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スッゲー寂しいけど、サッカーをやめる
良くも悪くも、思ったことは曲げられず、時には感情的になってでも主張してしまうのが、包み隠さず言うところの私である
23時過ぎ、いつも21時には就寝している親父が珍しく起きて私の帰りを待っていた
ちゃんと話してこれたのか?
今日、サッカーをやめることを決断した
3歳から必死こいて追いかけてきた夢や目標、ボールさえも今の私には必要なくなってしまったのだ
理由は、たった一つ、
サッカーに対して本気になれない私自身に嫌気が差したから
2022/07/20、私の尊敬するプロサッカー選手が東京を拠点とするJFLのチームに育成型期限付き移籍となった
彼は、私と大学時代に切磋琢磨し合い、サッカーに対して向き合えず逃げ出そうとしていた時期に、真っ向から向き合ってくれた同志、恩人、そして相棒である
そんな彼とは、志半ばで、プロサッカー選手をともに諦め、カフェで就活をし、同じ企業に内定した仲でもある
死ぬまで切磋琢磨していくのだろう、と彼のポテンシャルに怯えながら、絶対に負けねえ、と心した日の夜を今でも覚えている
そんな彼に移籍のリリースが出た直後に電話をした
しかし、出てくれなかった
思い悩んでいるのだろう、そう思ったが、
もう一度かけてみると、
「岡山から東京まで運転してきたんだよ・・・電話くれてありがとな」と次こそは繋がった
それほど長い時間、電話をしたわけではなかったが、
彼から感じたのは、正直で現実的な「今」と向き合い、そこに対して得ている充実感だった
遡れば、サッカーを志したのは、野球な親父のプレゼント(グローブ)を受け取らずサッカーボールを手にした3つ上の兄の影響だった
兄の練習や試合について行き、端っこで親父とパスやドリブルを練習していた、
とてつもなく懐かしく感じるのは私が確実にオトナになっている証拠である
紆余曲折、挫折、歓喜、自我やリスペクトに悩まされ、大して勉強もしなかったガキの頃は、常に夢と現実の狭間に立たされ、そこに対して圧倒的な充実感と存在意義を感じて生きてきた
2021/04/01、今の会社に入社した
緑のフィールドしか知らなかった私にとって、堅苦しいスーツやネクタイを身に纏い、満員電車に揺られる「社会」というフィールドが始まった
正直、社会人2年目の私はまだまだ理解や経験が足りない
知識を補おうとするものの、余裕や時間がなく、何かと何かに追われがちな日々を送っている
上手くいかなかったり、数字割っちゃったり、楽しくなかったり、思い悩んだりすることはあるが、
今までサッカーしかなかった私が、サッカー以外の武器や私自身を模索している「今」に充実感を覚えている
サッカーを始めたあの頃のように、知らなかったことや出来なかったことを一つ一つクリアし、成長を実感しているサラリーマンの私は、紛れもなくサッカーでの強烈な原体験によって、サラリーマンをしている
切っても切り離せないサッカーな私を、この度、断腸の思いで切り離し、
まだまだ知らない私自身や多様な人々に出逢い、私を表現していきたいと踏ん切りをつけた
ずっと心のどこかでサッカーをやめることは、逃げや悪、裏切りだと思っていたが、
本気になるベクトルをサッカー人生ではなく、人生にシフトすることだと理解できるようになった
これまで応援してくれた、支えてくれた、頑張らせてくれた、皆さんからいただいた沢山の愛情を今になって感じている
遅すぎるけれど、そんな皆さんが居たから、ここまで生きてこられた
23歳の稼げないペーペーが上述のように、綺麗事や御託を並べていると思われても良い、ただ真っ直ぐに、らしく、似るより似ない私をも大切にして、これからも歩んでいきたいと思います
私らしい1stを追いかけ続け、いつの日か、自信を持って表現できるように、
ありがとう!!!
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