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東京藝大オープンアーカイブ——アーティストインタビュー|森田太初

JR取手駅に直結した駅ビル「アトレ取手」の4階には東京藝術大学の卒業修了制作の一部を保存・公開する「東京藝大オープンアーカイブ」があります。ここでは作品の保管や展示を行うだけではなく、対話を用いた鑑賞プログラムを日常的に実施しています。

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2020年12月19日に森田太初さん(2006年 東京藝術大学大学院博士後期課程修了)と大西景太さん(2006年 東京藝術大学大学院デザイン専攻修了)を招いてアーティストトーク(記録は順次公開)を行いました。当日はアーティストトークの他に、「東京藝大オープンアーカイブ」に展示をしている森田さんの卒業制作《産卵》を囲みながら、アート・コミュニケータ「トリばァ」が作品や学生時代のことなどについてインタビューを行いました。

東京藝大オープンアーカイブ アーティストインタビュー
日時:2020年12月19日
場所:たいけん美じゅつ場 東京藝大オープンアーカイブ
アーティスト:森田 太初
インタビュアー:尾形 香穂、岡田 豊、加藤 光敏、森 徹(アート・コミュニケータ「トリばァ」)
写真:冨田 了平
執筆:宮内 芽依

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森田太初さん:アーティストトークの様子

森田 太初(彫刻作家)
1977年東京都に生まれる。メキシコ、埼玉県にて育つ。2006 年東京藝術大学大学院博士後期課程修了。その後、東京都を中心に個展多数開催。2011年神戸ビエンナーレで奨励賞、2012年川越トリエンナーレで優秀賞、2015年神戸ビエンナーレ準大賞など受賞。

1. 幼少期〜学生時代〜現在

「森田太初と申します。 ”太初(たいしょ)”が本名でして、今はいい名前だなと思うのですが、子供の頃は少し説明するのに苦労しました。

僕は取手キャンパスができて最初の彫刻科の学生で、大学一年の時は貧乏でお金がありませんでした。食べ物に困り、夜中に小貝川で鯉を釣ったりしてました。お腹が空いていたので泥抜きせずに、その日の内に食べたこともありました。今も取手キャンパスの敷地内には様々な動物がいると思いますが、当時は猿やうさぎが出没することもあり、ある先輩はうさぎを獲って焼いて食べたこともあったようです。食べられるものは何でも食べていましたね。

また子供の頃から自然が好きで今でもよく登山や釣りをします。
僕にとって記憶に残る大事な時期というのは、必ず自然や川、野原があったりしてみんなで焚き火をしたりした時間を含みます。それらの経験が作品を制作する上で、非常に大切な材料となると考えています。なので取手で過ごした時間は財産です。

藝大の彫刻科の中でも専攻に分類があって、木、石、粘土、金属などに分かれます。工芸と異なり専攻の分類に縛りはなく、複数を選択することが可能で、さらには映像を用いたりパフォーマンスをしてもよく、とても自由です。なので当時、金属を専攻としながらも、木彫や石彫も制作しました。
今でも鉄と木を組み合わせた作品が多いです。木と鉄を組み合わせて、表面はステンレスで骸骨を作ったりとか。昔の桐ダンスを想像してもらうと、端は鉄で本体は木でできていますよね。そういった組み合わせがかっこいいなと思い、創作の出発点となっています。

卒業後、藝大の彫刻科で金属を専攻するクラスで非常勤講師を7年ほど勤めました。現在は退職し、彫刻家として生計を立てています。」

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2. 二匹のトンボが連なる《産卵》の形や色から浮かび上がるテーマ

「僕は学生の時から『生と死』を一貫したテーマで扱っています。
《産卵》ではトンボが上下に連結し、下にいるメスは卵を産むエネルギーを表しています。エネルギーを絞り出してトンボは死んでいくので、その生きる瞬間を切り取れたら面白いなと思いました。
ねじれや曲線は鉄を曲げて作っていきました。鍛金技法といって鉄板を切り、真っ赤に焼いて、赤いうちに叩きます。叩いて叩いて徐々に丸い形状を繰り返し作っていく作業です。

色に関してですが真鍮の金色で光を表現し、黒い部分の鉄は油焼きという技法を用いています。”光と闇”、”生と死”を対比させています。
本当の金だと劣化せず、光り続けますが真鍮は経年変化していきます。酸化していくので、徐々に鈍い色合いに変化していきます。真鍮を好んでよく使うのですが、それは経年変化して1000年経ったら多分無くなっていると思うのです。
作品はずっと残るのがよいと考える作家もいますが、僕の場合は最終的にはなくなることがよいと考えます。人間よりは長生きするけど、いつかは消滅していく物質の過程を示す生き物のように。
光を放っていて綺麗なのだけれども、光が徐々に無くなっていくことが狙いの一つです。100年後だと、今ほど光っていないのではないでしょうか。真鍮が青くなっていたり、酸化の影響で白い粉が出ていたりとか。真鍮は複数の金属でできており、鉛とかが粉になるんです。作品が永遠に一定ではなくゆっくり酸化していき、今日と明日では作品が実はちょっと違う。

何事にも相反する事柄って存在しますよね。生き物の生の強さは死があるからです。永遠の命を神様から授かったらすごくつまらないものになると思います。終わりがあるから面白い、ということを上手に表現できたらと思い現在も奮闘中です。」

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3. 鉄を素材として選ぶ理由

「まず学生の時、鉄を主な素材として使用していました。意外とみなさん気づいていないかもしれませんが、僕らが生活しているところって鉄でできているんですよ。構造物も鉄でできているし、家電や調理具や大工道具等々。そもそも僕らが立っている地球も鉄の塊みたいなもんなんですよね。
工業中心の社会となっていった時代を鉄の時代だと僕は思っていて、身近にありすぎて当たり前なことに多くの人が気づいていないということも鉄の面白さだと考えます。
『生と死』というテーマも、要するに存在が消えていくというように、鉄も放っておくと酸化して無くなっていくということが共通します。ステンレスや金、チタンだと残ります。なので身近な素材でありながらも経年変化していくことが鉄の特徴です。
みなさんには鉄を無機質で冷たいようなイメージがあるかもしれません。でも僕は、鉄は柔らかいと思っています。柔らかくて魅力的な形を作ることができて、多くの人が抱くイメージとギャップがあることが面白いと思っています。きっとみなさんも共感してくれるだろうということが、よく使う素材として鉄を選んだ理由ですね。」

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4. 卒業制作との再会で思い出すこと、感じること

「《産卵》は、15〜16年前の博士3年の終わりに制作したのですが、その頃は僕の考え方が転換する時期でした。学部と院に在籍していた時は骸骨を用いた死を表現する作品を多く作っていました。僕はメキシコ育ちでして、メキシコだと骸骨が街中にたくさんあるんです。ランチマットにもドクロがあったり、骸骨の祭りが有名でして、その祭りは日本だとお盆にあたります。身近な素材として死のイメージのドクロがありました。また仏像に穴を開けた作品も作りました。死が直接的に伝わる作品の制作を考え始めた時期でした。

この作品は『産卵』を題材として扱い、卵が産まれることで『生きる』ことにクローズアップし、作品の『生と死』という動きを試みました。《産卵》の前は蝶を作っていました。死に羽が生えて飛んでいく、その転換を表したような作品でした。今でも『死』を表現したいのですが、どちらかというと『生』を扱いつつ、よく見たら死の臭いがする作品を作りたいですね。

漫画家の手塚治虫の作品を想像してもらえるといいかもしれません。一番好きな作家を聞かれたときは、手塚治虫と答えます。彫刻家ではありませんが、自分にとって一番実感のある天才は手塚治虫だと思っています。彼の作品は非常にポップで絵柄も可愛いのですが、なんだか毒があるんです。その相反する表現方法が、皆さんの心に引っかかる気がするんです。

《産卵》はちょうどこういった転換期の作品なので、テクニック的には後悔が残るというか、学生らしさがある作品ですが、非常に思い入れが強いです。皆さんとは異なる見方になってしまうかもしれませんが、自分にとってすごく良い作品だと実感としています。」

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5. 東京藝大オープンアーカイブで展示をされていることについて

「VIVAに来るのは3回目です。ここでは様々な人が作品を観てくれていて本望です。卒業時に大学美術館に買い取ってもらえたことは嬉しいことなのですが、なかなか作品が外に出てこない状況というのは歯がゆい思いがありました。
作った本人としては作品自体に一つのテーマはありますが、オープンアーカイブでは来た人自身が感じたことを共有する鑑賞方法を実施していて、多様な見方を受け入れるこの場所自体が面白いなと思います。今後もう少し長い期間、展示されて、コロナの状況にもよると思いますがたくさんの人に見てもらえたらいいですね。」

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