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ICMR2019を失ったときの話

遡ること4年前の2019年3月17日、3月にしてはよく冷えたその日は恵那市では雪が降っていました。
ICMR2018は、学生選手権大会としては何十年かぶりに岐阜県恵那市の望郷の森で開催されました。特に男子選手権の部では近年稀に見る接戦が繰り広げられ、私の出身校である慶應義塾大学は準優勝という華々しい結果を残しました。3走の桃井が東大の種市を抜いて1位に躍り出たと実況に報じられた瞬間と、勝負が決して東大が優勝し、その7秒後に桃井がフィニッシュした瞬間は学生時代で一番深く印象に残る光景のひとつとして今もよく憶えています。いいチームでした。
そして当時学連登録3年目だった私は、最終学年である翌年の春も、当然ICMRが開催されると思っていました。

(社会人になった今でも、時々インカレ動画は見ています。)


自己紹介とか

この記事はオリエンテーリング Advent Calendar 2023(裏アドベントカレンダー)24日目の記事です。掲載が遅れてしまいすみません。

みなさん初めまして。慶應義塾大学2016年度入学(OB4年目)の上村太城と申します。好きなテレインは望郷の森です。現在は関西に住んでいて、近場の大会を中心に月1・2回オリエンテーリングをしています。関西在住でオリエンテーリングを続けるのは大変だなと感じつつも、大きい大会にはなるべく行くようにしています。社会人になってから体重が増えましたが、今も走っています。(6月に100kmマラソンを完走しましたし、先月10km39分で走りました。足速くなりたいです。)
慶應義塾大学でオリエンテーリングに出会い、森や公園・キャンパスを走ることの虜になり、いつしか毎週毎週オリエンテーリングに行くようになっていました。いろんなテレインに行き、いろんな人と出会いました。インカレでは選手権クラスに3回出場し、誇れるような結果は残せなかったですがどれもいい思い出です。
表題のICMR2019は、開催されていれば私たち2016年度入学の引退試合となる大会でした。

ICMR2019はご存知の通り中止となりましたが、私は日本学連の幹事として、当時その決断を下した1人でもあります。その際の経緯と、中止が決定して以降の私自身の気持ちの変遷を整理したいと思い当記事の作成を決めました。
なぜ今更、と思った方もいるかもしれませんが、時間を経てむしろようやく整理できるようになったというのが私としては正確です。一介の幹事にすぎませんでしたが、自分の手で、自分と同期最後のICMRを中止するという経験は強烈すぎて、私が受け止めるにはあまりにも大きすぎました。見苦しい自分語りも多々含まれるかもしれませんが、備忘の意味合いもかねて素直に書いていきます。

※この記事は私個人の主観に基づいた記事であり、当時の他の学連幹事・理事や、実行委員会の皆様の公式な見解ではありません。


開催状況

インカレが完全復活した2022年以降にオリエンテーリングを始めた方も読んでいるかもしれないので、2019年以降のインカレの開催状況を以下に示します。(ICSL2020・2021あたりは不出場校があるかもしれませんが、調べても出てきませんでした。)

ICSL2019(2019年11月)…開催
ICMR2019(2020年3月)…中止
ICL2020・ICS2020(2020年10月・12月)…開催
ICMR2020(2021年3月)…中止
ICSL2021(2021年11月)…開催
ICMR2021(2022年2月)…開催(ただし、数校は不出場
ICSL2022(2022年11月)…開催
ICMR2022(2023年3月)…開催
ICSL2023(2023年10月)…開催

上記の通り、ICMR2019とICMR2020は開催中止、ICMR2021は開催されたものの、慶應義塾大学、東北大学などの数校は大学による規制のため参加できず、完全な形での開催とはなりませんでした。
これは新型コロナウィルス感染症の感染者数が冬から春にかけて増加する傾向にあったため、春インカレ開催にあたってテレインのある自治体から開催中止を要請されたり、大学クラブに対して大学が課外活動を行わないよう要請されたことが主な原因ではないかと思います。
完全な形での開催は、ICMRに限っていえば、コロナ禍以降では2023年3月開催の石尊山インカレが初となります。
つまり、ICMR2019は中止という決断を初めて下された大会だったことになります。

経緯

経緯の詳細を知るには ICMR2019の報告書を参照されるのが望ましいと思います。本記事では、私が印象に残っている出来事に絞って記載していきます。

2020年2月23日、切畑豊能で開催された阪神奈大会で、インカレ実行委員会の宮川早穂さんと学連幹事で春インカレについて話し合いました。大会会場は体育館でしたが、舞台袖の裏側でこそこそ話し合ったのを覚えています。当時は2月頭にダイヤモンド・プリンセス号での集団感染が発覚し、厚労省からイベント主催者へイベント開催の必要性について再検討するように、とお達しが出た頃でした。店頭からマスクがなくなるようになってましたが、日々の新規感染者数はまだ国内で数十人程度で日本社会全体としてはどこか他人事感があり、まだコロナは「社会の敵」として強く認識されていなかったと思います。

話し合いにより、「インカレを中止or延期せざるをえない可能性がある」「感染拡大防止の観点から屋内イベントは中止」という大枠が決まりました。
当時の私としては、開会式と後夜祭は仕方ない、本大会は延期はありえるかもしれないが流石に開催はできるだろう、くらいの感覚で、春インカレが開かれないまま自分の現役生活が終わることを具体的にイメージすることは全くできていませんでした。

その日からの展開は急すぎて、ひとつひとつの会議については私はあまり鮮明には思い出すことができません。その4日後の2月27日に矢板市側が、元の日程だった3月13日‐15日での開催NGの見解をしめしたことを受け、5月以降に延期して開催を模索することになりました。単に開催するかどうかだけでなく、延期・中止した際の返金だったり、延期先の日程で出場できない選手の扱いはどうするかなど、数々の議題が浮上し、連日幹事会を行っていました。
3月に入ると社会情勢も目まぐるしく変化し、WHOがパンデミック宣言を出したり、ヨーロッパでは感染者が爆増して都市封鎖されたり、3月下旬には東京五輪の延期が決定され、首都圏での外出自粛要請が発表されました。全国からオリエンティアが移動し、ひとところに集うインカレの開催は、日に日にかなり難しくなっていきました。

(この章の作成にあたり、以下のサイトを参考にしました。もはや懐かしい出来事が、驚くほど短期間の間に起こっていたことがわかります。)


中止を決定した日

そしてついに3月27日のzoomでの幹事会で、インカレの中止を決断することになりました。この日は、くしくも大会を延期することを決めてからちょうど一月後でした。感染収束の見通しがつかない中、もはや安全に開催できるロジックがなく開催できないことは頭では理解していましたが、私は開催を諦めたくない旨の発言をしてしまいました。
議論が紛糾する中でも幹事長の藤本や、谷野は冷静に会議を進めてくれました。渉外にあたっていた山川さんは矢板市との交渉の様子を教えてくれましたが、4月以降の野外の大きな大会もほどなくして中止になるだろう、と言っていました。会議に参加していた誰もが、インカレを中止したくないという気持ちでいっぱいだったと思いますが、結局全会一致で開催中止が議決されました。「インカレの中止を決定します」と話した、藤本の声は震えているように感じました。
ここでは、「インカレの継続開催のためは、今回は中止とするのが最善か」という藤本の言葉が印象に残っています。私はインカレがなくなることが理不尽に感じ、悔しくてたまらなくて、冷静にものを考えることは到底できていませんでしたが、このような冷静かつ筋の通った結論を導いた藤本は本当にすごいと思いました。

そして幹事会後、翌日の広報用の議事録を作成しました。インカレ中止という決断を伝える議事録なので、内容に不備がないよう念入りに作成していましたが、確認のために何度も読み返していると本当に最悪な気分になりました。また作成している中で自然とこれまでの4年間を思い出していました。特に、このインカレに懸けてきたであろう同期ひとりひとりの顔が頭にうかび、こんな形で幕を引くことになり申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。


中止を伝えた日

幹事会で春インカレ中止を決断した翌日、私は学連HPを編集してお知らせを作成し、当日の15:00に公開されるように予約投稿しました。また、学連公式twitterにて更新内容をツイートしました。これらはオリエンテーリング界へ、春インカレの中止を直接広報するものになります。正午になるとツイートは瞬く間に拡散され、多くの人が無念さを伝えていました。

自身も走るはずだった春インカレの中止を、自身の手でみんなに伝えなければならないことは本当につらかったです。その日から何日間かは完全に放心状態でいました。外出制限により誰かにこの苦しさを直接打ち明けることもできないまま、時間がたっていくことになります。


それから

※以下、より私個人にフォーカスした話になります。興味のない方は読み飛ばしてもらって構いません。

インカレが中止になってから、他のオリエンテーリングイベントもほとんど中止になってしまいました。毎週更新されていたラップセンターも更新が途絶えました。

2020年のオリエンテーリングコムの一部です。
2020年はラップセンターのイベント数も少なくなっています。

私はというと、外出制限や、居住地を実家(関西)に移したことで、オリエンティアに会う機会が全くなくなり、20年7月のKOLAたそがれ大会以降、オリエンテーリングを全くしなくなりました。オリエンテーリングしたいなという気持ちは持っていましたが、行こうと思った大会が中止になることが増え、一喜一憂するのが嫌になり、一度完全に距離をとることにしました。twitterもログアウトし、現役の時は文字通り毎日見ていたラップセンターもほとんど見なくなりました。ICSL2020の結果を見たのは翌年の春以降だったと思います。

オリエンテーリングしないならしないで別の趣味を見つけようと思いました。宅建を勉強したり、バイクを買ったり、ジムに通ったり、21年8月には盆休みに北海道一周旅行に行ったりしました。(結局今はオリエンテーリングとランニングが一番の趣味に戻りましたが、新しい趣味を見つけていくこの日々も悪くなかったです。)


オリエンテーリングともう一度再会した日

自分がもう一度オリエンテーリングに行こうかな、と思ったのはICL2021をYoutubeの配信でみていた時でした。(自分が現役の時にはそもそもYoutubeでのLive配信はなかったので、こういったコンテンツがあると知った時はとても驚きました。)

見知ったKOLCの後輩たちが映像に映っていたり、同期がオフィシャルとしてインタビューを受けているのを見て、みんなコロナ禍でもオリエンテーリングを続けていたんだな、とひとり勝手に感慨深くなりました。また、同門の後輩である岩﨑選手が、私が引退時に渡していた黄色の旧慶應トリムで走っていた(しかも女子選手権で入賞までしていた)ことに気づき、とても感動しました。
私が使っていたトリムが引退してからも大切にされていたこと自体もありがたかったですが、私が現役の時にとても居心地がよかった、オリエンテーリングが大好きな集まりだったKOLCが、時を経ても、コロナ禍で大会が少なくなってもいまだに残っていた。現地にいなくてもそれだけは私につたわりました。本当にうれしく感じました。感動したポイントはほかにもたくさんありましたが、ここでは割愛します。みんな本当にかっこよかった。

そして、オリエンテーリングが大好きな皆と、自分ももう一度オリエンテーリングをしたい、という気持ちにようやく気づくことができたのです。

それ以降、ぼちぼち参加しています。もう現役ではないですが、引退してからのオリエンテーリングも、オリエンテーリングではない遠征もとても楽しいです。

岩﨑選手にトリムを渡したときの写真です。この時は本当になんとなく渡したんですが、
これがこの後の自分をオリエンテーリング界に呼び戻すきっかけになるとは思いませんでした。
このトリムはいまも現役生に引き継がれていると聞いています。ありがとう。


教訓(?)

インカレ中止にすこしでも関与した経験から、私が感じた教訓は以下の通りです。(ほかにもあったかもしれませんが、パッとは思い出せませんでした)

大きな決断をする際は、「(個人or組織として)何が最も大切なのか」を明確にしたうえで検討すること
 →これについては先述の通り、「インカレの継続開催のためは、今回は中止とするのが最善か」というロジックをもって幹事会は最終判断を行いました。当たり前のことではありますが、決断にあたってその判断の軸を持つことは大切だと思いました。

大きな決断をする際orした後は、自身の心身の状態をモニタリングすること。また、その決断について、他人に打ち明けること。
→これは私が当時できなかったことだと感じています。インカレ中止の広報をした日以降、自身がかなりストレスを感じていることを長い間自覚できずにいました。これにより、2020年~21年という20代の貴重な時間をかなり棒に振ってしまいました。もったいなかったなと思います。
また、モニタリングする上で、自身が抱えている問題を可能な範囲で他人に打ち明けることは大切だと思います。自分で抱え込むより、他人に打ち明けてみたら気持ちが楽になることも多いし。

今後、甚大な災害の発生などによりインカレの開催の可否を判断するような場面が出てくるかもしれません。そういった際は、過去に大きな判断を行っていた先人の意見を聞いてみてほしいなと思います。


最後に

なんだか暗い記事になってしまいましたが、今のオリエンテーリング界はめちゃくちゃ面白いと思ってます。競技的に頑張っている方がたくさんいて、コロナ禍でもオリエンテーリングをあたらしく始めてくれた方がたくさんいて、大学を卒業してもなんだかんだ会場にいつもいる方がたくさんいて、ときどき顔を出す人もたくさんいる。全日本をはじめとして、おもしろい大会もたくさん開かれている。
大会が全くなくなっていたあのコロナ禍を経て数年でこれだけ盛り返せたのはオリエンティアの皆様のオリエンテーリングへのおおきな愛によるものだと思います。本当にありがとうございます。(なんだか神の視点みたいになってすみません。)

ISL2021の件だけでなく、いろんな人がコロナ禍でもオリエンテーリングを続けてくれていたから、自分が戻ってくることができたと感じているので、皆さんにとても感謝しています。私はこれまではオリエンテーリング界からいろんなものを受け取ってきただけでしたが、少しずつ何かを返していけたらと考えるようになりました。オリエンテーリングを楽しみつつ、可能な範囲で何かしていきたいです。

また、今回の記事作成にあたり、主に事実関係の確認のために過去のインカレの報告書を参考にさせていただきました。その中で開催できたインカレも、開催できなかったインカレも、運営者の皆様のオリエンテーリングへの熱い想いを感じ取ることができました。中止になることもありましたが、インカレが継続開催されてきたのは皆様の尽力のおかげです。
この場を借りて心より感謝申し上げます。

インカレの今後の継続開催、ひいてはオリエンテーリング界のさらなる発展を祈願して、末筆とさせていただきます。


2023年12月25日

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