生産性の高い仕事ほどBullshit Job?生産性と働く意味のパラドックス
Bullshit Jobの原因についてもう一つ思いついたのでメモ程度に書いておこうと思います。
儲かるビジネスの特徴?:非労働集約性
「儲かるビジネスは労働集約的ではない」なんてことがよく言われると思います。
例えば、ゲームの開発、販売なんかは、一度ゲームを開発してしまえばあとはソースコードをコピペして売ればいいだけなので労働集約的ではないビジネスと考えられていると思います。
こういうビジネスは儲かります。
なので、どうやったら大金持ちになれるか、みたいな本ではよく「自分で働くな!儲かる仕組みを作れ!」みたいなことが言われます。
逆に、教師や介護のような仕事は(今のところ)労働集約的な仕事だと考えられていると思います。自分が働かないと(教壇に立って講義をしたり、介護をしたり)お金は入りません。こういう仕事は、あまり儲からない、みたいなことが言われています。
資本主義は非労働集約的ビジネスを好む?
FacebookやGoogleなどのプラットフォームビジネスも非労働集約的な特徴を持っていると考えることができるでしょう。仕組みさえ作れば、あとはたくさんの人がそれを利用して、たくさんの広告需要が生まれて、どんどん儲かっていく、というビジネスモデルです。
Facebookの利用者がどれだけ増えても、Facebookの従業員を大幅に増やす必要はありません。サーバーの数とその管理者の数を少し増やすくらいでしょうか。
これが、例えば、学習塾というビジネスではそうはいきません。生徒の数が2倍になれば、教師の数も約2倍にしないといけません。
こうして、非労働集約的なビジネスは儲かります。儲かる会社には投資したい人がたくさんいます。資本は非労働集約的なビジネスに集まります。資本主義は非労働集約的ビジネスを好むのかもしれません。
(「急速に成長するITスタートアップが〇億円資金調達!」みたいなのはよく聞くと思いますが、「急速に成長する学習塾が〇億円調達!」みたいなのはあまり聞かない気がします。)
エッセンシャルワークは労働集約的ビジネスに多い?
さて、前に少しエッセンシャルワークについて考えてみましたが、エッセンシャルワークの多くは労働集約的な気がします。エッセンシャルワークの代表例を挙げると、教師、医者、介護職、福祉職、などがあるかと思いますが、これらはどれも労働集約的な仕事でしょう。
そうすると、非労働集約的な仕事より儲からない。なので、資本が集まらず、給与も低い傾向にある。
エッセンシャルワークは最もやりがいを感じられる?
こうして、エッセンシャルワークは給与が低くなってしまう傾向がありそうです。が、と同時に、エッセンシャルワークは最もやりがいや社会への意義を感じられる職業であるようにも思います。人を教育する教師や、人の命を助ける医者、困っている人を助ける介護・福祉職などなど。
一方で、非労働集約的な職業はBullshit Jobになりがちなのかもしれません。そりゃそうです。非労働集約的ビジネス、ということは、労働しなくても回るビジネス、ということなので、極論その人がいなくても構わない、ということだからです。定義からして。
そこまで極論しなくても、非労働集約的ビジネスにおいては、「仕組みが上手く回っていますよ」ということを管理するだけでいいんです。それで、「今日も問題はありませんでした」という(ぶっちゃけどうでもいい)報告書を書いてればいい。
非労働集約的ビジネスを好む資本の論理がBullshit Jobを生み出す?
ここに大きなパラドックスがあると思います。いいビジネス(儲かるビジネス、「付加価値の高い」ビジネス)、投資家が好むビジネス)とは非労働集約的であり、意味や意義を感じられないBullshit Jobになりがちだ、ということです。
(これは、「だから資本主義が悪い!」みたいな単純な話ではないと思います。非労働集約的な利益率の高いビジネスに投資して高い利回りを得たい、と思っているのは、資産運用をしたり、株式投資をして高い利回りを得られたら喜んでいる我々です。貯金してFIREして、高い利回りで資金を運用して、労働から解放された人生を楽しみたい、と思っている人も、Bullshit Jobの創出に貢献しているかもしれないのです。)
新しい時代の仕事に対する態度が必要?
まとめます。
人類はずーっと生産性の向上を目指して働いてきました。一人が一日働いてコメ1キロを作れるより、一人が一日働いて10キロ作れる方が良いのは明らかです。
その議論の延長で、(ほぼ)働かなくてもたくさんの富を創り出す仕組みが好まれます。それが「非労働集約的な仕事」です。
非労働集約的な仕事やビジネスモデルはたくさんの利益を生むので、たくさんの投資を集めることができ、従業員に高い給与を払うことができます。
でも、非労働集約的な仕事というのは、定義からして「ほぼ人手がいらない仕事」なので、従業員は「この仕事、別に自分がやめても誰も困らないよね」と思う。Bullshit Jobの出来上がりです。
Bullshit Jobの蔓延にはこういう背景もあるのかなーと思っています。
生産性が大幅に上がり、富があふれるようになった世の中では(食料とか服とかは廃棄しているし、空き家問題も深刻=衣食住に関する富は全体として余っている、ということ)仕事に対する新しい考え方が必要かな、なんて思っています。
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