あの母親から生まれて散々な目にあった私が子供を産みたかった訳
ジェニーちゃん人形でおままごとをしていた頃だったかなぁ。
私はいつか結婚をして子供を産むのだという思いがあった。かなり漠然とした刷り込みのようなものだ。
多感な時期が来て、親の変化や裏切りを経ていつしか結婚や出産が突破口になるんじゃないかと、期待感が加わっていた。
「絶対に幸せになってやる」というようなソレ。
いつも考えていた訳ではなく、お付き合いする人が出来ると夢見がちな将来像の妄想によぎる程度の。
大人になるとすっかり似てしまった容姿を恨んだ。けど、ふらちな母親と私は違うと思っていた。選ぶ男だって違うぞ、好みが違う。
ちゃんとしてるんだ。私を不幸にしないし、私も大切にしている。
道を踏み外しはしない。
やがて、追体験をしたいと思うようになった。追体験ではないな、同じは困る。
私は違うぞという証明をしたい。
でも、この親にしてこの子ありと後ろ指をさされたり、彼女の人生をなぞってしまうんじゃないかと怖くなる時もあった。
怖くなる時はいつもではない。返済で苦しく体調も最低な時期、一気に落ち込むというのが度々あった。相当参っていた時期。最低な時期。
この頃は恋愛も結婚を見据えていた。 なんともアンビバレントな。
妊婦を見かけたり妊婦話にイラつき毛嫌いする時期があった。
当時長く付き合っていた相手とは結婚も視野にあったけど、そうすぐという訳ではなかった。
どこかで母親したことのバチが当たるんじゃないかと怯えていた。
婦人科系の病気もしたし、私にはきっとその資格がないのかもしれない、、と。
こうして書いていて気づいた。
以前私は、これまでになぜ死ななかったのかというエッセイを書いた。死ねないブルース参照
否定して否定して悪いものを削ぎ落として、決して彼女のようにはならないぞという証明をしたかったんだ。
彼女を、彼女の全てを否定して軽蔑して彼女のようにはなるものかと誓いをたてる度に、真逆の「心も体も健やかに生活をする」つまり
マトモでいることになるのだ。
だから、死んでたまるものかと思った頃でもあった。
母親を恨むというのはこの際、精神衛生上健やかにという意味では、有りだと思っていた。
恨みは、あの時生きるために欠かせないものの一つだった。
必死でもがいて何くそ精神で躍起になっていた。
間違いなく原動力だった。決してあなたのようにはなりませんよと。
ともかく、私は生きたかったのだと思えた。
彼女に騙された古くからの友人という人が、祖父母のところに押しかけてきた時だった。
私と目が合うなり「あなた、娘さん?あなたがあの人の代わりに返してちょうだい。」
そう唐突に言われても、「私に返す義務はないんです。」とキッパリ言えた。
彼女の犯した罪は彼女のものだ。
私もあの歳にしちゃかなりの被害をこうむった被害者だ。
母親を恥じて生きていくのは本当に辛いことだ。
母親の子宮出身の身としては。
これを少しでも好転するのは、自らの力で自らの人生を歩むことなんだと気づいていた。
正直に言えば、あいつが好きでやったこと、あいつと私は違うから。と言えるくらい最初から開き直れたらと何度思ったか。
私も一端の大人なのだと感じられたのは、きちんと恥じているところ。
遠回りしたけど、私なりに落とし所をみつけて、いちいち納得してこれた。
苦しみは全て終わってから徐々に晴れていった。
悲しみは何かに触れた時に堰を切ったように思い出される。
悔しさと虚しさは折々に。
子供の頃は漠然と思っていた母になるということ。
それは紆余曲折あってからも、自分の人生を必ず変えるひとつのテーマなのだと信じていた。
不幸な境遇でだからって、嫌な目にあって辛い時期をすごして、なぜずっと負け犬みたいに生きていなくちゃならない?
違う
私は私
辛い辛い、苦しい悔しい、あの母親の娘である事実が許せない。
できるなら、こんな人生なら産んでくれなくてよかったのかも知れない。たしかに。
勝手に産んどいて、どうしてくれんだよな。ほんとに。
気持ちいいことしてポンポン産んで、その後ポイかよ。
違う
母親だけがバグって踏み外した。
なんかそれはすごくしっくり自分の中でまとまってきた。
一人で生まれてデカくなったようなこといいやがって。
誰が産んでやったと思ってんだ!
仁(JIN)先生の頭痛みたいに、ぐはぁ!!っとフラッシュバックして頭が痛くなる。
毒親が放つ伝家の宝刀!産んでやったの破壊力。
最近はフラッシュバックさえしなくなり、こうして回想しても何も感じなくなった。
十九から物理的な重荷を背負って数えて二十年かかったんだ。
うわ、二十年かぁ。
沢山の出会いがあった、どうしようも無くなって見限られたこともある。不義理をしたし、嫌な思いもした。
それにしても、よくまあここまでやってきた。踏ん張った。
生かされてきた。
おこがましくもようやくシンプルに、生き物としての出産や子育てをできる所にやっと立てた気がする。