【経済人・実業家列伝】伊庭貞剛【住友系主要企業の礎を築く】
住友グループの元を作った伊庭貞剛とはどんな人だったのか?
住友の総理事として経営の近代化を進め、グループ主要企業の基礎を築いた伊庭貞剛。
彼の最大の事項は、住友の命運がかかった別子銅山の紛争を見事に収めたこと。
田中正造も称賛した公害への真摯な対応は、植林という自然回復のテーマを含み、来世紀に確かなメッセージを発信している。
正々堂々、天地の大道を行った男が伊庭貞剛です。
伊庭貞剛の年表
1847年 1月5日 近江国西宿村に生まれる
1863年 勤王の志士、西川吉輔に入門
1868年 西川吉輔の求めに応じて京都御所禁衛隊に属し、その後司法権中検事、函館裁判所副所長、大阪上等裁判所判事などを歴任
1879年 石山に隠棲の土地を購入
1890年 滋賀県選出の初の衆議院議員になる
1894年 別子銅山の紛争解決のため、鉱業所支配人として単身赴任
1895年 尾道で住友家の最初の重役会を開き、住友銀行の創立を議決
1899年 別子の支配人を鈴木馬左也に譲り、本店に帰任
1900年 2代目総理事に就任
1904年 引退し、石山に隠棲
1926年 10月26日 数え80歳で死去
田中正造からも支持されたら人物
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