当たり前のことと、当たり前じゃないことの境界線
こんにちわ。
土日で温泉旅行に行ってきました。念願の。
1泊の旅行は実家帰省以外で久しぶり
そりゃもう楽しかったわけです♪
リフレッシュした明けの月曜日は、回転がにぶいです・・・
ゆっくり行きましょう♪
ボクらの時代
っていう番組知ってますか?
日曜朝にゲスト3人だけでトークする番組
たまたま昨日の朝に温泉上がりに何気につけてました。
昨日は、田中哲司×でんでん×鈴木浩介というベテラン俳優の回
もちろん3人とも画面の中で会ったことがある
共通点は俳優ということを抜いて、3人とも親であるらしい
そこでの会話ででた話―――
家事やるか?
鈴木浩介さんが問う
田中哲司さん「当たり前に・・・え?やらないの?」
「もちろん、やります。当たり前にやりますよね」という会話のあと・・・
「でんでんさんはやらないでしょ」って田中さん
でんでん「おれはほんとにやらない」
「でんでんさんみたいに亭主関白みたいな時代じゃないですから。
ぼくらはもう、洗い物とかガシガシ全然やんないと」
でんでん「あ、洗い物はするよ」
意識の差
「ゴミ捨てもします?」
でんでん「ゴミ捨てもするよ」
「洗濯物たたみますか?」
でんでん「たたむよぉ~アイロンかけるもん」
「掃除機かけます??」
でんでん「掃除機かけるよ!」
「めちゃくちゃやってるじゃないですか!!!」
でんでん「当たり前じゃん、その辺ゴミ有ったり、汚れてたら嫌じゃん」
聞きましたか?(笑)
最初の一言「俺はやらない」って言った時、
時代もあるかな~なんて
年上のでんでんさんに思った自分の思い込みを呪いました
これはあえて【家事をやってる】って言ってやってないってこと
奥さんがやってくれていると言いながら、
自分でできるところ、気になるところは自然に自分でやっているってことなんだよね―――
お見逸れいたしました
最後、布団干しもやるよってニコニコ言ってたでんでんさん(かわいいな)
鈴木浩介さんも、「でんでんさん当たり前にやってるから、言わないだけなんですね」って感心していた
先入観って取れてない
年のいった方、特に男性を(家事しない、してない)(もしくはこの人はするんだ、感心!)って見がちなのって
女性に(料理洗濯掃除くらい出来るよね?)っていうのと同じ思い込み・決めつけだよなーって思う
でも、そういう風に自然に刷り込まれてきたから、簡単には取れないんだよねーまじめな人ほどそうなのかもしれない
当たり前の感覚が近いっていうことは素晴らしいことなんだよね
”当たり前が当たり前に出来る”
それは一緒にいる人と価値観とか考え方が近いってことなんだろうね
「そこが汚いから」→ 「掃除しよう」ってなる
けど
わたし「そこ汚いな」→「掃除しなきゃ」
パートナー「汚くない」→「なにもしない」
って思ってることが違っていれば、その後の行動が合うわけもなく―――
「汚くない」→「掃除しよう」にはならないよね
「ココがこうなったら掃除してね」って言われてても
「汚れてない」っていう認識の中でそれを遂行し続けるのはむずかしい
それと一緒で「汚れてない」っていう感覚が近ければ、どっちも苦じゃないんだもんね
掃除だけじゃなくて、料理、洗濯、全てにおいてこういう感覚的なことって生活してきたリズムも何もかも他人同士って違うから、少しずつずれるんだろうね
お互いに歩み寄れて、認めあえれば一番いいのだけどね