【小説】捨て忘れた色 「基点」
「捨て忘れた色」ベースシナリオのどこかに入る物語です。
基点
ようやく住むアパートが決まり、生計を立てる、、というようなことをしてみようと考えていた私は、ある会社の入社試験を受けた。住むところを決めたのもその一環ではあるが、職に就くということも暮らしを営む一つの手段であるとは聞いていた。
程なく、、入社面接をするという連絡があり、着慣れないスーツを着てその会社に足を運んだ。指定されたビルに入って、館内の案内図にエレベータの位置を確認したが、通勤時間帯とずれているのかこの間、特に誰とも会わなかった。
開いたエレベータの中にも誰もいない。また、途中どの階にも止まらずに指定した14階まで滑り上がり、ドアは音もなく開いた。。その目の前に受付らしい机が見えた。
そこにも殺風景に机が置いてあるだけで人はおらず、「面接会場はこちら」という矢印付きの張り紙が置かれている。矢印の方向を見ると、さらに上りの階段がある。何階建てのビルだったのか気にせずに14階まで来たが、まだ上の階があるらしい。今のところこの張り紙を信じる以外ないので、無機質な指示に従って階段を上った。
自分の足音が館内に響くのを伺いながら、体感としておよそ1階分上った先には鉄のドアが待ち構えていた。他に通路も指示もないので開けるしかなさそうである。ドアノブを回してゆっくりと押してみると、ギギ、、、と開いた重いドアの隙間から強い光が差し込んだ。どうやらそこは屋上のようである。このビルは14階建てだったらしい。
屋上の床はコンクリートで少し湿っており、所々に苔が散らばっている。眩い青空を背景に、真っ青なヘリコプターが浮かんで見えた。その前に濃紺のスーツに身を固め、ヘルメットをかぶったパイロットらしき人が手招きしている。
「面接の方ですね?」
「はい」
「それでは、後部座席に乗って下さい。砂漠へ参ります」
それだけを言付けられ、ヘリコプターの後部座席に導かれた。この時点で色々と質問はあったが、何もまとまらないまま機内に足を入れてしまうと、外から扉が閉められた。おそらく聞いたところで何も解決しそうになかったので、簡単に諦めはついた。
乗せられたヘリは何かの映像で見た軍用機のようで、椅子どころか装飾もなく、手すりだけが剥き出しになっていた。操縦席と座席は遮断され、窓もない。しかし、そのおかげで到着するまでの間、様々な事を想像する事が出来た。
砂漠にそびえる高層ビル。その屋上の緑と噴水。もしかすると砂漠という名の会社かもしれない。それは緑の中に砂を散りばめた小さな一軒家のオフィスであろう。もしくは、らくだに乗って並んで散歩しながら面接をする、、とするとらくだの乗り方は教えてくれるのだろうか。
私には腕時計をする習慣もなく、ヘリにも時計がなかったので、どれほどの時間が経ったのか正確には分からなかったが、体感的に3時間ほどであったと思われる。機体の揺れを感じなくなってしばらくすると、操縦者のものかどうか「降りて下さい」というアナウンスが耳に届いた。
扉が開けられてその目の前に広がったものは、自分が期待していたものではなかった。すなわち、いわゆる、砂漠、、、だったのである。
私がヘリからおり、砂の上に足を乗せると、その砂は足に粘った。体重を乗せると砂は靴を噛み締めた。その瞬間、ヘリは何も言わずに、また何かを言おうとする私を打ち消すように高度を上げ、去っていった。砂で煙った空気に濃紺のヘリが飛び上がると、やがて青い点となり、視界から退き、全ての音は風と消えた。太陽は真上にあった。その真下に私がいる。空はまだ黄色い。また砂も黄色い。その重なる部分は蜃気楼というのか、ぼやけて誤魔化されている。
人は目標物が見えないときに孤独を感じるというが、私の場合、この時点では感動の方が上回っていた。ヘリコプターで辿り着く事が可能な場所に、このような場所があるのか。しかも何の手続きもなかったところを見ると、ここは日本らしい。
しかし、、それもおかしい。開拓され尽くした日本で、そして情報の駆け巡る日本で何十年かを過ごした私が、この砂漠の存在を見逃すわけが無い。となると、不法入国かもしれない。一番近い砂漠は中国であろうか、、、しかしヘリコプターで3時間ほど飛んで辿り着くような距離ではないであろう。とすれば、夢か幻か。。
それでは片付くものでもない。実際暑いのだ。太陽の光も、砂も、、熱い。。。何時の間にかスーツにまで汗が染み出ている。取り合えず上着を脱ぎ、ネクタイを弛めた。失礼に当たる人もいないであろう。そもそも面接というのに、見渡す限り、人間どころか何かしら生きているものらしき影が一つとして見えない。
、、ここで1人で何をすればいいのか、さっぱり見当もつかない。 少し、少し、、足を進めてみた。足が砂に埋まる。膨大な量の砂である。海岸の砂とは顔つきが違う。海との境界線で、波に舐められるのを待っているような穏やかな砂ではない。自らが波になって、形あるものを飲み込もうという砂である。その砂の上に私はゆっくりと腰を下ろしたが、その熱の狂暴さにまた驚く。
50センチほど穴を掘り、ようやくそこに落ち着いた。煙草に火をつけたが、いつも以上に乾燥した味である。すぐさま喉が渇いてきた。気がつくとワイシャツも既に乾いている。代わりに塩分で白くパリパリに固まっている。既に汗も出てこなくなったようだ。
もう一度辺りを見まわした。全く何もない。ヘリの飛んでいった方向に何かあるのかもしれないが、ここから景色が変わるところまで歩くとなると、、その気力は湧いてこない。
それよりはじっと救助を待つ方が得策のような気がする。ここで私に一体何をしろというのだろうか。面接の一環としては質が悪い。 私は当てもなくさ迷う事が元来好きではない。この見渡す限り…、という状態がいけないのである。どこかに何か、一つの点でも見えれば、、と思うのだが、どれほど目を凝らしても微塵の影もない。相変わらず太陽は真上にある。時間は進んでいないのであろうか…。
脳裏に様々な空想が繰り広げられる。全てはスクリーンに映された映像で、実は自分が八畳ほどの砂漠に坐っているだけなのではなかろうか。上下から加熱機で熱し、太陽も映像なのではないか。どこかのスイッチを切れば全て消えるのではないか。私は砂をもう少し掘り下げた。その時、、、一瞬、、金属の肌らしきものが太陽の光を反射した気がした。
何かしら出てくる期待を持ちながら、しばらくの間その場を掘り下げてみた。もちろん砂は掘った後から流れ落ちてくる。何とか80センチ程まで掘ったが、砂以外の手応えもなく、無駄に終わった。惜しい体力を浪費しただけである。またその場にしゃがみこみ、細く長く息を吐いた。
唇も乾き始めた。尿意を催して一度穴から出て小便をしたが、それも砂に吸い込まれる前に蒸発するようであった。それを見届けるとまた穴の中に戻った。吹きさらしの風で穴は徐々に埋まるが、残り少ない体力でそれをかき出した。何とか拠点となる一つの点だけは残しておきたかったのである。
そのうちにまた、妄想が始まる。自分で妄想だと分かる妄想である。遠くにピラミッドが見える。その横にオアシスがある。それを私が真上から眺めている。砂漠から連想された、観た事のある風景だ。それが証拠に、その風景は四角形に収まり、ご丁寧にも額に入っている。ピラミッドは砂漠からの連想であろう。
このままではここから抜けられない。何かを生み出さなければならない。そろそろ体力も限界のようだ。乾いた唇を舐める事さえ億劫になってきた。目は既に閉じている。
体に力が入らなくなってからは、少し身を横たえるようにした。もう穴の底も熱くなっている。体には砂が降り注ぐ。しかしこれ以上掘るような体力もない。それでも心臓の音だけはこだまするほどに大きく聞こえている。そうして妄想が始まる。
それは流れる水の音から始まった。小さな川が段々と水嵩を増し、やがて流れは大きくなっていく。轟々と流れる大河が、すぐ鼻の先を通り過ぎる。しかし体は動かない。水がやがて足を濡らし、崩れた膝を浸した。不思議と水は熱かった。熱湯とは呼べないまでも、長い時間は耐えられないほどの熱さであった。
しかし体は動かない。私の意志を伝えても肉体は拒否をしている。熱さよりも、穴の埋まる悲しさに襲われる。湯はいつしか顎を濡らし、口を濡らした。確かにその感覚だけは残っている。唇とは意外に敏感である。耳は意外と鈍感であり、鼻は唇よりもしっかりと湯の存在を捉えた。
眼は既に感覚を失っている。肉体は可能な限り、逐一私に報告を入れたが、私のいう事を聞くものは、もはやいなかった。それが功を奏して、自分は体が埋まっている事に気付かない振りをする事が出来た。そして何とも気持ちのよい姿勢のまま、固まっていた。ふと水の分子が見えたような気がしたが、それが最後の記憶である。
気がつくと、会議室でソファに腰掛けていた。腰掛けていたというよりも、ソファに座った姿勢のまま固まっていた。目の前にはヘルメットをかぶったパイロットが机を挟んで向かいのソファに座っている。私が驚いて背筋を伸ばすと、目の前にいたパイロットはヘルメットを脱いだ。白髪が混じった短髪の40代、、、かそれくらいの男性である。
その男性は穏やかな表情を変えず、しばらくこちらをただ眺め、混乱している私に時間を与えているようであった。ヘリに乗る前より、さらに聞きたいことは山ほどあったが、、当然ながら整理仕切れる情報量ではなく、こちらから何かを聞くことは早々に諦めた。
「やはり、君はこういう方向に才能があるのかもしれない。いや、今回はいい働きをしてくれた。君はこの会社に興味があるかね?」
男性は私はただ呆然とするばかりである。何かこの会社に関する情報を私は得たのだろうか、、、。
「うん。そうだろう。それでは君には想像部で働いてもらおう。想像部の…、そうだねえ、映像課か、、感覚課、、どちらかがいいと思うんだが、どちらを希望するかね?」
私は大きく息を吐き、いつものように煙草に火をつけ、ふと我に返った。
「こちら、禁煙でしたか...?」
「...やっぱりねえ。感覚課だよ、君は」
それで私の入社が決まった。別に何の不満もない。
次の日から出社してみると、私には席ではなく、暗室が用意されていた。そして朝から夕方までそこに「いて」「妄想する」のである。時折飽きる事はあっても、会社を辞める程でもなく、これが自分の天職だとは到底思えないが、続けられる感触はあった。
何より、私は日々を生きる、、、とか生計を立てる、、、という目標に対して、まず形からでも入ることに成功した気がする。
これで少しは近づける、、、はずである。