ドリハラと資本主義
ドリームハラスメントという言葉が流行っているらしい。
大人が子供に、「将来の夢はなんだ!?」「夢を持って人生を生きろ」と言うような行為で、若者は「夢から解放されて生きたい」と思っているらしい。
新卒採用の会社の面接とかでも、あなたの夢はなんですか?というのは定番の質問に思える。
若者の気持ちはとてもよくわかる。僕は個人的には夢をもっているような気がするけど、別に夢は持たないといけないもんでもないと思う。
別に夢なんか持たずに毎日楽しく生きるのも全然ありだと思う。それに、昨日書いたようにこれも表現の問題な気もしていて、夢なんかありません、と言う若者が、しばらく話しているとやりたいことを沢山熱く語っていたりする。
それを夢と表現するかどうかの違いだと思う。
ところで、なんで大人は子供に夢を持たせたいのだろう?もちろんそこに悪意はないと思う。いい人生を歩んで欲しい、夢を持つ人生は素晴らしい、と信じているから子供に夢を持って欲しいと思っているんだろう。
けど、もうちょっと深い社会的な理由もあるかもしれない。
この本にも書いてあったことだが、資本主義は夢の実現を早めるドリームマシン的な機能を持っている。
イーロンマスクは地球外の惑星への移住をミッションにして事業を展開しているけど、資本や負債といった形で大規模に資金を調達できなければ、その夢の達成ははるか遠い未来になってしまうと思う。
資本や負債といった形で多くの人がリスクを分散して資金を提供する仕組みがあるからこそ、イーロンマスクは数十年以内に地球外に移住するという夢を追いかけられる。
資本主義が壮大な夢の追及を可能にしている。
逆に言えば、誰も夢を持たず、誰も資本や負債という形で資金を調達せず、自分の手持ちのお金だけで細々と事業を営むとしたら、資本主義は成立しなくなってしまう。
銀行も貸付先が見当たらず、株式も債券も発行されないので株式市場も債権市場もなくなる。
資本主義を続けていくには人々が夢を持ち続けることが不可欠だ。
大人が子供に夢を持て、というのはそんな理由もあるのかもしれない。