ごめんなさいのTwttr
これまでnoteの中でも恨み節をちょくちょくかましてきた。私に何が起きたのか。うっすらと考えているつもりではあったけど整理がつかず、ついさっきまで踏ん切りがつかなかったのは確かだ。
最後まで残ったのは、私は悪くないのになぜ手放さなくてはならないのかという思いだった。
たかがSNSされどSNS。
私にとってはは後者だ。
バカみたいに思うでしょう。思うよ、私も思うもん。
好きな物事を介して普段なら会えない人と繋がりあって、共有し合うことの楽しさや喜びはSNSの手軽さでいうなら勝るものは無い。
自分の軌跡を辿っても、私の立ち回りでは巡り会えないような人達に出会えたことは本当に大きい。
SNSとは言っても、結局は人間同士。普段かかわりあう人間と何らかわりなく、むしろ丁寧にと意識することはあるし、神経質になったりする。類は友を呼ぶとはいっても、鍵をかけない限り色んな人が来るのだから。
あまり馴れ合いすぎると共通する趣味が人質のようになってしまい、本音が言えなかったり、本位ではない在り方を見ながらスルーしなくてはならないことに、息苦しさをおぼえるようになっていく。
発言の自由の履き違え、理不尽、いやなところがみえてくるともうそこは安息の地ではなくなる。
ハマりすぎた。
やらなきゃいい。で済む話かもしれないけど。うちの庭に隣んちの桜の木が伸びてきちゃって、春先は毛虫がボタボタ落ちてうちの庭を這いずり回って大変!みたいな…分かりづら(笑)
分かった。
かなり簡単に言うと暇だった。暇があったのだ。そして寂しかったんだ。
会うまでになり仲良くなった人達もいる。やり取りをした日々がすごく楽しかった。素晴らしい人達だった。好きな人達。
嫌な思いをした人と複雑に繋がっているから、その人たちとも連絡を取りづらくなった。今はすごく勿体ないことをしたと思って悔いているが、あの頃の私には耐えられなかった。
もう直接言えることは無いだろうけど、すみませんでしたと伝えたい。
そして、これからはもう少し器用に出来るように頑張る。
寄りかかるのはやめにするよ。
嗚呼、バッサリ辞められたらいいのだけど、どうしても繋がっていたい人もいるので遺してるんだ。
毒にも薬にもならない…としてみたら、毒だったわけだけど。私にとってはヤクブーツみたいな依存だったとしたら、私は脱するよ。
モヤモヤして何年も、、長かったですな。
凄く大袈裟だよね、断ちの話。
今、凄く楽です。なう(2020/03/25 07:04:40)