断捨離へのお気持ち表明
選択肢ない方が楽に生きられませんか?
大学に入って通学で電車に乗っている時間が暇なので、よく本を読んでます。読書が趣味だというと「へえ、すごいね」と言われます。どうでもいい話ですが、僕はこの時、こいつは薄っぺらいなと思います。趣味は人それぞれで優劣なんかないのに、本を読むことはすごいことだと言うのは逆にイライラします。お前がティックトックを下にスワイプするのとなんも変わらへんでって言いたいです。
話が逸れました。僕は大学まで電車でだいたい90分くらいかかります。しかも暇で、しかも電車の中やからできることは限られていて、しかも携帯を触りたくはないんです。すると選択肢は絞られていきます。寝ること、本を読むこと、ぼーっとすること、勉強すること、音楽を聴くことくらいです。この時点で選択肢は5つなので腦があまり悩む必要がないんです。電車で僕を見かけるとこのいずれかのことをしているでしょう。
打って変わって家となると話は別になります。家には食べ物があるし、寝床がある、壁があるから他人に見られたり聞かれたくないことができる、もちろん携帯が触れる(無限のコンテンツ)、本が読める(しかも本は一種類ではなくたくさんの本がある)、ぼーっとすることができる、勉強ができる、テレビが見れる(たくさんの番組がある)、漫画が読める(たくさんの漫画がある)、日光浴ができる、ベースがひける、、などなど。このように家には無限の選択肢があります。僕たちが家で勉強ができない、集中できない理由はここにあると思います。もはや無限にある選択肢の多さが僕たちの脳に負荷をかけることですぐに行動できず、ああでもないこうでもない、と脳を悩ませるのだと思います。僕も家では電車ほど本は読みません。
ミニマリストが最近流行ってますね。僕はミニマリストなんて逆張りの馬鹿だと断定していました。私はミニマリストですと高らかに宣言してその生活の不自由さに嫌気がさしてすぐにやめてしまえとも思っていました。でも最近、上で触れたように「部屋のもの=選択肢」ではないか、と考えるようになりました。ミニマリストも選択肢の少なさからくる脳の負荷が少ないという点ではかなりQOLが高いのではないかと思います。
僕の部屋は大変汚いです。汚部屋(おへや)と名付けています。とにかく物が多いんです。部屋の床が見える面積は全体のほんの5%程度だと思います。盛りました。本当は2%くらいです。長々と語ってきましたが、僕ミニマリストまでは行かずとも、ちょと部屋にもの少ないかな~くらいを目指して断捨離します。
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