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【経済人実業家列伝】御木本幸吉【真珠の養殖に成功】
御木本幸吉(みきもとこうきち)
ミキモトといえば真珠、真珠といえばミキモト・・・
海外にまでこう思い込ませたところに御木本幸吉の偉さがあります。
「養殖真珠の発明」という栄誉の独占は、他の研究者の功績をあいまいにしたが、日本の真珠を世界に広めた功績は誰者が認めています。
自他ともに許した「真珠王」の称号です。
世界に伝説を広めた人物、御木本幸吉にひと目会おうと、占領軍も戦後、真珠湾の異名を持つ伊勢志摩の英虞湾に押し寄せたそうです。
御木本幸吉の年表
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/47943844/picture_pc_5abf5ecb379c0fac39e4da8d2b200fa5.jpg?width=1200)
1858年 安政5年 1月25日 志摩国(現在の三重県)鳥羽大黒町に、父御木本音吉、母御木本もとの長男として生まれる。幼名は吉松
1871年 明治4年 青物行商を始める
1875年 明治8年 足芸を披露して英国軍艦シルバー号に鶏卵、青物を売り込む
1878年 明治11年 家督相続により御木本幸吉と改名・20歳 東京・横浜へ視察旅行
1881年 明治14年 鳥羽藩士の娘うめと結婚
1888年 明治21年 大日本水産会幹事長・柳楢悦に面会、神明浦で真珠貝の培養を試す
1890年 明治23年 柳楢悦の紹介で箕作佳吉博士に面接、真珠養殖の指導を受ける
1893年 明治26年 相島(現ミキモト真珠島)で半円真珠完成
1896年 明治29年 箕作博士の援助で半円真珠特許権を得る・妻うめ死去
1899年 明治32年 東京銀座に御木本真珠店を開店
1905年 明治38年 赤潮被害の中で真円真珠5個を発見。明治天皇に拝謁する
1908年 明治41年 真円真珠特許権を受ける
1910年 明治43年 日英博覧会に「軍配扇」を出品
1918年 大正8年 養殖真円真ロンドン市場へ
1924年 大正13年 パリ真珠裁判決着
1926年 大正15年 欧米視察へ出発・フィラデルフィア博覧会に「五重の塔」を出品
1927年 昭和2年 欧米視察中、エジソンと会見
1930年 昭和5年 十大発明家に選ばれる
1932年 昭和7年 神戸で真珠の粗悪品を焼く
1951年 昭和26年 有限会社御木本真珠が島(現ミキモト真珠島)を創立
1954年 昭和29年 9月21日 死去 享年96歳
異名は真珠王
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53691647/picture_pc_cfba41338940b79b2705a3b882da1bb2.jpg?width=1200)
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