【経済人実業家列伝】浅野総一郎【京浜工業地帯を作った】
セメント王、浅野総一郎は資源再生王とも呼ばれた。
「世間には使えないものはない」と、コークス、コールタールなどの廃物を利用し商いにしたからです。
それで得た資金を元に、土木や製鉄などへ事業を広げ、浅野財閥を築き上げました。
20世紀はじめには、日本の臨海工業地帯の開発の先駆け、京浜地区の埋め立てや港湾建設も完成させた。「稼ぐに追いつく貧乏なし」を体現し、事業家の道を走りは続けました。
浅野総一郎の生涯
1848年 3月10日(旧暦) 富山県氷見郡田村(現・氷見市)に、父泰順、母リセの長男として生まれる。幼名泰次郎
1866年 近村の豪農、鎌仲惣右衛門の長女と結婚、惣右衛門の養子となり、惣一郎と改名
1868年 前年の物産会社破綻で、鎌仲氏と離縁
1871年 上京して、冷やっこい展開業
1873年 鈴木サクと結婚。横浜で薪炭・石炭販売業業を始める
1884年 官営深川セメント工場の払い下げを受ける
1893年 浅野総一郎に改名
1898年 深川セメント工場を合資会社に、安田善次郎から財政的支援を受ける
1904年 川崎・鶴見埋め立て計画を神奈川県に認可申請
1913年 合資会社を株式会社朝のセメントに
1916年 浅野造船所(現・JFEスチール)創立
1918年 浅野同族会社を設立
1920年 鶴見埋築会社を東京湾埋立会社(現・東亜建設工業)に改称
1927年 川崎・鶴見埋め立て工事完成
1930年 11月9日、食道がんで死去。享年82歳
臨海工業地帯の開発の父
ここから先は
2,236字
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?