「シーユー」
と声をかけると、彼も、
「グッバイ」
と返してきたので、俺は早足で駅に向かった。もちろん急いで帰らないといけない理由などなかった。
電車に乗り込み、ぼんやりと窓の外を見ていると、東京スカイツリーが見えた。ジェームズとはどのように知り合ったのだろう、などと思ったが聞かないまま逃げるように電車に乗り込んでしまった。川野さんが結婚してしまうのだという事実にショックを受けていたのだ。
電車を降り、駅から出て、預けていた自転車に乗り、家へと向かった。帰る途中、日が暮れかけていて空が綺麗だったので、家の近くの川沿いで自転車を降り、押しながら帰ることにした。歩いている途中少し足がふらついた。
家に帰り、洗面所で手を洗うときに思わず泣いてしまった。涙がとめどなく溢れてきた。川野さんは、俺のことを初めて認めてくれた女の子だったんだ。
洗面所から出て荷物を床に放り投げたあと、俺はベッドに倒れこんだ。泣きながら、震えた声で、
「あ、り、が、と、う」
と呟いていた。少し落ち着いてから横になり、窓の方を見ると、カーテンの隙間から、光が差し込んでいた。