『おきなわマグネット』というメディアのこと
今日は、僕が編集者として関わらせてもらっているWebマガジン『おきなわマグネット』について書く。
沖縄の課題の一つ、そして『移住』に関して、大きな壁となる沖縄の『働くこと』について
今、地方へ移住する20代、30代の若年層が増えてきている中で、沖縄も同様、これまでは老後の生活をリゾート地の沖縄で暮らす。という目的から、
より幅広い目的を持ち移住をする人が増えてきている。
特に全国の中でも沖縄は移住先として選ぶ方が多く、人口も現状は年々増加の傾向にある。
しかし、沖縄には様々な課題もある。
まず最初に挙げられるのは、給与水準だ。
地方であれば、どの地域でもこの課題はあてはまるだろうが、
特に沖縄は平均年収が47都道府県中、47位。
つまり最下位だ。(2016年現在)
ちなみに平均月収は25万3400円。
(厚生労働省発表の「賃金構造基本統計調査」をもとに、沖縄県の年収状況を算出。参照元→http://www.nenshuu.net/
『移住』を実現させるためには、もちろん生活水準を落として、暮らして行くこともできるだろうが、
多くの人が、今まで都会でもらっていた年収よりも落ちることがネックで、移住に踏み切れないということも多いだろう。
僕も実際に移住してから様々な人を見てきたが、それこそ初任給が12万。新卒7年目でも未だに給与は17万というようなひとが多いのも事実だ。
そして、何より僕が目の当たりにしているローカルの課題として、
沖縄は仕事を自己の実現、キャリアアップを目的として働くための、環境、インフラ、そして情報がまだまだ足りていない。→こちらに関しては全くないというわけではない。
事業や、プロジェクト、制作の上流の行程に携わらせてもらえにくいという環境も実際に多い。
どこでも暮らすことができる。
そして、パソコン一台あれば、どこでも仕事をすることができる。
そんな世の中になってきているのは確かだが、
まだまだその地域の弱さによる、壁は多くの人にとってハードルの高いものになっているのは確かだ。
そんな、沖縄だが、
暮らすための収入に関して、諦める必要があるわけではない。
先ほど、仕事に対して環境も、インフラも、情報も足りてないとは言ったが、全てがそうでないと書いたように、
沖縄は少しずつ変わってきている。
給与水準を高めるための動きも少しずつだが、進んでいるし、
働くことに関しての、
これまでの『生きて行くため収入を得る必要がある』という価値観だけでなく、
『自己実現』『キャリアアップ』
『好きなことを仕事にできる』という環境へと少しずつ変化しているのは確かだ。
話が少しそれてしまったが、
沖縄が今、様々な課題がある中で、確かにその課題は多くの現地にいる人が意識をして、解決しようとしている。
『おきなわマグネット』もそのひとつだ。
日本一のメディアを目指さなければやる意味がない
最近、『おきなわマグネット』の運営企業の代表がよく口にする言葉だ。
『日本一のメディアを目指さなければやる意味がない』
最初にこの運営企業と出会った時の話をする。
移住をテーマとしたWebメディアの立ち上げをしたい。
編集者を探している。
相葉さんにお願いしたい。
そう声をかけていただいたのは、2016年の春頃だろうか。
その頃、僕は前にいた会社を辞め、フリーの制作ディレクターとして独立をしてもうすぐ半年を迎えるという頃だった。前職でメディアの立ち上げ、編集に携わったという経験もあったので、いくつかのメディア立ち上げのお声がけをしていただいたが、『もうメディアはやらない』と断っていた頃だろう。
声をかけてくれたのは、今の『おきなわマグネット』のプロデューサーである平田氏だ。
平田氏とは、スタートアップ関連のイベントのゲストでご一緒させてもらった時が初めてだったが、
制作に関して、平田氏の価値観にとても共感することが多く、一緒に制作の仕事をしていきたいと思っていた相手だったので、是非お話を聞きたいと思って、彼の元に行った。
正直、またメディア立ち上げの話か...
県内のメディアは次々と立ち上がり、情報を発信し、乱立し、ユーザーが本当に得たい情報を得ることができなくなってしまっている...
中途半端なメディアはむしろ情報のゴミだ。
そのくらい沖縄のメディアに対してネガティヴなことを考えていた僕にとって、
メディアの話を聞きに行ったのは、相談をくれたのが平田氏だったからだろう。
メディア立ち上げの話を聞いたのは、当時、平田氏のオフィスがあった浦添のインキュベーション施設の1階のカフェだった。
平田氏がメディア立ち上げの話をする。
沖縄移住のメディアを立ち上げたい。
運営企業は平田氏がお付き合いをしていた派遣業の企業さん。
僕はこう聞いた。
運営企業さんの目的、そしてコンバージョンは何ですか?
派遣会社のコンバージョンであれば、
派遣登録に繋げるオウンドメディアだろう。
そう予測していた僕は、
平田氏からの返答に拍子抜けをした。
『メディアに関わるライターさんが書きたいことを書けて、みんなで楽しく運営してほしい!コンバージョンは今の所考えてない。』
コンバージョンを考えてないというのは、良くも悪くも様々な意見があるだろうが、
僕は何よりも、
自社の利益よりも先にライターさんが好きなことを書けて、楽しく運営してほしいという言葉が先に出る企業にとても感銘を受けた。
派遣登録の会社といえば、様々なイメージを抱くだろうが、
人材と関わる会社だからこそ、「人」に対する想いがすごく強く、そしてこのような考えた方ができる会社なのだろうな。とその時にすごく感じた。
そして、平田氏が既に『メディア立ち上げ後、2年間は様子をみてください』という話を運営企業にしており、それも了承を得たという。
メディアを運営するというのは、すごく体力がいる。
効果もなかなかすぐ出るものではない。
リリースをして10記事ほど出して、ほとんど反応がなく、運営企業が編集チームにクレームを入れる。という話を耳にタコができるほど聞いてきた僕にとって、
そんなことを言う運営企業は初めてでした。
とても理想的な運営企業と出逢えた。とその時僕は思ったのを今でも昨日のことのように覚えてる。
平田氏を含め、運営企業の代表に県内をはじめ、全国の記事の制作費の現状を話した。
取材、撮影、記事の執筆でライターさんがもらえる金額の話をして、運営企業の代表は
『そんな低い報酬だったらライターさんは生きていけない!もっともっとライターさんにお支払いしなくてはダメだ!!ライターさんの価値をもっともっと上げていこう!!』
そういう反応が返ってきた。
その時に、僕はメディアに対してのこれまでのネガティヴな想い以上に、
日本一、魅力的な運営企業が発信する日本一のメディアを作りたい。
そう思うようになった。
そして、集まってきた素敵なライターさん達
僕はすぐさまリリースに向け、一緒にメディアを作っていくライターさんを探した。
選ぶ基準は、ただひとつ。
僕が好きと思うライターさんたちだ。
好きな人と仕事をしたい。
そう考えていた僕は、一緒にやりたいライターさんたちに連絡を取った。
プロデューサーの平田氏の昔からの馴染みのメンバーも2名集まった。
価値観がすごく近い平田氏が勧めるライターさん、そしてカメラマンさん。
やはり凄く素敵な人たちだった。
そうやって、メンバーが集まって行った。
癖のあるライターさんも多い。
まだまだ編集者としての経験も多くない僕に、様々なメディアで書いているライターさんたちはいろんな意見を言ってきた。
とても参考になる意見から、クレームに近いものまで。
とにかく、そういうライターさんの意見を聞き、制作フロー、体勢を
平田氏と相談しながら、試行錯誤をし続けた。
記事が上がらない、明日あげる記事がない
メディア運営で特に苦労しているのは、スケジュールの管理だ。
とても魅力的なライターさんたちが揃っている。
彼ら、彼女らは他のメディアでも多くの仕事があるので、記事が上がるのが遅れたりすることも多かった。
更には、編集者として、僕自身のライターさんたちとのコミュニケーション不足もあり、スケジュールをさらに遅らせ、そしてチームづくりという点で多くの課題を作ってしまった。
運営企業の代表、粟國氏の想い、そしてプロデューサー平田氏の想い、
それを引き受けた僕がライターさんたちにそれを伝えることができていない。
そして、ひとりのライターさんに言われた。
相葉さんは何をしたいんですか?
ライターさんたちは、粟国氏、そして平田氏の思いを理解していた。
そして、それを含め、編集の僕自身がどうしたいのか。
そこが見えてこない。
そうひとりのライターさんに言われた。
全くもってその通りだ。
ライターさんが好きなことを書けて、楽しくチームで運営してほしい。
という運営企業の言葉を実現するために、必死で環境づくり、コミュケーション不足をどう補うか、
そして、編集業以外の制作の仕事に追われ
楽しく編集をできず、なかなか目標の記事のアップ数を達成できず、月日が経つ。
日々悩み、完全に笑顔が消えていた。
メディアの運営を楽しくやっていたはずなのに、なぜかキツさが多かった。
全てが自分の責任だと。
ずっと考えていた。
そんな時にひとりのライターさんとカメラマンさんが僕にこう話をしてくれた。
『僕ら、本当に時間たくさんあるので、もっともっと書きまくりますよ!!どんどんふってください!!』
涙が出るほど、助けられた言葉だった。
そして、プロデューサー平田氏が僕が企画編集に専念できるようにと、制作の進行部分のサポートなどに入ってくれるようになった。
相当助けられた。
新しいメンバーが入り、数字とともに、県内で少しずつ知られるようになった
新たなライターさんが入り、
少しずつですが、数字にも現れるようになってきた。
魅力的なライターさんたち、そしてチームの奮闘も少しずつ形になってくると
少しずつ、広告記事の相談も増えてきて、
そして、イベント出演のお声がけをいただけるようになってきた。
まだまだ県内の代表的なメディアにはなりきれてないかもしれないですが、
おきなわマグネット読んでます!
あのライターさんの記事が好きです!
そんな感じで声をかけていただけることも増えてきた。
そして、編集者は1人から2人になった
そして、メディアの立ち上げ1年を迎えると2017年8月。
編集者は僕1人から、2名となった。
加わった金城辰一郎氏(@illshin)はとても強力なメンバーだ。
僕では作りきれない内容を彼がライターさんと一緒に作ってくれる。
とても、心強く、頼りになるパートナーだ。
やはり、日本一のメディアを作りたい
立ち上げ1年を迎えるが、改めて昨日、運営企業の代表粟國氏と、平田氏に言われた!
日本一のメディアを作らないと意味がない!絶対にできる!!みんなで作っていこう!
まだまだ、そんなことを口にして、おこがましいと思われるかもしれないですが、
それでも、日本一のメディアを作っていきたい!
改めて、そう思っている。
そして、できる。
とてもいいチームになってきた。
最高のチームを作って、最高のメディアを作るために。
おきなわマグネット(@Okinawa_MAGnet)
あいばたいき(@dj_tai2u)