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【人道支援チャド】~番外編~ ポリオとオンコセルカ

割引あり

皆さんこんにちは
人道支援家のTaichiroSatoです。

今回の投稿は、僕の直接的なプロジェクトではありませんでしたが、アフリカ チャドでの活動中に僕が気になったことについての番外編記事を書いていこうと思います。

ポリオ と オンコセルカ。
皆さんはこの二つの名前を聞いたことがあるでしょうか?
ポリオなら聞いたことある人もおおかもしれません。

「ポリオ?あれ?撲滅したんじゃないの?」
そういった声も聞こえてきそうですね。

今回はこの二つの病気とチャドの首都の様子を綴ります。

スケートボードで路上生活をする人
アフリカ チャドの首都、ンジャメナ。
日本ではしりとりという言葉遊びがあって、「ん」で始まる単語はない為、そこでゲームオーバー。しかし、この首都の名前を知っておくと、しりとりが終わらない、という何とも日本語アルファベットを超越した世界感を持つ単語だが、、、まあそれは今回はおいておいて。
いずれにしても、世界で唯一「ン」から始まる首都ではないだろうか。

そんなチャドの首都、ンジャメナを歩いていると時折目につく人たちがいる。

両手にビーサンを履き、スケートボードに乗って移動する人たち。
歳で見ると20代から40代といったところだろうか。
僕が見かけた彼らは全員が男性であった。
チャド道路はぼこぼこでコンクリートで舗装されていないところも多いため、スケボーのタイヤが引っ掛かりしょっちゅう転んでいる姿を目撃する。
転倒からか服はボロボロに破け、路上で物乞いをしている人がほとんどだ。

彼らは、片足、もしくは両足が極端に小さく変形していて、その大きな上半身を支えることが出来ない。
下肢の変形の程度が小さい、または限局的な人たちは手漕ぎの3輪車椅子に乗って移動をしているが、いずれにしてもどちらの人たちもそう珍しくないほど街の路上で見かける。

彼らはポリオ(急性灰白髄炎)という疾患を患い、身体の一部に著しい機能障害と変形を伴ってしまった人たちである。
世界的には、ポリオ根絶キャンペーンが展開され、ポリオの根絶が近いとうたわれている。しかし、20~40年と時を遡ると、ポリオ根絶キャンペーンが佳境に入った最中、そのから漏れてしまった人たちの今がこの街に集まっているのだ。

ポリオとは
ポリオとは急性灰白髄炎のことでヒト-ヒト感染で起こる。
何らかの形で口などから入ったポリオウィルスが消化管で定着し感染。脊髄に悪さをし麻痺や障害を引き起こす。小児麻痺などという言葉になじみがある人もいるかもしれない。

実はチャドで活動をしていると、町の保健所にはどこに行ってもポリオ予防のポスターが張られ、子供のころにポリオ予防で薬を口に滴下する。
世界的なこのポリオ予防キャンペーンのおかげで現在ではポリオは撲滅に向かっているという。

ポリオ予防ポスター 少年が口を開けている絵(写真左下)

僕自身はチャドの期間中、別のプロジェクトをしていたためポリオの予防に関わったことがない(ポリオ予防の写真のような光景を見た事はある。そんな程度だ)。
現在の実際の発生状況はわからないが、少なくとも20年前、30年前のチャドでポリオを発症し障害を残して現在チャドの社会適応に困難を抱えている人達を結果として首都で見ているということである。

子供のころにすべての子供たちが適切に予防を受けれるようにする。
口に数的垂らす。
たったそれだけのことで、子供たち(現代の大人のポリオ患者)の一生は大きく変わるのだ。

現代のポリオ患者たち
彼らにはまず仕事がない。
両手は移動の為に使われ、ボロボロのビーサンで前に進む。スケボーはチャドの道路事情を考慮するとあまりに脆弱だ。しかし、彼らには選択がない。
人通りの多い場所に滞在し、物乞いをする。
彼らの隣では、野菜や果物、ナッツなどが売られており、それを買いに来た人たちからの何かしらのアクションをうけとって彼らは生活をしているそうだ。
新たなポリオ患者を作らない為の活動は、世界的に終焉をみようとしている今日この頃。世界的にポリオから支援の手が離れ忘れ去られようとしているのかもしれない。
現代のポリオ患者たちの今に手を差しのべる人はいるのだろうか。
現代のポリオ患者たちの未来に注視する人たちはいるのだろうか。
ポリオ予防が上手くいっても、現代に生きる彼らが忘れ去られてはならないように思う。


子供の杖に導かれて
この投稿のタイトル画にもしたこのイラスト。
もしかしたらどこかで見た事あるという人もいるかもしれない。
街の少し外れた人通りの少ないところに行くと子供が杖で先導し、父やおじいちゃんを連れて歩く、そんな姿を目にする。
一体どうゆうことなのか。

NTDs (Neglected Tropical Diseases)
みなさんはNTDs(Neglected tropical diseases)を知っているだろうか?
日本語では顧みられない熱帯病といわれ、これらの病気への世界的な取り組みが啓発されている。

マラリア、HIV(エイズ)、結核。これらを3大感染症と呼び、これらの撲滅のため世界中でお金が集まり研究が進み、現在進行形でたくさんの取り組みがなされている。
死亡率が高く、社会的なインパクトが大きいからである。

ではこのNTDsとは何か。
およそ20ともいわれるこれらの病気は、特に熱帯地域で報告され、衛生環境や貧困とも関連が高いと言われている。これらの病気は、3大感染症ほど世界人口の死亡数に影響を与えていない、もしくは死亡例はそれほど多くはない。しかし、疾病を患った人の社会予後が非常に悪く、その人個人で生活することが非常に困難であったり、治療にお金が必要だったり、患者の世話をするため家族の負担が大きく、さらなる貧困の連鎖を生むといった例も数多く報告されている。
かなり極端に言うと、NTDsは世の中が大掛かりに動くほどでもない、と判断された見過ごされている疾患といった立ち位置だろうか。

オンコセルカとは
その中の一つ。オンコセルカ症(河川盲目症)。
ミクロフィラリアが寄生することによっておこるこの感染症は、ブユ(黒ハエ)に刺されることによって感染する。
ミクロフィラリアによって様々な症状が引き起こされるが、その中でも代表的なのが失明である。世界でも失明の原因上位とされている非常に厄介な疾患である。
これ単体での死亡率というのは、高くないのかもしれない。
しかし、ハエに刺されて感染に気が付かず、治療への介入が遅れる、または(経済的・社会的様々な理由によって)できなかった人たちの行く末は失明と家族負担なのだ。

日本ではほとんど見ないこの疾患。
教科書の端っこに少し紹介されている程度かもしれない。
しかし一歩現地に足を踏み入れば、今でも杖に導かれる大人を何回も見かけることになる。

現代のポリオ患者と同様、彼らも職に就けない。
注目されることなく、人もお金動かない。
これらの病気に働きかけている人たちを僕はたくさん知っているが、やはり限界を感じるのだそうだ。


No one left behind(誰一人取り残さない)
大きな人口や社会に与える影響が大きくないと世の中は動かない。
世の中が動かなければ研究が進まず病気の解明もそれに対するアクションも継続したものにならない。
声を上げている人たちはやがて活動を縮小し、または縮小せざるを得ず、結局のところ Neglect 見過ごされていく。

僕の対応していたスーダン紛争もそうともいえるかもしれない。
ワールドニュースから取り残され、日本ではあったことすら知らない人が大半だ。ウクライナもガザも確かに大きなインパクトがある。しかし紛争は世界中で起きていて、一概に比べることは難しいが規模にしても引けを取らないものもある。

感染症や暴力で誰一人取り残さないため、僕らに出来ることは何か。
ひとつ。
これらの病気をこれから発症しないように予防や感染したときの初動を適切に切れるかどうか。そう、ありきたりな文章に聞こえるだろう。
僕自身も予防が大事とはわかっていつつも、未来を見ずして実感が持てず予防活動している重要性が実感できないことがよくある。
しかし実際の患者の社会との距離を見た時、そしてそれが戻ることが限りなく難しい不可逆性のものだとまざまざと見せつけられた時、その重要さは緊張感を一気に増したのだった。

これらの病気自体は、アフリカの地では決して珍しい病気ではない。
治療がない訳でもない。
一人も取り残すことなく、生まれてから死ぬまで社会生活を送るために地域で取り組んでいるのを見ると、僕はたとえ自分のプロジェクトじゃなくとも応援したい気持ちでいっぱいになる。

活動の結果は今は見えない。
ただ、20年、30年という時を経て、
今の活動はその地域の人たちの未来を作る大事な一歩。
先へと必ずつながっている。
あなたの友達が物乞いにならずに済むように。
防げるものは防ぎ、無くせるものは無くしたい。

ふたつ。
誰かが声を上げ、ここだと手を振ること。
人々が注目し、何とかしようと動き、現場は事なきを得る。
今までの自身のnoteの記事でも何度も書いているが、僕に紛争は止められない。紛争は想像をはるかに超えた複雑さを感じる。
でも、僕らは医療者としてその地で活動することを認められ、僕が現地医療の為にそこで存在することが出来るのであれば、
僕が手を振る役になれるかもしれない。
皆にここだと手を振り目印になって注目を集め、この先、未来のアクションに期待したい。
それは決して他力本願なのではなく、僕に出来ることをし、そのバトンを次の人に渡すのだ。
あとは任せたぞ。そんな感じがいいのだと思う。
一人で長距離の全力疾走はできないが、十人がバトンをつなげばできるだけ早くゴールへたどり着くことができる。それは可能だと僕は信じている。
少しでも早く終息するためのバトンをつなぐこと。
それで救われる人が一人でも多くいるのであれば、僕は声を上げる役割として何度だって現地にいく。

No one left behind
僕が長崎で仲間たちと学んだこの志に
今一度 薪をくべ
僕らの志は さらに強く長く 燃え続ける

2018年 長崎大学熱帯医学研修での仲間たちと作ったTシャツ(当時の僕の後姿)
この頃NTDsを学んだ。それらを象徴したイラストが上下に入っている。
当時長大で一緒に学んだ仲間たちへ。共に国際医療を学び、そして互いの生き方について熱く語った日々を懐かしみながら、今の僕の活動が仲間たちに届けば嬉しい。あの時代があっての今があること、仲間への感謝とリスペクトを伝えたい。


※投稿内容は全て個人の見解です。
最後まで記事を読んでいただきありがとうございます!
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また次回お会いしましょう。
Best,
Tai

✎2024年より✎
2024年1月1日 能登半島地震で被災された皆様、1日も早い安心安全な日常への復旧を願うとともに災害に関わる医療者として自分に出来る形でのサポートを模索していこうと思います。
亡くなられた方々へのご冥福をお祈り申し上げます。
被災地への僕なりの形として、国内外の災害に精通する医療者として、日本の民間企業の災害支援事業をアドバイザーとしてサポートすることになりました。一般社団法人Nurse-Men のメンバーを中心といた民間の災害対策本部を設置し、中長期的な被災地支援を実施していきます。
ご支援いただけますと幸いです。

尚、ぼくの投稿は全文公開にしていますが、有料記事設定しています。
頂いた金額は2024年1年間は能登復興支援に活用させていただきます。
よろしくお願いします☺

「🏝Naluプロジェクト🏝」
みんなで応援し合える場所づくりとしてメンバーシップを立ち上げ運営しています。2024年で2年が経ちました!興味がある方は一緒にメンバーシップを盛り上げてくれると嬉しいです。

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