東京藝大オープンアーカイブ——アーティストインタビュー|大西景太さん
JR取手駅に直結した駅ビル「アトレ取手」の4階には東京藝術大学の卒業修了制作の一部を保存・公開する「東京藝大オープンアーカイブ」があります。ここでは作品の保管や展示を行うだけではなく、対話を用いた鑑賞プログラムを日常的に実施しています。
2020年12月19日に大西景太さん(2006年 東京藝術大学大学院デザイン専攻修了)と森田太初さん(2006年 東京藝術大学大学院博士後期課程修了)を招いてアーティストトーク(記録は順次公開)を行いました。当日はアーティストトークの他に、「東京藝大オープンアーカイブ」に展示をしている大西さんの卒業制作《polyphony》を囲みながら、アート・コミュニケータ「トリばァ」が作品や学生時代のことなどについてインタビューを行いましたので、その対話を記します。
※東京藝大オープンアーカイブ内での《polyphony》の展示はすでに終了しています。
東京藝大オープンアーカイブ アーティストインタビュー
日時:2020年12月19日
場所:たいけん美じゅつ場 東京藝大オープンアーカイブ
アーティスト:大西 景太
インタビュアー:尾形 香穂、岡田 豊、加藤 光敏、森 徹(アート・コミュニケータ「トリばァ」)
写真:冨田 了平
大西 景太さん アーティストトークの様子
大西 景太(映像作家)
1980年神奈川県に生まれる。2006年東京藝術大学大学院デザイン専攻修了。音楽の構造や音の質感をアニメーションで表現する手法を用いて、映像インスタレーション作品やMVを制作する。また CM、コンセプトムービー、モーションCI など広告表現やTVコンテンツ制作にも携わる。現在、東京工科大学デザイン学部講師。
プロフィール|https://www.viva-toride.com/news/45
アーティストページ|https://www.keitaonishi.com/
東京藝大オープンアーカイブで《polyphony》の展示を囲んだ作者への
インタビューの様子
1. 作品について
ーまず最初に自己紹介と作品の解説をお願いします。
「大西景太です。2004年に学部を卒業し、大学院に進学しました。2006年に修了し、それ以来、幾何学形体を用いた映像を制作しています。私の制作で特徴的なのは、音とか音楽に関心が強いことで、場合によっては他の音楽家と一緒に制作を行うこともあります。
この場所(東京藝大オープンアーカイブ)での作品の見え方は本来の展示と異なります(*1)。本来の展示では高さ二メートルほどあるスクリーンが三面鏡のように開いていて、そこにプロジェクターを三台用いて一面ずつを投影していました。そのスクリーンの後ろにはそれぞれスピーカーが一個ずつあり、それぞれ別の音が出ていて、三方向から出力される音と映像を体感するという作品でした。そういったスタイルの作品はこれが最初でしたが、それ以来、音の視覚化であるとか音楽の構造を表す作品を創っています。」
※東京藝大オープンアーカイブで、《polyphony》はモニター(一台)を用いて展示を行いました。
ー《polyphony》は白と黒のコントラストがとても綺麗です。カラフルではなく、黒と白で構成した理由は何かありましたか?
「まず黒についてですが、プロジェクターは黒を色として表現できないので、照明条件によってはスクリーンに白い丸だけが動いているような見え方になるんですね。スクリーンの四角にとらわれない映像を意識していました。
また、“動き”の情報量が多いのでカラフルにしてしまうと分かりやすくなる一方、要素が多すぎると思いました。動きと音だけで情報量は十分だと考え、あえてシンプルを目指しました。色があると冷たいとか、あったかいとか、意図せざる情感を与えてしまうことがありますよね。また地下鉄の路線図みたいに識別のためのものになってしまうと、考えと違うことが伝わってしまうなと思い、要素を絞っています。」
2. 制作過程を振り返って
ー絵コンテやシナリオを用意してから制作されたのでしょうか?
「映像だと普通は絵コンテを設計図として描いて作っていくのが常識ですが、この場合は音と動きのパーツをまず作ってから、それをもとに音楽を構成しつつ映像も同時に作っていきました。パーツから作っていったので、全体設計が最初からあるわけではなかったです。」
ー制作時間はどのくらいかかりましたか?
「卒業制作というのは年間を通して作るものですが、当時はプレ卒というのがありました。前期に試作をつくって、9月以降の後期では本格的につくるんです。ですから実質は、半年くらいだと思います。」
ー制作過程での試行錯誤で苦労した思い出などありますか?
「同じコード進行を繰り返すような曲でしたので、そういう場合、アドリブで何を入れても大丈夫なんです。和音を表す映像中央の形はほとんど同じことを繰り返しているので、左右の図形がどう動くかを試行錯誤しながらアイデアを考えていきました。
例えば三角が開くとこういう音になるとか、思いつくたびにパーツを組み替えながら曲として終われるように。丸と三角と四角から始まり、最後は元に戻るというように、始まりと終わりだけは決めていたので、その中で自由に実験していました。」
3. 視覚、聴覚、触覚ー異なる感覚を結ぶ表現
ーなぜ四角と丸と三角を選ばれたのでしょうか?
「当時はあんまり考えてなかったです。今だったら、カンディンスキー(*2)とかそういうことを言うこともできるかと。三角は鋭角的で丸は柔らかさで四角は角ばっているという形体を、音の要素として捉えると三原色のようなイメージとして機能できると考えてはいました。」
ーこの作品に使われている音はどのように作りましたか?
「サンプリングした音源を使ったりもしてます。基本的には自分で録音したものを加工して、それを使って並べていくんです。
当時使っていたソフトが FLASH というもので、基本的には Web 用の映像を作るものなんですけど、時間軸の中に点を置いていくような作りをしていて、その点のところに単音をはめることができるのです。そうすると映像と音楽が同時にできるようになっていて、映像をつくると同時に作曲もできたという感じですね。」
ー映像自身の動きが音や声を発しているようにみえますね。
「そうですね、なるべく全ての動きに音がついてくるようにしていくと、生命感というか、キャラクターみたいなものが表れてくるんです。」
ー録音する時は楽器などを使いましたか?
「この時はどうしてたんだっけな。多分、実際の木とかを打ち付けたりして、その音を録音したり、だいぶアナログなことをやっています。ピーっと切れる音は完全にサイン波で、ソフトウェアで作っています。生音も楽器も、生成した音もいろいろ使って作りました。」
ー共感覚や絶対音感などが創作のきっかけであったりするのでしょうか?
「そういった特殊な能力は別にないです。でも共感覚的なことは誰でも持っているのではと思います。自分自身の創作意欲は、音楽が好きという気持ちが発端です。」
ー大西さんの作品は音が視覚化されているようで、また映像が音となって聞こえるようにも感じます。目や耳の不自由な人たちにとっても鑑賞しやすい作品でもありそうですね。
「そうですね。リズムや音は、映像や振動によって耳が聞こえなくても受け取れる場合があるので、可能性はあると思います。実際、音を触覚的に捉えてるという事から制作に入っているので、色々な五感を結びつけるようなことができるのではとは思います。」
ー今後の《polyphony》の展示場所について、作者本人としてどのように思われますか?
「もし今後展示する機会があればですが、元々プロジェクターで投影することを前提に空間の中で作用する映像展示をしたいと考えていました。音の位置も、3カ所から音が聞こえる状態でみて欲しいなというのがあります。」
4. 学生時代ーー現在
ー大西さんは取手キャンパスでは学ばれましたか?取手の印象はいかがでしょう。
「当時の藝大は学部の1年生だけが取手に通う制度でした。1年間、突然田舎に隔離される体験ですが、それはとてもいいことだったと思います。急にアートを学ぶ人たちだけがいる環境に、隔離されて放り込まれるという刺激はありましたね。」
ー彫刻作品の場合は収蔵後、10年ぶりに会えたみたいな話がありましたが、この作品だと自分のPCの中でたまに見返したりしますか?
「5年前ほど前に見返しましたね。自分の過去の作品をまとめる必要があり、ポートフォリオを作るタイミイングに思い出して見たのは覚えてますね。」
ー大西さんからこの人と一緒につくってみたいと思うミュージシャンやアーティストはいますか?
「コーネリアス(*3)は好きだったので一昨年一緒に制作をやらせていただいたのは良かったなと思います。
今後は自分から構造を提案して、こういうやり方で楽曲を作って欲しいという依頼を元にしたミュージックビデオの作り方もあっていいのではと考えます。視覚的な構造が先にあり、それを元にした音楽ができたら面白いと思っているので、協力してくれる方を探したいです。」
ー影響を受けた人はどなたかいらっしゃいますか?
「音楽が好きなので色々な音楽家が好きです。細野晴臣さん(*4)とか。卒業制作をしていた頃、映像では、現在ピタゴラスイッチなどをつくっている佐藤雅彦さん(*5)に影響を受けていました。その方は描く人ではないですが、誰にでも描けそうな絵で表現するという手法に影響を受けたと思っています。」
ー2004年に制作した作品《polyphony》をみて、改めてどのように思うのかお聞きしたいです。
「もっとこういう風に作らなくてはいけないなと思いました。古い作品なので、自分ではアラがあるな、とわかってるんです。ただ、今手がけている作品などはある音楽の音源をもらって、分析をして、構造を可視化していますが、そのような既存の音楽の可視化はすでにほとんどやり尽くしているんですね。構造的にできている音楽というのは数が決まっているからです。この作品のようにイチから音も映像も一緒に作るからこそできるものがあると思っています。そういう意味ではすごく原点的な作品で気に入っているものです。」
*1
2004年、当時の卒業制作展示風景
出典|https://www.keitaonishi.com/oldworks
*2
カンディンスキーは、20世紀前半の抽象絵画の創出と発展に大きな役割を果たした画家。絵画を精神活動として見なし、色彩や線の自律的な運動によるコンポジションの探求に取り組んだ。
出典|https://www.artizon.museum/collection/category/detail/168
*3
コーネリアス(小山田圭吾)
1969年東京都生まれ。'89年、フリッパーズギターのメンバーとしてデビュー。バンド解散後 '93年、Cornelius(コーネリアス)として活動開始。現在まで5枚のオリジナルアルバムをリリース。 自身の活動以外にも、国内外多数のアーティストとのコラボレーションやREMIX。プロデュースなど 幅広く活動中。
出典|http://www.cornelius-sound.com/jp/biography/index.html
*4
細野晴臣
1947年東京生まれ。音楽家。1969年「エイプリル・フール」でデビュー。1970年「はっぴいえんど」結成。73年ソロ活動を開始、同時に「ティン・パン・アレー」としても活動。78年「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、歌謡界での楽曲提供を手掛けプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。YMO散開後は、ワールドミュージック、アンビエント、エレクトロニカを探求、作曲・プロデュース・映画音楽など多岐にわたり活動。
出典|http://hosonoharuomi.jp/
*5
佐藤雅彦
1954年静岡県生まれ。東京大学教育学部卒業後、77年電通に入社し、CMプランナーとして活動。CM制作において、曲・音をベースとした映像、商品名の繰り返し、濁音を使ったセリフといった独自のルールやトーンを敷き、サントリー「モルツ」、湖池屋「スコーン」「ポリンキー」「ドンタコス」、NEC「バザールでござーる」などのヒットCMを生み出した。
出典|https://bijutsutecho.com/artists/200
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?