鯛の免許合宿 〜第二話 入校拒否!? 0.1の壁を超えろ!!〜
「物騒なタイトルだけど、大丈夫なのか?6年後の俺?」
コラ!!時間軸を超えて干渉しちゃダメでしょ!?6年前の俺!!
「だってさ。退屈だし」
気持ちは分かる!俺も6年前に「鯛験」してるからね。もう少しで着くから、な。頼むから勘弁してくれ?
「はーい」
……頭の中で人格を作り出して会話を始めてしまうレベルの退屈を噛み殺し、俺はバスの車窓から景色を眺めていた。
俺たち免許合宿参加者を乗せたスクールバスが駅を出てから約20分。バスは山道を上り続けていた。
傾いた景色には、山の斜面に沿って建てられた家々と、時折姿を見せる飲食店、そして干物みてーなじーさんばーさんに、目の死んだサラリーマンが見え隠れした。
ああ、ここは田舎だな。俺は察した。
直後、いかにも個人経営してそうなおんぼろガソリンスタンドが視界を遮り俺の直感を後押ししたのだった。
自動車学校というのだから、研修のために土地が必要であり、必然的に田舎の方に建てられるのは分かっていたが、その「田舎度」が想像を超えてきた。
想像と現実のギャップが、俺の脳内に新たな疑問を生まれさせる。
「田舎は田舎でも、ここまでド田舎に自動車学校はあるのだろうか」
俺の想像力が最悪のビジョンを描き出した。
もしかして、自動車学校とは名ばかりで、俺の入学、いや、収監される施設は某ヨットスクールのような精神を根性で真っ直ぐ強制しちゃうタイプの施設なのではなかろうか。
思い返せば、母と一緒に振り込みに行った時も任せっきりで振込先に目を通していなかったからな。あるいは母の手の込んだ悪戯という線もある。
やはり、大学生というモラトリアムにどっぷり浸かり、ダラダラしているのがまずかったのか。どうなのか。
考えれば考えるほど、根拠のない不安は大きくなり、俺の精神を蝕んでいった。
だが、バスに乗り込んだ以上、もう後戻りはできない。いかなる運命であろうと受け入れるほかないのだ。
これ以上想像するのは時間の無駄だな。
心でそうひとりごちると、俺は目を瞑り、シートに身を預けた。全てを受け入れる覚悟だった。
そんな俺を他所に、バスはさらに山の奥へと進んでいった。
「はい自動車学校に到着です。お疲れ様でした」
運転手のお爺さん(ハゲ)の車内アナウンスと同時にドアが開いたので、俺たちは荷物を持ってバスから降りた。
バスの脇には、自動車学校の職員が待っていた。
彼の指示に従って一度宿泊施設に寄り、その入り口で荷物を預けると、俺たちは職員の後に続いて自動車学校の校舎へ向かって歩いた。
施設はしっかりした作りで、出入り口付近の駐車場には来校者のものと思われる車がびっしりと並んでいた。これだけ人がいるのだから、某ヨットスクールのような施設ではないらしい。予想が外れて少しホッとした。
そんな俺を他所に職員はどんどん進んでいく。
校舎の入り口を潜り、突き当たって右手の方へ進み、その奥の部屋に俺たちは通された。
部屋には、顕微鏡のような装置が三つ並んでいた。確かあれは眼科かどこかでみたような。
「はい。全員揃いましたね。これから入校試験を実施します」
装置の脇に立っていた別の職員が淡々と説明を始めた。
この顕微鏡のような装置は視力を測定する器具であり、入校者の視神経が自動車を運転できる状態にあるか確認するものであること。
裸眼ないしは、眼鏡ありで両目の視力が0.7。片目の視力がそれぞれ0.3あるかどうかを調べること。
そして、視力が足りない場合は、入校を拒否する場合があること。
もう何百、何千としたのであろうその説明を淡々とした職員は、質問がないのを確認すると、早速入校試験を開始した。
俺たちは三列に分かれ、順番に試験の時を待つ。一人、また一人が試験をパスし、部屋の外へと出ていった。
流石に、この段階で落ちる生徒はいないらしい。呼び止められる者はなく、まるで工場のライン作業のように次々と列が進んでいく。この分なら、すぐ俺の番はくるだろう。
そう思いながら待っていると、ついに俺の番がまわってきた。
通過儀礼のようなものであるとはいえ、試験は試験。少し緊張するものがあった。だが、これを越えなければ、学校生活すら始まらない。合格しなければ、よくわからんド田舎に四十分かけて来ただけのへなちょこで終わってしまう。
懸念はある……だが、大丈夫だ。
機械を挟んで向こう側にいる職員の声に従って、俺は席につくと、目を機械の筒の部分に当てた。暗くて何も見えない。
「それでは始めますね」
はい、と答えると、視界がフッと明るくなり、視力測定でよく見える「C」のマークが現れた。
「右」
と答えると、カチッと何かが切り替わる音がして、別のマークが現れる。
「下」
すると、また別のマークが現れた。さっきよりも小さい。だが、はっきりと見えた。
そうして、二、三回答えると、次は左目だけが暗くなった。ここから片目の視力になるというわけか。
しかし、どうってことはない。くっきり見える。やはり今は右目だけの視力を測っているようだ。
また、二、三回マークが切り替わり、それに答えると、向かいから、小さく「1.5」という声が聞こえてきた。
やはり、「こっち」は大丈夫か。だが……。
右目側の明かりが落とされ、左目側が急に明るくなった。
カチッ、音がしてマークが現れた。
「左」
カチッ。別のマークが現れた。
「……下」
カチッ。別のマークが現れた。
「……み、右」
向かい側の職員が、小さく声を漏らした。……やっちまったか?
「あー。すいません。ちょっと明るさに慣れてなかったのかな?もう一回測りますね」
うあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!
発狂したくなるのを俺はグッと堪えた。
嫌な予感はしていた。していたが、まさか本当に……左目の視力が0.3あるかどうかのギリギリのラインだったなんて。
そう俺は左目の視力だけ悪い。左目だけを酷使する癖があるらしいのだ。
だから、左目の視力低下が悪化していたのは知っていたが、1年前は0.6あったしそもそも視力などは片目が良ければそれでいい、とタカを括っていた。
まさか、いや。光に慣れてないだけだろ?いや、でも、あれ?いや、もしかすると。うん。あれ?
どうする。どうする。どうする。俺の心は焦りだした。
当然、眼鏡なんて作っていない。だが、こんなクソ田舎に眼鏡屋があるとも思えない。
あらら、残念でしたね。後で作りましょうね。なんて、温情が通るとはとても思えない。
つまり、このまま測定を失敗し、左目の視力が0.3を割っていると判定されれば、記念すべき免許合宿入校試験脱落者第一号になってしまうのだ。
諭吉三十人を出してくれた親になんて申し開きしたらいいのか……。つーか、鯛の開きにされてしまうんじゃねーのかこれ……。
「んー、そろそろ左目も光に慣れたと思いますんで、もっかい、いきますね」
「え、は、はい」
しかし、後がつかえている以上、職員は待ってくれない。俺の感情を他所に機械が再び作動を始めた。
ガチャ、と左目の前にマークが現れた。
いや、落ち着け。多分緊張してるだけだ。おれ!!
脳に必死に酸素を送るイメージをする。左目をしっかり凝らして、ピントを絞る。
すると、見えなかったマークがゆっくりと像を結んできた。
今なら、いける。
「左」
別のマークが現れた。
「上」
別のマークが現れた。
「右」
そして、額からつうと流れた汗が顎で滴となった時、職員が口を開いた
「あ、0.4あったみたいですね。良かった良かった」
……やった!!!やったぞ!!!
俺の脳内に花畑が広がった。地平線の向こうから、動物たちが走ってきて、滂沱の涙を流す俺を胴上げし始めた。
やっぱり、光に目が慣れてなかっただけだったんだ。
俺は……勝ったんだ!!!
やったあああああああああ!!!
……視力測定でここまで喜んだ奴は、人類史以前にも以後にも、現れることはないだろう。つーか、俺で最後にしてくれ。
そんなわけで、残りの入校者たちの視力測定が終わるまで、俺は早鐘を打つ心臓を抑えるのに必死になったのだった。
〜〜
そうして、なんとか入校試験を突破した俺は、入校手続きを終えて、寮の方へと戻っていった。
これから、部屋で荷解きをして、明日からのスクールライフに備えるのだ。
どんな出会いが待っているのか。どんなことを学ぶのか。
一山超えた俺の頭の中は、ドキドキのワクワクに満たされていたのであった。