【トリばァnote】アートを鑑賞して語り合う体験-他者の視点を得て私は何を見つけたのか?
こんにちは!アート・コミュニケータ「トリばァ」です。
私たちトリばァは、取手駅(茨城県取手市)直結の駅ビル「アトレ取手」4階にある ”たいけん美じゅつ場VIVA”を拠点に、アートと人、人と人を結ぶ活動をしています。
今回は、そんなトリばァが、対話をしながら作品を鑑賞したたいけんレポートをお届けします。
作品を「調査」するように鑑賞しよう!
VIVAには主に東京藝術大学の卒業・修了作品を公開展示する東京藝大オープンアーカイブ(以下:オープンアーカイブ)があります。
ここには、みんなで作品を鑑賞しながら調査依頼書(以下、調査書)に書かれた質問について考える、たいけん美じゅつ研究所(以下:VIVA研)というVIVAならではのプログラムがあります。
このプログラムは、オープンアーカイブの作品を一方的にみせる場所ではなく、『公開型』収蔵庫として市民とともに作品を育てていく場にしていこうと、通常は専門家しか携わらない美術作品の「調査」を鑑賞者とともに体験することを目的に作られました。
どんなプログラムかというとオープンアーカイブにある作品を調査書を手がかりに鑑賞します。調査書は10種類あり、調査書毎に1つの質問が書かれています。例えばこんな質問です。
「どんな味がしそうですか?」
「別のタイトルを考えてみよう。」
「作品の中に入ったらあなたは何をしますか?」など、
調査書を選んで、それをもとにVIVA研を行います。
調査書にはその質問に対して自分が思った答えを書きます。
そして、参加者同士で、答えた内容をシェアし、思ったこと、気付いたことを伝え合いながら作品鑑賞を行います。
普段は考えないような質問が多いのですが、その問いを考えながら作品をみると見方が変わりますし、ほかの参加者の答えを聞くと、自分だけでは見えてなかったところに気が付きます。
そんな”たいけん”(体験)をできるのがVIVA研です。
今回のnoteは、トリばァがVIVA研に取り組み、その体験について伝えます。
10種類の調査書を作家さんに届けよう!
オープンアーカイブに展示されている作品は、約1年ごとに展示替えがあり、作家から借りている作品が本人の元に返却されることもあります。
2月下旬に作品《湖の化石》が2024年3月25日に作家の角野理彩(すみのりさ)さんに返却されるとのお知らせがありました。
そこで、最後にトリばァのみんなで《湖の化石》を鑑賞しよう!
せっかくならVIVA研をたくさんやってみようということになりました。
返却日までわずか1ヶ月。あっという間に作品はみられなくなってしまいます。
「3人集まればVIVA研」を合言葉に、タイミングが合ったトリばァやスタッフが集まって、《湖の化石》を鑑賞しました。
いつもは案内役のトリばァ同士が鑑賞する側になってやってみました。
集まった調査書は、作家の角野さんにも見てもらえるので、トリばァからのメッセージを調査書に込めて届けたいという思いもありました。
目標はVIVA研10種類の調査書をコンプリート!
《湖の化石》の今回届けることができた調査書は58枚!
10種の調査書をコンプリートしたトリばァも何名もいました。
「問い」を持って作品をみること - 六人六色の気づき -
3月にトリばァ達がVIVA研をした体験談を6月に、インタビューと寄稿であつめてみました。
同じ作品を1ヶ月で10種の調査書全部をやるのはみんな初めてでしたが、1つ終わると「次いくよー」「はーい」みたいに、ノリと勢いでこなしてゲームみたいに楽しんでました。
そんな調子ですから一緒にやった人が何を言ったかとか細かいことはもう覚えてないけど、自分の体験としての記憶は残っているようです。
普段、作品を鑑賞するときには一通りみたらそれで満足して自分自身の見方にあまり変化はないけれど、今回の活動では、同じ作品を何度もみたり、いろんな人と対話しながらみてみました。それは作品の見方あるいは自分自身にどんな変化をもたらすのでしょうか。
トリばァたちの体験談をきいてみました。
◆飯塚さんの出会い
-作品が自分のもののように感じられた
《湖の化石》を題材にVIVA研をした中で、一番印象に残っている質問が「この作品にタイトルをつけるとしたら」です。
私は「例え私たちが出会えなかったとしても」とつけました。
例え私たちが出会えなかったとしても。
湖の対岸を歩いている人に、私は気づくことがないかもしれない。
同じ場所にいて、同じ風景を見ていても、出会うことがない人たちに思いを馳せました。
今だけではなく、過去にこの場所にいた人も、これからこの場所に行く人も、出会えなかったとしても、同じものを共有して繋がっていく。そんな思いを込めたタイトルです。角野さんが気にいってくれたら嬉しいなと、作家さんへのメッセージも込めました。
こんな答えが自分から出てくるなんてと驚きました。そして、嬉しかった。角野さんの作品が自分のもののように感じられたから。それはきっと、湖の化石を何度も何度も見て、様々な質問に答えていくことで、見えてきたものではないかと思いました。
私にとって、同じ作品で10のVIVA研をやるというのは、作品の深さにはまっていく行為でした。自分の中にあるものと対話するような感じです。
そんなふうに、自分と対話ができたのは、みんなで話すことで、見つけられたものかもしれません。
同じ作品を見ているのに、それぞれ違う方向からタイトルをつけていて、説明を聞くとどれもがなるほど!と思えるタイトルでした。
でも、私には、私がつけたタイトルがしっくりくる。
相手を認めて共感することと、自分の内面を見つけること、どちらも出来たのが、私にとっての「VIVA研で10の質問に答えてみた」の成果です。
会話をすることは、話すことであり、聞くこと。
いろいろな思いが聞けて楽しかった。
またやってみたいです。
◆池田さんの考えたこと
-平面から感じる空間と時間
質問がなんだったのか忘れてしまいましたが、どんな色が見えますかだったかな?
「向こう岸にだけ色がある、緑が。向こうは彼岸、こちらは此岸」と言ってみて、なんだか自分で気に入りました。
それまでやってきた質問はいつもの自分ならこういうよなという答えだったのであんまり覚えてないんですけど、この質問で向こう岸に色があると言ってみたら空間の拡がりを強く感じたし、そこに彼岸という時間の隔たりも感じられて記憶に残っています。
◆安藤さんの記憶に残ったこと
-作品を通じて人を知る
わたしの時はたまたまですが、年齢を重ねたトリばァ同志でVIVA研をやりました。横に長い作品を前に、セピア色というかモノトーンというか、色の諧調の話をしてましたね。その日は時間があったので、気心の知れたトリばァ仲間でゆっくり話せたのがすごく楽しくて。作品を前に作品のことを話してるんだけど「そんな風に感じるんだ」「そういう捉え方をするんだ」と、普段は話さないことを話して、一緒に観ている人の想いや意外な一面がみえてきて、話してるその人を感じられました。
◆田中さんのVIVA研の帰り道
-変化する鑑賞とわたし
この作品でのVIVA研10回目、「(この作品を)持って行きたい場所はどこですか? 理由も教えてください」の質問のときに浮かんだのが、地下鉄構内。
通路の壁に飾って、ときどきプロジェクションマッピングでカラフルな鳥や花がすーっと動き回りやがて消えるという仕掛けもして、日々の忙しさの中にある通行者の人たちにふとゆったりした時間の流れや周囲とのつながりなんかを感じてほしいと思いました。
それって、この作品をクールなデザインっぽく感じていた1ヶ月前の自分ならおそらくしなかっただろう発想なんです。
そう思うと、この発想はみんなと重ねてきたVIVA研体験のコラージュのような気がして、なんだかうれしく感じて...その日の帰り道、ふと、今の自分もそうやっていろんな重なりでつくられてきたんだなぁって、これまでのことをいろいろ思い出したり、懐かしい顔が浮かんできたりしました。
◆大山さんが思ったこと
-作品を前にして感じた作者の意図
パネルが横に長くつながってて初めて見たときから銭湯を連想してました。
僕はねVIVA研やるときは、ファシリテーターとして案内役してる時も鑑賞者として見てますね。参加者の時ももちろんそうです。
《湖の化石》はどっちの立場だったかはっきりしないけど、じっと観ていたら気がついちゃったんですよ。
15枚ずつパネルが一組になってて、それを繰り返して三回目を9枚にしてあるのは、ずっと先まで続く余韻を感じてほしいんだよねって。
本当はもっとずっと遠くまで繰り返していきたいんだよね。
◆森さんは、自宅で自主練100本ノック(10の質問×10の回答)をやってみた
-私とあなたと作品のあいだにうまれる創造力
質問に1答でなく10の答を捻りだすというのを「一人(ときどき、みんなと)100本ノックVIVA研」と称してやってみました。
「1問10答」という体育会系のノリは、VIVAの草創期に日比野(たいけん美じゅつ研究所長)さんがスタッフにVIVA研の質問を考えるミッションを課された時、質問を100個考えて、その中から選びなさいと聞いていたからです。
一人で答を捻り出して追い込むにつれ、新しい自分の内面が湧き上がるようでした。質問毎に10の回答の中から一番気に入ったファイナル・アンサーを選ぼうとすると、類想的な直観の回答と捻りすぎた大喜利的な受狙いの回答との間で見つけられました。それは作品の核心と自分の芯が響き合った新たな創造物のように思えました。
一方「ときどき、みんなと」の時は通常のVIVA研です。
ファシリテーター(案内役)を務めた時の質問は「持って行きたい場所はどこですか?」で、皆の回答にはイメージもしなかった場所にこの作品を設置するものがあり驚かされました。
1人でVIVA研に取り組んだときの自分の回答とみんなの回答を比べると、私が『持っていきたい場所』は、水がある「プールサイド」や「銭湯」、あるいは水の無い「砂漠」や「廃墟」など、水を意識した場所だったことに気が付きました。
当初のファイナル・アンサーは「プールサイド」でしたが、みんなの幅の広い回答に刺激を受けて、水が無くなったカラカラ浴場の様な「廃墟のテルマエ」をファイナル・アンサーに選び直しました。
通常のVIVA研とは異なる変則的な方法でしたが、『湖の化石』との距離を縮めるためには効果があったと思います。
◆まとめ
作品を前に「問い」に向かい合って、はじめて動きはじめる心の奥があるし、いままで見過ごしてきたし、気づこうともしなかったことに目がいくようです。
この後9月になってから、この時のトリばァに集まってもらって作品鑑賞について話してみました。その時の話題は鑑賞法としてのVIVA研ってどうよとか、鑑賞法として一般的な対話型鑑賞(VTS)との比較などが話題になりました。
美術館に行って作品を見る時には、一人で静かに視覚情報や知識から頭で考えて理解しようとすることが多いと思いますが、対話型鑑賞では作品を介して案内役と鑑賞者が対話して、常に作品に戻って対話しますから、じっくり作品をみていけます。
ところがVIVA研には ”どんな味がしそうですか?”というような質問があって、そんなこと聞かれたこともないし、おそらく語られたこともないから、虚を突かれるというか、びっくりしますよね。
でも、そこから、味覚とか触覚とか他の五感も刺激されて頭でなく五感からの発想が始まるというVIVA研体験を語ってくれたのが面白くて記憶に残っています。
対話をしながら鑑賞を重ねることでどんな変化があったのかの問いに、聞き出せた答えはここまでですが、返却当日に作家の角野さんと一緒におこなったVIVA研や作家インタビューの様子が既にこちらのnoteにあります。
ここにも「他者の視点を得て私は何を見つけたのか?」の答えがあるように思います。
【トリばァnote】作品を介して対話する鑑賞者と作家──商業施設でアートをともに育む
《湖の化石》研究ラボメンバー:
飯塚、池田、エルサ、大山、田中ま、田中み、西原、日比、森(50音順)noteで発信お試しラボメンバー:
飯塚、池田、植田、エルサ、大山、熊谷、田中ま、田中み、藤井、森(50音順)
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