【川崎造船所初代社長】松方幸次郎【造船成金】
第一次大戦後のパリやロンドンを舞台に、大胆に絵画や彫刻などを買い集める日本人がいた。
「造船成金」と呼ばれた川崎造船所(現:川崎重工業)社長の松方幸次郎。
その壮大な美術品収集の背景には、経済力だけではなく、文化水準でも欧州に追いつこうとした実業家。
人類の文化遺産は自ら守るという、パトロン魂に突き動かされていた。
松方幸次郎の年表
1865年 12月1日 松方正義の三男として鹿児島で生まれる
1881年 大学予備門(旧制一高の前身)に入学
1886年 アメリカ イェール大学に入学
1891年 松方正義の第1次松方内閣の組閣にともない、父の首相秘書官となる
1896年 株式会社となった川崎造船所の初代社長に就任
1914年 第1次世界対戦が勃発。船舶不足に対応し、ストックボート作りを決断
1916年 鋼材の確保と船舶売り込みのため2年8ヶ月間、社長室をイギリスに移す。滞在中は鈴木商店ロンドン支店を事務所にする
1919年 賃上げ要求などでストライキが起こり、8時間労働制実施に踏み切る
1922年 ワシントン軍縮会議で、英・米・日の主力艦隊5:5:3に決められ、主要顧客の海軍からの注文減で川崎造船所が打撃を受ける
1927年 震災手形の処理が引き金になり金融恐慌が発生。川崎造船所も深刻な経営危機に陥る。
1928年 経営不振の責任をとって32年間に及ぶ社長を辞任
1950年 鎌倉に隠居中、脳溢血で倒れ、84歳で死去
父・松方正義の豪快伝説!
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