
僕の師匠を紹介します〜Gt.あゆさん〜
僕には『人生の師匠』と呼べる人がいる。
僕をバンドに誘ってくれた『あゆさん』(男)だ。
あゆさんと僕との出会いは僕が小学生の頃まで遡る。
僕が週2で通っていた柔道教室の先生があゆさんだ。
当時あゆさんは確か22〜23歳くらいで髪はSIAM SHADEを意識した金髪で筋肉モリモリの熊みたいな人だった。
僕らは週に2回あゆさんに2時間しごかれ、ボロ雑巾のように投げられまくっていた。
後に聞いたのだがあゆさんは県内の柔道指導者の中でも一目置かれる存在で
『どうやってあの短期間でそのチームを育てたんだ?』といろいろな人に聞かれていたらしい。
本人曰く『お前らに当時やらせてた練習メニューは本来バリバリの大学柔道部とかにやらせるやつだからな。』とのことだった。
柔道は小学校卒業とともに辞めてしまったのであゆさんと再びよく話すようになったのは僕が19歳くらいになったころだったろうか。
ひょんなことからよく家に遊びに行って一緒に酒を飲んだりするように、、、いやそれは20歳になってからだったか。
僕があゆさんと遊んでいるのを僕の母はよく思っていなかった。
あゆさんは僕らが物心つく前に地元の新聞に載るほど大きな事件を起こしたらしく、地元では札付きのワルだったのだ。
あゆさんは大工をしていた。
現場の手伝いに呼ばれて、その夜に現場の人たちと行ったカラオケで僕の歌を初めて聴いたあゆさんが『オレのバンドでボーカルをやれ』と強引に僕をボーカルにしたのだ。
あゆさんはバンドではギターを担当していた。ベースもドラムもあゆさんの大工仲間で僕よりも10以上年上の人たちだった。
僕がアコギを少しばかり弾けることを知ると『エレキギター練習しろ』とあゆさんは言った。
エレキギターを複数所持していたあゆさんはどれでも好きなやつを一本貸してやると言った。
テレキャス、ストラト、レスポールカスタム、レスポールスタンダード
の4本から僕はあゆさんの部屋の壁に掛けてあったレスポールカスタムを選んだ。
BECKではダントツで竜介がカッコいいと思っている。
それを見てあゆさんは『ボーカルはテレキャスに決まってんだろ!』と僕にフェンダーのテレキャスターを持たせた。
どれでもいいって言ったよね?
僕にイエモンやBlankey jet city、ハイスタを教えてくれたのもあゆさんだ。
2人で話していた内容は多岐にわたる。
音楽の話は割合的には多くない。
基本的にはバカ話や下世話な話が多い。
あゆさんは反応や間の取り方が独特で、変な世界観を持っている。
『あゆさん!イカ釣ってきて今刺身作ったんですけど食います?』
『うむ。』
これはメールのやり取りではない。
マンガじゃなくて本当に『うむ。』とか言う人を僕は初めて見た。
僕が『真理』という女性と付き合っていたことを知ると『じゃあイエモンのマリーに口づけ歌え!』と言って僕にCDを貸してくれた。
『ちゅるんす』
僕らのバンド名だ。これもあゆさんが付けたのだが未だに意味はわからない。
そんなあゆさんだがたまに核心をつくようなことを言ってくる。
『お前ら親にもらった小遣いでパチンコなんか行くなよ!お前の父さんがどんな思いしてその金稼いだと思ってんだ!』
兄のいない僕にとってあゆさんは兄貴のような存在だった。
程なくして仕事の関係で遠くに引越してしまいバンドはおろか連絡さえしなくなってもう10年以上経つ。
今なぜそれをこの記事に書いているか。
風の便りにあゆさんの話を聞いた。
仕事上の事故で寝たきりになってしまいもう長くはないかもしれないと聞いた。
その時が来る前になにか残しておかなければと思ったのだ。
フェンダーのテレキャスターも未だに返せていない。
僕の人生に多大なる影響を与えたあゆさん。
『ちゅるんす』は解散宣言などしていない。
僕は未だに『ちゅるんす』のボーカルなのだ。