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取り留めのない話

僕は今日も頑張った自分にゴホウビを与えようと思います。

noteを書かずにのんびりする。

これが、僕のゴホウビ。



















…テーマを選んだおのこうた君に殴られそうなので少しは書きます。
おの君のお株を奪うわけではないですが、今日は休読日です。
あまり深く考えず取り留めなく書いてみようと思います。


みんなのnoteを読んでいてふと思ったのは
「あゝそうだよなぁ、僕たちは自分で自分にゴホウビを与えられる立場になったんだなぁ」ということ。
僕個人の話をすると、大学時代から多少なり自分でお金を稼ぎマネジメントし始めてはいましたが、そうは言っても親からの仕送りにかなり頼った生活…
経済的に自立できている今こそ、自分へのゴホウビを真の意味で楽しめている気がします。

親の完全な庇護下にあった高校生までは、ゴホウビは与えられるものでしかなくて。今思うと、親からぶら下げられたいやらしいゴホウビもあったような気がします。「成績が良かったらこれ買ってあげる」とか。覚えてないけど。
今、大人になって振り返ると、こういうゴホウビってあんまり気持ちの良いもんじゃないよなあって気がします。ゴホウビをぶら下げられないと頑張れないことも人生にはあるのだと、こうやって幼少期から植え付けられてるんじゃないでしょうか?
もし、仮に子供を持つ人生を歩むことがあるとしたならば、その子の人生をゴホウビで埋め尽くしてやれる親になりたいものです。交換条件がなくても今目の前のことをゴホウビのように楽しめる人生にしてあげたい
…とふとそんなことを考えたりします。そう、うまくはいかないんでしょうけど。
ま、親になるか、なれるかなんて分かったもんじゃないですけどね(目の前に立ちはだかるとてつもないハードル)。


あとなんだろうなあ、撮影後にゴホウビは必要です。
僕は撮影を終えて家に帰ったあとちょっぴり悲しかったです。ひとりでコンビニの餃子とビールで夜空に乾杯するのも悪くないけど。
コロナ禍だし、チームの皆で集まって打ち上げをしたりできなかったのは仕方ないとしても(オールアップしたらぜひ打上げたいものです)、
家に帰った時に、撮影の楽しかったことや辛かったことを話せる第三者がいたりしたら、とても素敵だなあ、とか思ったんですよね。ひとりで餃子食いながら。
これが撮影後にふと頭に浮かんだ、幻想のゴホウビですね。


あ、まとめるとこれ多分あれですね。
彼女欲しいってやつですね。


今日はこんなところでしょうか。
書き上げたゴホウビに、パピコを食べて寝ようと思います。


おやすみなさい。

文:ナオキ

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