小説『エッグタルト』第五章
生物の小テストの前日になり、その日の昼休みに、テストに向けて勉強をしようと教科書を持って図書室へと向かった。
川野さんはいないかなと思い見渡してみると、先週と同じ窓際の席に、やはり何か本を読みながら座っていた。
「川野さん、本当にいつもここにいるの?」
今日の川野さんは何やらオーロラのかかった夜空の写真が載っている本を読んでいた。
「ええ、大体ね。この席が空いてたら。ここ、私のお気に入りの席なの」
「今日は、その、夜景の本? なんで読んでるの?」
「こういう所にいつか行ってみたいなと思って」
「そうなんだ」
俺は、先週山田に聞いたシュートのコツの話を川野さんに話してみた。
「先週、君のクラスにいるサッカー部の山田から聞いたんだけど、彼、シュートを打つときにボールをできるだけ長い時間足の甲の上に乗せてから足を引き抜くようにしているんだって。そうしたら入りやすいって」
「インパルスじゃない? ボールが足に当たっている時間が長ければ長いほど、ボールに伝わる力は大きくなるのよ。あなたの友達、物理が得意なの?」
「いや、彼も俺と同じで理系科目はからっきしのはずだけど。君、どこでそういうことを勉強するの? 授業でそんなことやったっけ?」
「元物理教師の人が教える打撃理論が載っている本に、そういったことが書いてあったわ」
「なんでそんな本読んだんだ」
思わず心の声が漏れてしまった。
「お父さんが野球好きで、部屋に本が置いてあったから読んだのよ。本当は男の子が生まれて、野球をやって欲しかったらしいのだけど、私が生まれて来ちゃったってわけ」
「そうなんだ、兄弟は、いないの?」
「私、一人っ子」
なぜ、下の兄弟はいないのだろうと思ったが、それは聞かないでおくことにした。
「君のお父さん、野球好きなんだね。俺も野球見るの、好きだよ。俺、西武ライオンズが好きだなあ。川野さんも、野球見るの好き?」
「ええ。好きよ」
「そうなんだ、好きな球団とかって、ある?」
「私、トロント・ブルージェイズ」
「大リーグなんだね」
川野さんは相変わらず変わっているなあと思ったが、俺は、ここに生物の勉強をしに来たという当初の目的をすっかり忘れていた。
「俺、あっちの机で勉強してるね。明日、生物の小テストがあるんだ。それじゃあ」
「またね。テスト、頑張って」
川野さんは本に目を戻してページをめくっていたので、俺は勉強をしに行くことにした。あとあと考えてみれば、川野さんに勉強を教わっておけばよかったなと思ったが、そのときは、そういったことは思いつかなかった。