コラム いつか来た道 1
ジム・ロジャーズの話
いつも朝の電車ではAirPodsでオーディオブックを聴いている、今日は有名な投資家であるジム・ロジャースの話。日本はやばいぞ!って話、人口減少に借金過多で生き残った国は歴史上存在しないと話していた。
彼は「おそらく50年後には日本は無くなってしまうだろう」とも話している。そんなことはないだろうと楽観的な自分もいるが、今のような「政治屋」の政治を続けていると日本も終わってしまうかもしれない。
実際は50年も経たなくても日本が空洞化してきている、大都市の優良資産が中国資本に買われて、国内のリゾート地も中国語と英語表示ばかりで日本語は無くなりつつある。「ここはどこだ?」と思わせる。
ジム・ロジャースは50年後の日本は世界一の犯罪国家となっていると断言している、仮に自分(彼)が日本人であれば、子供に護身用の武器を買い与えるか海外に移住することを考えると言っていた。
今後確実にやってくるのは人口減少とインフレと高齢化社会である。それぞれにどう対応するのか政治家のはアイデアがない。テレビの討論会でも「政治とカネ」の話ばかりで実質的な議論は聞こえてこない。
ジム・ロジャースは同じアジア圏であれば韓国と北朝鮮の統合に大いに注目している。実際、北朝鮮には観光資源、人材資源、鉱物資源が豊富にある。これらが韓国と統合することで大きな発展が望めるとしている。
終わらない週末の話
NETFLIXのドラマ「終わらない週末」(オバマ元大統領監修で有名)では、一般人が知らないうちに国家の分断が進み、最後は崩壊するアメリカの姿を描いている。一般人が、TVの娯楽を楽しんでいるうちに水面下では国家が崩壊への道を確実に進んでいるのだ。
このドラマの舞台はアメリカであるが、日本に置き換えることができる、いや置き換えるべきだと思う。ゆでガエルのように呑気にお湯に浸かっているが、知らない間にだんだん熱くなって沸騰してしまうのだ。
地上波のテレビは本質的なニュースを伝えずに意味もないお笑い番組しか流さいと批判され、地上波のテレビを観れば観るほどバカになると言われた。その結果、多くの若者がSNSのニュースを信じることになるが、後述するが、今やSNSのタコツボ化が問題となっている。
今の若者で地上波テレビのドラマを口にする人はあまり聞いたことがない、むしろその話題を持ち出すことも馬鹿にされそうだ。地上波の番組を見ているのは中年以上の高齢者だけとなっている。
又、SNSの情報も絶対的な信頼がない、近年、金融界隈でもいくつもの根拠を示して「リセッション(景気後退)が来る!」とSNSで何年も前から叫び続けている人が多くいた。私もその意見に賛同していたが、必ずしもそうではない気がしている。
しかし、世の中の大きな流れはある。テレビやSNSの意見も参考にするが、最終的には自分で調べて、考えることがマストな時代だ。これまでの慣行に囚われたり、歴史に縛られては次の未来を捉えることはできない。
ゆでガエルの話
会社の人々を見て思うことは、仮に水面下で国家が崩壊への道を進んでいなくとも、時間は確実に流れているが、時間が停滞している人がなんと多いことか。10年前から進化せずに同じことを繰り返している人がとても多い、ある意味、これが本当の「終わらない週末」なのかもしれない。
会社の会議では「自分を変えていこう」「自分をアップデートしよう」を繰り返し言っている。しかし、実際変わったと思える人は一握りだ。殆どの人は他人事だと思って何も変わらない。
このように他人事だと思っている人はゆでガエルのように沸騰しないと気付かないのだろう。しかし、その時になったら遅いのである。巷にはこのように終わった人が多い。
世の中は激変しつつあるのに、アップデートできない人など相手にしている暇はないのだ。
発達障害と境界知能
昭和時代は、会社組織は20%の人が優秀で60%の人は普通で、残り20%の人がダメ社員というのが通例だった。
今は個性を活かすのが理想と言われている、優秀と普通の人以外は、発達障害や境界知能の人など何らかの苦手分野を持った人、パニック障害、コミュニケーションが苦手で単純作業が得意な人、など分類が細分化する。
優秀と普通以外は何かしら障害を持っているという体だ。しかし、これはある意味合理的だと思う。人々はずっと人間関係で悩んできた、しかし、自分が悪いのか、どうすることもできなく悩んできた。
しかし、人間関係がうまくいかないのは精神的な病気のせいだったと思えば、なんと前向きになれるのか。悩んでも無駄だったのだから。今の時代は精神的な病気だからダメではなく「病気も特性の一つ」という捉え方。
そもそも自分が普通なのかというとそうではない気がしてきた。人より真面目だし、神経質だし、緊張しやすく、何か気難しい。決して自分は皆の見本にはならない、だから、自分のやり方を無理強いするのは止めている。
老いと反対車線の見極め
人間は壊れていくものだ。ずっと同じではいられない、若い時のまま柔軟な思考力は維持できない。独占欲、名誉欲、高度なプライド、嫉妬と妬み、短気、どれをとっても高齢になればなるほど増していくものだ。
よくおじさんが若い女性とのトラブルに巻き込まれる。きっとおじさんが冷静な判断ができないからだ。ここは性欲かもしれないが、その前に独占欲もある。若い女性との関係は、若い時に卒業しておくべきことだった。
若い女性が30歳や40歳も年の離れた年上との純愛は絶対にない。あるとしたらお金目当てか癒し程度(ペットのようなもの)のものだ。真剣に自分が好かれていると思ったら大間違いだ。
パパ活全盛時代の話
今の時代はパパ活全盛時代だ。パパ活は20代女子の特権かと思っていたが、今やJKもやっていると聞いて驚いた。「JKのパパ活はやばいよ」と20代の女子も敬遠する、つまり合法ではないところあるそうだ。
しかし、その背景には世の中の歪がある。若い女性はお金を持っていない、給料も低く、ただただ生きていくだけである。一生に一度の若い時期を、少しでも輝かせたいと思うと+アルファのお小遣いがパパ活となる。
彼氏を作っても彼氏がお小遣い(収入の足し)をくれるわけでもない、下手をすればDVの可能性や浮気癖の可能性だってある。そこにあまり合理性を感じないのが今の背景だろう。
SNSのタコツボ化の話
X や インスタグラム や YouTube などのSNSがタコツボ化していることが人の意識を歪めているという指摘が出てきている。SNSのタコツボ化とは、SNSのアルゴリズムがユーザーの興味をキャッチして、興味のある分野を集中的に表示していく現象である。
毎日こまめにチェックするSNSが、偏った投稿ばかりを表示するとどうなってしまうのか。世の中の中心値とかけ離れていくことは間違いがない。
例えば少しエッチなSNSばかり見ていたとすると、次からはスマホでエッチな投稿ばかりを見せられてしまう。「なんだ、世の中はエッチばかりだな、性の開放なのだな」と勘違いして、性犯罪を犯してしまうわけである。
性トラブルの場合、多くが「他の人もやっているじゃないか、どうして自分だけ・・」と言うものの、実は誰もやっていないのである。
SNSのタコツボ化を防ぐためには、自分の興味のある分野以外もあえて表示させていく工夫も必要だろう。
本当にやばい国の話
森永卓郎さんの「書いてはいけない」(三五館シンシャ)を読んで、世の中の動向を注視していたが、あまり強い批判はないように思う。ここまで注目を集めた書籍だけに何らかの反応があっていいようなものだ。
関係者も書籍の内容が違うなら「違う」と言っていいと思うが、何故か沈黙を保っているように感じる。この場合、この本に書いてあることは本当だと類推してもいいと思っている。
しかし、仮に本当だとしたら、政府や国は国民を欺いていることになり、かなりやばいことになる。本当に「やばい国」なのだ。その上で、個人個人がどうするのか、どう生きていくのかを決めなければいけない。
SNSのヘビーユーザーの間では、世の中の終末期論争が活発化している、「いよいよ終わりの時がくる」「2025年は終わりの始まりの年」など世界の終わりを煽るが、これまで毎年のように同じことを聴いてきた。
終末期の煽り屋と森永卓郎さんの書籍は全く違うものだが、冷静に考えていかなければならないことは事実だ。
死者のマインドの話
死者のマインドという言葉がある。株式投資で一番儲かっている人は、株を持っていながら死んでしまった人ではないか、これは確かにそうだ。理由は死んでしまったら売ることがないからである。
生きていると、どこかで売る、換金する。しかし、長期的に見るとまだまだ上がることの方が多い。換金してしまっては、もう一度その船に乗ることが心理上難しくなってしまうのだ。
株(その他の資産でもいい)を買ったら、思い切って10年や20年はそのまま放置しておくくらいがいい。勿論、途中で少しづつ追加投資してもいいが、中途半端で売ると中途半端な儲けしかできない。
私も10年や20年の長期にかけて投資しているものはないが、偶然にも25年前に買ったマンションが3倍近くまで価格が上がっているのだ。この25年間の住むためのコストはタダになったのだ。
文字通り死んでしまっては元も子もないが、一回の投資は放置するくらいの覚悟で臨んだらどうだろうか。