分かってしまったこと②

もう②ができました。

私の書くことが始まったのは、そうだなぁ。

小学生の時に、転校してきた子が同じ名前で、お互いに親近感が湧いて意気投合。私の地元よりもっと都会っ子全開の、南キャンのしずちゃん似で、口が大きいのが印象的な子。クラスが別々だったから、しょっちゅうお手紙交換をし親交を深めていた。ある日その子から、私が渡したお手紙が無くなったと聞いた。顔面蒼白だ。デフォルメした似顔絵に、口裂け女〜♪と注釈を入れていた気がする…いや絶対描いちゃった、それは不味い気がする…。案の定先生の手にわたり、それはもうこっぴどく叱られた。そんな手紙、先生からしたら転校生いじめにしか思えないもの。私も一体全体どういう神経でそんな似顔絵を描いたのか…遠い記憶でも、今再びの猛省。

『なかよし』『りぼん』の読者ハガキや、読者欄への投稿。少し大きくなると、ファンレターなんかもよく書いた。字を綺麗に書きたかったから、納得いく手紙を書く以前に、書き出しだけで便箋を使い果たしてしまうこともあった。あと、思いを綴って満足して気が済んでしまったり、読み返すとジブンでも「なにこれ、きもちわる!」と思えて、破り捨てることもあった。雑誌の読者コーナーに文通相手募集欄があって、個人情報がまま書いてある今じゃ考えられない時代、見えない人と手紙のやり取りをしたこともあった。ラリーがなかなか続かなかった。そのうちiモードが出ると、「手紙だと返事が遅くなるので、携帯を持っていたらこのアドレスにmailください。」と書いてあったが、怖くてメールはしなかった。私は、文通がしたいのだからっ!!と、頑なだった。

そのうち、CUTiEやZipperにはイラストを送って常連になっていた。そう、絵を描くことに目覚めたのだ。学校の友達みんながみんな読んでいた雑誌だったから、正直なところ自慢だった。だが正体は明かさず、しめしめとこっそり喜びにひたっていた。家庭の都合で、クリエイターを諦めてからは、絵はちゃんと描いていないなぁ。

やがて、職場でラジオを聴ける環境に恵まれ、忙しい時期も手元だけは空いていたので、メール投稿をするようになっていた。そもそも国語が得意だったわけではない。読書感想文を書くのはとても苦手、ただ文字を書くこと自体と、気持ちを書き記すと頭の中が整理されて落ち着くのが好きなのだと思う。そうね、息抜きしていたんだな。

句読点のおき方や文法が酷いから自信はないけど、ラジオの投稿は、パーソナリティの人が上手に読んでくれるから、それなりに書けてる気がして救われる。共感したり、一緒に笑ってもらえるなんて快感だ。読まれている時は、顔から火を噴きそうになっているけど。

そういえば一度、仕事で納得がいかないことがあって上司に手紙を書いたことがあった。よく覚えていないけれど、誤解をときたかったのと、システムの改善要望のような内容。

やがて上司が仕事を辞めるときに、私の手紙がきっかけだったと言われた。モヤモヤしたことを書いても、誰かに直接そんな思いをしたためて渡したのは初めてだったのに気づき、やってしまったと後悔した。転校生似顔絵事件以来、お手紙人生のやらかし2回目だ。

言い放たれるのと、書きしたためたものを渡されるのは、とても違う。感情がのっかった筆圧の生々しい肉筆とにらめっこするのは相手なんだよな。タイミングによっちゃ酷いことをしたのだと、思ったときは遅かった。


いや待てよ、思い出したなう。

そうだそうだよ。言い合いになりそうになって、「手紙に書いてきてください。」と言われたぞ。私が言葉につまり、言い淀むから。少し感情的に場の雰囲気が悪くなって、上司!貴女が言ったのではなかったか。

ということが分かりました。



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