東京藝大オープンアーカイブ——アーティストインタビュー|小林龍太
2021年12月12日に小林龍太さん(2004年 東京藝術大学大学院修士課程工芸科鍛金専攻修了)を招いてアーティストトークを行いました。今回は小林さんの修了制作である《化石形成論》に関して、作品を囲みながらアート・コミュニケータ「トリばァ」が作品や学生時代のことなどについてインタビューを行い、その記録を公開します。
作品との17年振りの再開:幼少期〜学生時代の記憶をふりかえる
ご自身の作品と再会し、今の率直なお気持ちをお聞かせください。
「卒業してから17年ぶりに作品と再会しました。まず最初の感想は思ったよりちゃんと作れたなと感じました。というのも2ヶ月程の短い時間の中で作ったので、記憶も曖昧なところもあるのですが、今日は当時を思い出しながらお話したいと思います。」
小林さんが修了された時に提出された制作意図の文章を読みました。地層についての記述が印象に残ったのですが、どのようなきっかけで化石や地層に着目したのでしょうか?
「そうですね。幼少期の頃から住んでいた自宅の裏山みたいなところが崖になっていまして、小学校に上がる前から化石と触れ合う機会がありました。そこから化石や地球誕生の歴史が大好きな小学生になりました。それで当時見ていたNHKの映像とか図鑑とかの記憶が断片的にあり、この作品に繋がったように思います。丸い感じは溶岩が押し寄せてきて、瞬間的に固まる様子だったり。この管みたいな部分は、水脈をイメージしていたり。昔みた映像のバラバラの記憶が一個の形になったのがこの作品です。」
具体的にどのような番組や図鑑をご覧になっていましたか?
「NHKでよく見てたのは地球大紀行でして、地球誕生から酸素ができるまでなどを知る番組が好きでした。あとは子供向けの図鑑や科学雑誌ニュートンも好きでいろいろ見てましたね。」
東京藝大オープンアーカイブの中で《化石形成論》を鑑賞した方は昆虫や植物、爬虫類など様々なものに見えるそうです。制作する上で具体的なモチーフはありましたか?
「モチーフはなかったです。衝撃的に頭に残っている記憶だけで作った感じでした。確かに制作当初から下の部分が足に見えるなど、言われていました(笑)」
小林さんは首席で卒業されていますが、決まったときどんなお気持ちでしたか?
「廊下を歩いていたら宮田亮平先生に呼ばれて、よく道具などを出しっぱなしで叱られていたので、また何かやらかしたかなと思ったんです。“首席に決まったから、いいね?”みたいな感じで、それに”はい”って答えたぐらいかな(笑)」
当時は自分が首席をとるぞ、という気持ちはありましたか?
「特にはないですが、やれるだけやろうという感じでした。制作期間も短いので、僕が今思い返しても驚くぐらいのスピードなので、若さがすごいなと思います。考えることなくもうひたすら作り続けたって感じですね。」
地層に擬えた、仕事の過程と表層
作品の銅色の風合いにとても魅力を感じます。化石の表現に銅と鉄を使ったことで得られた素材への知見や経験はありますか?
「素材についてですが、工芸科では大半は色揚げをすると思います。ですが僕の場合、鉄はそのままだったりします。銅も熱を加えて柔らかくするのにバーナーで炙るのですが、その時に黒い酸化膜ができ、それを酸洗いして色を綺麗にします。この1つの加工で熱を加えて柔らかくして、金づちで叩くと酸化膜の跡は剥がれます。叩かれてないところは酸化膜がそのまま残るのです。再度変形させたい時はまた火で炙ります。このように酸化膜が仕事の工程のたびに蓄積されていくことで、残っていった過程が作品となりました。それが仕事の蓄積というか地層的にも見えるのではと思います。
真っさらに酸洗いをして、色揚げはしたくないなと思っていて、仕事(素材への加工)の跡を残しています。」
なるほど。制作意図にも書かれていたことは、そのように何回も何回も作業をされていった仕事の積み上げが、視覚的に地層という形に現れた作品ということですね。
「そうですね。鉄と銅の二つの素材は、実のところ相性が悪いです。鉄の方が負けて錆びてしまいます。逆に最後はもう錆びて土に還ってもいいかなと思っていて、敢えてを錆びやすい素材を選んでもいます。」
制作期間とそのプロセス
材料はどのくらい使われましたか?またどのくらいの期間が完成までにかかりましたか?
「制作には2ヶ月ほどかかりました。当時は10月か夏休みが終わったぐらいから卒業制作がスタートし、冬休みも使ったのでたぶん2ヶ月半ぐらいかなと思います。制作費は、たまたま廃材やもらい物の銅がありまして、結局自分が買ったのは鉄パイプくらいです。おそらく9,600円くらいです(笑)」
それは驚きです!複雑な形をしている作品ですが、設計図みたいなものは初期段階から確立してありましたか?
「設計図はなかったです。工芸科だと立体を作るときにワイヤーフレームで最初におおまかな形を作り、その曲面に合うような板を溶接したりすると思うのですが、僕はそれが嫌いなんです(笑 )
最初にゴールが見えててその通りに作ったとしても、作業でしかないという感覚が学生の時からありました。受験のときもエスキース(下絵)は全然しなかったです。なので直感で制作していきました。」
作品や制作との向き合い方
今日のお話を聞いて、化石へのこだわりを強く感じました。今、生きているこの時代を社会的に進化していると言うか、逆に退化していると感じる人もいるかもしれません。過去のものである地層や化石を、現代の鑑賞者として見たときに何か感じるものはありますか?
「化石に対する鑑賞者としての意見は特にないですね。当時はやはり素材と自分に向き合っていました。社会という考え方はそこに入ってなかったと思います。ただ自発的に自分がっていうぐらいの考え方で作りました。」
《化石形成論》が展示されているこの場所ができて2年ほど経ちますが、これまでにたくさんの人がこの作品を鑑賞しています。小林さんはこの作品を置きたい他の場所はありますか?
「屋外に置く場合は、砂漠などの何もない無限の世界だと、作品はあまり良くないものになってしまうと思います。屋外彫刻は地形の基準や形なども考えながら作るものなので、どこに置くかというのはなかなか難しいですね。屋外ですと必ず錆びが進行すると思います。真っ茶々になるんだろうけど、それもそれでいいかなと思っていますね。」
今日は小林さんのご家族もいらっしゃっています。息子さんは何か感想を言っていましたか?
「…かっこいいらしいです。笑」
素晴らしい感想をありがとうございます!今日は本当にありがとうございましたました。
インタビュアーを終えたトリばァ、菊地慶さんの感想
今回、小林龍太さんに修了制作である《化石形成論》についてのインタビューを行い、作品についてはもちろん、小林さん自身の内面についても触れることができたのではと思います。
インタビュー前に作品を鑑賞した時は、その有機的な形の複雑さや素材の表面にあらわれる一つ一つの細かい表現に驚き、制作者の小林さんには手がたくさんあるのでは?(それぐらい加工の数が多い!)とも思ってました。直接会って話せることに期待と緊張が入り交じりながらインタビューに臨みました。実際お話してみると小林さんは、質問に対して二呼吸置いてゆっくり話をはじめ、また物腰柔らかく、私もリラックスして質問をすることができました。
インタビューを通じて作者側の考えや当時の思い出を聞いたことで、この作品の奥深さをより体感できると感じるようになりました。《化石形成論》は小林さんの幼い頃の記憶と結びついていて、地層や化石を視覚的、また制作のプロセスを通じて表現した作品であることがわかりました。小林さん自身の内面に潜んでいたものを、作品の作業工程の跡一つ一つに綴っていった軌跡が表面に刻まれている作品である、とインタビューを通じて知ることができました。
作品について深く知ることは、アーティスト自身のその人となりについての理解も育むものだと、このインタビューの経験を通じて発見しました。また作者ではない人も作品への愛着から、作者であるアーティストをより深く知ろうとする態度も生まれていったと感じました。