小説『エッグタルト』第七章
補習を受けて、合格点を貰うまでに二時間もかかってしまった俺は、ようやく家に帰ることにした。俺は、集中力がないのだろうか。
帰る途中、「中岡子どもそろばん塾」という看板がついている建物から川野さんが出てくるところが見えた。
川野さんはこちらに気づかず向こうの方へと歩いていってしまったので、俺は、
「川野さーん!」
と後ろから声をかけた。
「わあ、びっくりした」
川野さんは驚きながらそう言って振り返り、立ち止まった。
「偶然だね。俺、さっきまで補習を受けていたんだ。この前の生物の小テスト、散々だったよ」
「あなた、本当に理系科目が駄目なのね」
「そんな、はっきり言わないでよ」
そう俺が言うと川野さんは少し申し訳なさそうな顔をしてこちらを見て黙ってから、前を向いて歩き始めたので、俺も続いてその横を歩きながら、こう尋ねた。
「川野さんって、部活とかやっていないの? この時間にそろばん塾から出てきたからびっくりしちゃったよ」
「やっていないわ。ここ、私が小学生だったときにお世話になっていたそろばん塾なの。放課後たまに来て、子どもたちに教えるのを手伝っているのよ」
「部活、やっていないんだね。子供に教えたりするの、好きなの?」
「ええ、好きよ。いつも数学の勉強をしていても気が滅入っちゃうから、気分転換も兼ねてね」
「どうして、部活はやらないの? それも気分転換になるかもしれないよ?」
「あまり、興味のある部活がなかったの。私、友達を作るのも下手だし」
「本を読むのが好きなんだったら、文芸部とかよかったんじゃない?」
「それもいいかもしれないわね。数学オリンピックが終わったら、入るかどうか考えてみるわ。ありがとう」
話している川野さんを見ると、友達がたくさんできそうな感じもするものだが、やはり今は、数学オリンピックの勉強に集中しているのだろうか。
「私の家、こっち側なの」
そう言って川野さんは立ち止まり、右の方面を向いて指差した。
「そうなんだ、俺、このまま真っ直ぐなんだ。それじゃあね。また学校で会えたら話そう」
「ええ、またね」
そう言うと川野さんはすぐに家のほうに向かってずんずんと歩いていった。振り返ったりするのかなと思いつつ歩いていく後ろ姿をしばらく見ていたが、そんな気配はまったくなかったので、俺もそのまま自分の家に帰ることにした。