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毎週ショートショートnote 「かもしれない弁天」

 最後のコードを弾き終えて、私はゆっくりと目を開けた。歌は既に跡形もなく、残ったのはチチチという公園特有の鳥の鳴き声と、すぐ後ろの噴水の音だけ。私は録音を止めて、ギターを抱え込んだ。
『ステージに立ったら、何者かにならなくちゃいけない』
 仲の良いライブハウスのスタッフさんにそう言われた。次のライブまであと一週間もないのに、焦れば焦るほど、歌えば歌うほど、その「何者」が分からなくなっていた。
「あら」
 突然の声に顔を上げると、いかにも散歩途中のおばあさんが私を見ている。
「弁天様かい?」
 顔に沢山の皴を作って笑う。弁天様。一度お参りに行ったことがある、音楽の神様。私はそんな冗談に首を振った。
「あなたステキよ。ねえ、そうでしょう」
 今度は顔の前で手を振ろうとしたその時、私はスタッフさんの言葉を思い出した。もしかして私がなるべき『何者』はーー否定しようとした右手でギターをかき鳴らす。
「……そう、かもしれません」
 まるで初めて聞く音色。最初のコードがじいんと澄み渡って、風が凪ぎ、音が止んだ。そして、かもしれない私は、大きく息を吸い込んだ。

終わり(462字)



『たらはかに』様の企画に参加しています。

思い込むのはタダですからね。頑張って!
よろしくお願いします!


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