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リメンバー・ミー

2018 4/1 渋谷TOHOシネマズ
きっかけ コルクラボ

コルクの佐渡島さんにお声がけいただきラボの人達と観てきました。
僕はピクサー作品に弱いと思っていたけど、この作品も泣けてしまった。
それはピクサーの作品が生きている中で忘れたり、埋もれがちな『ほんとうに大切なもの(ほんとうのもの)』を一番効果的に見える設定で物語にしているからのように思う。

今回のリメンバーミーの核となるテーマは家族と感じる人が多いと思うが、もう少し広く『つながり』がテーマではないかと僕は感じた。

人の本当の孤独は心がこの世界の何ともつながり、関係を感じられない時で、人間関係だけを見ても無視やリアクションがないことが人を一番傷付けるように思う。
そして本当の意味での死とは忘れ去られることだ。

資本主義の効率化の中で、違いやエラーを悪とし、利益と無縁なつながりや関係、リアクションを最小限にして、変化のサイクルの高速化で捨てるモノや忘れるコトは増えた。
そうして生み出される物質的な豊かさと引き換えに僕らの世界は心の豊かさを少しずつ忘れていく。
その忘れられたほんとうに大切なものを物語として描いたのがこのリメンバーミーである。

物語の設定はメキシコのとある街。
物語の世界には、現世と死者の世界を設定しており、1年に1度の死者の日というお祭りの日はご先祖様が帰ってくる(日本のお盆?)と信じられ、各家庭でご先祖様の写真を飾り敬うわけだ。
現世に写真が飾ってあると死者は生者の世界に行くことができる。
そして現世に死者のことを覚えているものが一人も居なくなると死者の世界でもう一度死ぬという設定。
つまり死者の世界と現世は関係しあっているのだ。

もちろん現代を生きる我々は死者の世界があるとは思っていないし、過ぎ去った過去より今だよ、そして今を積み重ねた未来だよ、と前を向く姿勢が好ましいとされている。
僕もそこには同意できるが、ではあなたが大切にしている"今"は自分だけで積み重ねてきた"今"だろうか?

おそらく違うはずである。
両親や親戚、血のつながりはなくとも育て愛した人や近所の人、友人知人、すれ違うだけの人や一期一会の人、多くの人の愛情や仕事があなたとつながり、あなたの今を作ってきたはずである。
そしてあなたの今がみんなの今でもあり、誰かの今を育んでいるかもしれないのだ。

そんなふうに複雑にもつながり合いながら人の世界は作られていて、自分が脈々と続く過去のくじけない、あきらめない人達の子孫で今を生かされていることにも気付かされるとそんな過去と未来のためにも今により力が入るのではないだろうか?

過去や未来に自分の今がつながっているという意識が向けば向くほど今が大切になる。
そして自分のつながりを意識できるようになると他の人のつながりも想像できるようになる。

それがいわゆる優しさや思いやり、敬いといった感情や行動の源泉なのだとリメンバーミーを観ながら強く思った。

そういう普段忘れがちなほんとうに大切なことを物語を通じて伝えてくれる、伝えきれるリメンバーミーという作品は本当に素晴らしい作品でした。

もし機会があればぜひ。
最後まで読んで下さってありがとうございます。
ネタバレにはなっていないはず。

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