大学でスポーツをやる意味
自分は小学校1年生の時から野球を続けている。今は選手を辞めてトレーナーという形でチームに関わっている。
選手の時以上にスポーツに真剣に向き合うことの大変さを感じている。選手の時ははっきり言って自分に対してでしか責任をもてていなかったが、今は何十人にも及ぶ人たちに対して責任を負わなければいけない。選手を支える立場になって今まで指導してくださった少年野球・シニア・高校・大学の指導者の方々の大変さを実感している。
さて、今回書いてみたいと思うのは大学でスポーツを行う意味である。
大学に入ると今までと違って自分で使える時間が確実に増える。学びたいことが学べるし、アクションも起こしやすい。インターンやアルバイトに勤しみ「働く」ことに向けて頑張っている人がいれば、サークル活動などで自分の趣味を仲間と共に楽しんでる。
そんな中、大学生活の大半をスポーツに注ぐのは一体どういう意味・意義を持つのだろうか。
ひとつに熱中した状態で真剣に取り組むという意義があるのではないか。ただ単に毎日を過ごすのではなく、スポーツに時間を費やす。ある種の覚悟のようなものがあるのだろうか。本気でやってきただろうからそれを後々認めてもらえたりするのかもしれない。
部活動をやっている人たちからしたら、「自分たちってそんなに頑張っているのだろうか?」と思うこともあるかもしれない。けど就活を始めて、周りの大学生と話して感じたのは、部活動でやってきていることは他ではなかなか味わえないものなのではないか?少なくとも自分の中ではそのように思っている。
今まで会ってきた指導者のことを振り返っても、常に真剣に向き合ってくれていた。それに応えられるように自分たちも頑張ってきた。はず。
大学では自ら動いていく必要がある。それに加えて本気(マジ)ってやつが必要になってくる。これが非常に大変だし、多分今でも慣れない笑。
強がることなく、自分にできることはなんなのか周りを見ながらやっていけば良いんだろうと少しずつわかってきた気がする。
一方、なぜ「自分たちってそんなに頑張っているのだろうか?」という発想が生まれるか。それは、周りを知らないからである。外に出ていく習慣がないから自分たちのいる組織の中でしか尺度を持つことができなくなってしまう。
外に出ていくことができれば自分のやっているスポーツの意義がわかってくる。少なくとも学生でスポーツをやることにおいては。自信を持って良いと思う。
以下、本題とはちょっと外れたことを。。。
価値観の軸はいくつも持っておいたほうがいい。これはある程度科学的にも証明されているらしいが、自分の価値観の軸が少ないとそれがダメになった時にひどくダメージを受けてしまう。いろいろな価値観の軸があれば何かダメになっても立ち直ることができるし、加えて他者も受け入れられるようになる。
今後の部活動とかに必要なのはそういうところなのかもしれない。
これからはどんどん外の世界にも出てみよう。
いろいろな人たちと関わっていこう。
今やっていることの世界を広げるためにも、自分の世界観を広げるためにも。
そして自分がどんなことで周りの人たちに影響を与えられるのか見つけていこう。