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豊かになるとBullshit Jobが発生するのが宿命である:先進国におけるほぼ全ての職業はBullshit Jobなのでは?

1週間ずーっとBullshit Jobについて考えてきました。

なんで、高学歴、高収入の人に、なくなっても支障のない意味のない仕事についている人が多いんだろう?と。

Bullshit Jobはなくなるべきなのか?

さて、これを考える中で、ずーっと暗黙の前提を置いていました。それは「Bullshit Jobはできればなくなった方がいい。」というものです。「みんな、なくなったら困る、社会にとってエセンシャルな仕事をやりがいを持ってやっているのが理想的な社会だ」と。

でも本当にそうなんでしょうか?意味のない仕事ってなんでしょう?意味ってなんでしょう?意味の意味は?

僕らの周りには、なくなっても支障ないサービスばかり?

よくよく考えると、僕らの周りは、なくなってもまあ特に生活に支障はないサービスで溢れています。Facebookとかなくなっても別に生きていけますよね?もちろん、このNoteもなくなっても問題ないです。スマホとかも別になかったらなかったでやってけるし、ってことはスマホに入ってるアプリを開発してる企業の仕事もなくても生活に支障はないし。

で、それらのサービスを作ってる会社はどっちかというと優秀な人が高給で働いているイメージですよね。

そんなもんだし、それが悪い事なのかと言われればそうでもなさそうです。ネットゲームを作る仕事に意味を見出せる人もいれば、見出せない人もいます。Noteだってあった方が良いし、Facebookも(SNS中毒にならない限り)世界中の友達と連絡をとるのに便利です。

もしくは、スポーツとかもそうだと思います。僕はサッカーが好きですが、あれも、よくよく考えたら籠に球を蹴るだけの遊びです。それが上手かったらどうなるの?何の意味がある?とか考えはじめるときりがありません。

でも、その籠に球を蹴るのが地球上でもっとも上手い(であろう)リオネル・メッシはおそらく地球上でもっとも給料が高い人の一人でしょう。

だからって別にメッシが意味のない仕事してるわけじゃないし、なくなった方が良いわけでもない。

そういうもんだ、と考えることもできます。基本すべてBullshit Jobになり得るんだけど、あとは個人がそこにやりがいを感じられるかだけだよ、と。

世界は豊かになった

一昔前は全世界で生産されている富の量を世界人口で割ると、全員が貧困層になるくらいの富しか世界全体で生産できていなかったと思います。

でも、今は、同じことをすると、おそらく全員がそれなりの暮らしをできるくらいの富が生産されているはずです。少なくとも、全世界で生産されているカロリー量を世界人口で割ると、全員が満足なカロリー量を摂取できるだけの食料は生産されています。

豊かな社会になったということだと思います。

そのうち、ほとんどすべての「なくなったら本当に困る仕事」は自動化されるかもしれません。農業とかは自動化が進んでますし、住居も3Dプリンタで作れる時代が来そうです(そもそも、空き家問題が深刻になるほどすでに余っている。)洋服だってほぼ自動で作られていて、ものすごい量が捨てられています。衣食住は人間がやらなくても手に入る時代が来ているのかもしれません。

とすると、ほとんどすべての仕事は「なくなってもさして生活に支障のない仕事」になるかもしれない、ということです。(てかほぼなってる?)

Bullshit Jobの蔓延を受け入れる価値観

だから、もしかしたらBullshit Jobの蔓延は宿命なのかもしれません。ただ、技術の発展(衣食住の生産のほぼ完全自動化)より価値観の変容は遅いので、先日書いたように、まだ「仕事してない=悪」という価値観が残ってるのかもしれません

昔は、「一人が仕事しない=全体がその分貧しくなる」だったのです。でも今は、「一人が仕事しない=なくても別に差し支えない仕事のポジションが一つ空く」くらいになっているのかもしれません。

だから、価値観も徐々に変わっていくんじゃないかなーと思います。

明日に続く



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