部の品質とは
「野球部の品質」
OBの方からあった意見の中で出てきたワード。
(前の記事も見ていただけると嬉しいです!)
野球部に限らず、学生部活動は何であっても品質・価値を考えていかないといけない。
部活動で目指すものは何なのか、それは競技ごとに違ったり、学校のレベル(中学なのか高校なのか、大学なのか、他にも競技レベルなど)で違ってくる。
自分たちの活動が野球部の品質を下げているのではないか。否応無く考えていかなければいけないことになる。ただ、自分たちの活動を批判するには(ここでいう批判は否定のことでは無く「比べる」という意)前までの活動を知らなければいけない。今まではこういう信念でやっていたというものがなければ批判できない。
「我々はどこからきたのか。我々は何者なのか。我々はどこへ向かうのか。」
これは画家であるゴーギャンの言葉。蹴球部の監督が授業で教えていただいた。
指導者は野球部のOBでもあるので今までの部の価値とは何か質問させていただいた。
先生にとって一番に挙がることは「泥臭さ・雑草魂」
「資源が他の大学に比べて乏しい中、いかにして勝つのか。意地でも点を取りにいこうとしたり、取らせないようにするといった精神力が野球部の中にあるのではないか」といった答えだった。
自分は今度の4月で3年生になり、今までを振り返ってみると確かにそういう面が必ずあるなと思う。リーグでの選手・ベンチメンバー・スタッフ・応援の全ての人たちが必死になる姿を見てきた。
試合において、練習においてのチームの色はそういうものであるという認識は間違い無くある。
ただ、他にも何かあるのではないか?と思っている。
おそらく他の大学より頭を使って野球をしようとするところ、野球の中での会話を大事にするところ、などうちのチームの特徴は多くある。
まだまだ自分自身が気付いてないのとうまく言葉にできないものがあって今後探していきたいと思う。
部活動で目指すべきもの。
それは、あらゆる部員に当てはまるようなもの・目指せるようなものでなければいけない。少数精鋭のチームなら簡単に決まるが大所帯のチームになればそうも言ってられない。みんなが試合に出れるわけではないし、部活動にいる意義も一人一人異なる。部員一人一人の多様性がある中でどう共通の部分を作っていくのか。多様性をガン無視したものは受け入れられず、多様性しかないような曖昧なものになってしまったらみんなが勝手に動くだけになってしまう。たぶん、こんな時にゴーギャンの台詞を上手く用いることによって解決できるのではないか。
今まで先輩方が気づき上げてきたもの、そして自分たちはどんな存在なのか、またこれからどんな未来を作っていくのか考えていきたい。
次回はなぜ部活動でスポーツを行うのかを書きたいと思います。