さくらももこイズム
さくら先生の訃報を聞いて、一人で泣いた。
沢山泣いた。
信じられなかった。
朝から色んなワイドショー番組を見るたびそのニュースになるから毎回毎回が初めて知ったみたいに泣いた。
その日一日中、ニュースZEROまで尽きることなく、涙が流れた。
りぼんで読んでいた小学校時代のちびまる子ちゃんはエッセイ漫画の印象だ。
再生紙の匂いのする厚い雑誌。子供の小さな手では読みずらくてよく初めに体重をかけてページを開き慣らしたりしていた。
最後のほうにちびまる子ちゃんが掲載されていた。
1ページ目はカラー表紙になっていてまるちゃんワールドが全開。柔らかで可愛らしい二本足で立つうさぎやネコと、いつもと違うめかしこんだまるちゃん。ふわふわキラキラとした色使いで細部まで装飾がちりばめられている。
少女漫画恐怖症なので、その他の漫画はまともに読んだことがないが、恋だの愛だのとちちくりあった作品のあとにホッとするのがちびまるこちゃんだ。
小学校時代には周りにまるちゃんみたいに本音で語れる子なんて居なかった。主導権のある強めの子の取り巻きがいて、私は仲間はずれは嫌だったのでつかず離れず。実際の友達とのやり取りは、主従関係のようだ。
流行りのものを買ってもらったと言おうものなら強めの子がすねてしまうので自慢なんてご法度だった。
私はブリブリの女の子っていうタイプじゃなく、でも可愛いものは好き。
だから、普段あんなにカジュアルなまるちゃんが妄想の上でお姫様になって目がキラキラしているのってすごく共感した。私が似合わないのはわかる、乙女心ってやつはまるちゃん仕込みなのだ。
そうだなぁ家ではまるちゃんであり、学校では野口さんタイプだったかなぁ。野口さんをみていると愛おしい。私はもう少しハキハキしていたけれど。
私より控えめなどこにも属さない野口さんのような子がいたけれど、私もまるちゃんが野口さんに接するようにすればよかったと後悔している。
その子はいつも1人でも平気そうだったけど、私が気になっていた。話してみたかった。
気になっていたのに、強い子と取り巻きが怖くて話しかける勇気が出なかった。野口さんを見るたびに必ずその子を思い出すのだ。
他にも登場人物がユニークで賑やかなのにも私の複雑な幼少期が救われた。
特に実際の友蔵さんについては衝撃だったのが作品とは真逆の人だったということ。
こうだったらいいなを描いたのを知って、更にちびまる子ちゃんという作品が愛おしくなった。
まるちゃんはたくさん話があってどのお話も面白いけれど、
やはり初めの頃の、『まるちゃん きょうだいげんかをする』というエピソードが好き。
いとこのお姉ちゃんとのやり取りに似ていて、私だけじゃないんだな。とやりきれなさを汲んでくれていた気がした。
中学になる頃には、さくら先生のエッセイにはまり集めた。
独特な先生の手書きの表紙にビビっときた。それも柔らかなイラストの可愛らしさに目がとまった。パラパラと中をみると面白い。立ち読んでる場合ではない、買わねばと。
さくら先生の捉え方が面白くて楽しくてとても好きだ。ありのままの身近に居ない面白をたたえた言葉が紡ぐ先生の日常にワクワクした。
幼少期の兄弟とのやり取りや団欒の時がリンクしてとても身近に感じるのは、そのものをアニメに写しこんていたからなのだと納得する。
エッセイを書くこと自体を語ったものがとても面白くて、当時どう仕事をしているか、どんな日常かなど知る術もないから先生を知るにはエッセイを読むことが一番だった。
エッセイを読んで海外旅行に憧れたり、水虫でもないのにドクダミ治療法もやってみたことがある。先生のエッセイには、やってみたいと思わせる力があった。
もうひとつ…
ニキビに悩み精神的に追い詰められていた、ティーンだった私は先生の飲尿法を真似した。
本を読み終えてからまずやるかやらないかの自己との対話というか、数日間のザワザワ。何度そこを読み返しただろうか。
便秘が解消されれば少しはこのニキビも治るんじゃないかと、藁にもすがる思いだった。
大丈夫。先生がやったんだから。いける!
風呂場で紙コップを用意して…鼻をつまんで、色を見ないようにして…
「ヴエー!!!だっはぁ!!!」
(私はなにをしているんだ!!)
小生、ファン失格であります!!!!!
いやぁ、先生!快便になりませんでした。
こんなの未だに親友にだって話したことは無いよ(笑)とほほ
おわりに
三十年以上一緒に生きてきた。
まるちゃんはずっと小学生だけど、初めから耳年増で年寄りのようだから、逆にまるちゃんに追いついてきたような感覚さえあります。
さくらももこナイズされてきたし、さくらももこイズムでいたい。
面白おかしく人を楽しませていきたいな。
ようし、またもものかんづめ・さるのこしかけ・ひとりずもう・まるこだった・永沢君も読み返そう。たくさんたくさん読もう。