ぼくが「池袋駅のホームレスのおっちゃん」に差し入れをする、3つの合理的な理由。


こんな感じで、ぼくは池袋駅内や、駅前で寝ている「ちょっとしんどそうな人」を見かけたら、よほど急いでいないかぎりは差し入れをするようにしている。

暖かいお茶と、おにぎり1つ。300円以下で済む娯楽である。これはぼくの性癖なのだが、「じぶんの手元にある資源の価値をとにかく最大化したい」という欲望がつねにある。つまり、「300円をどう使えば、じぶんにとってその価値は最大化するのか」という考え方だ。

どんなモノであれ、価値を最大化する最も簡単でシンプルな方法は「それを熱烈に求めている人にあげちゃう」ということだ。タンスに使わない金を貯めた老いぼれは、それを具体的な仕様用途とともに熱烈にもとめている若者に金をあげるのが一番よい。タンスの脇に眠った100円だって、小学生からすれば宝にみえる。そういった簡単な原則がそこにはあるわけだ。

ぼくがホームレスのおっちゃんに差し入れをしている合理的な理由は、いくつかある。まずは、いま言ったように「彼らが熱烈にそれを求めている」ということだ。ぼくよりも彼らにとってのほうが300円の価値が高い。

ただ、それだけであれば駅前でアフリカの子供たちに送る募金を募っている大学生のほうが倍率はいい。向こうとは物価も情勢もまったく違うから、当然である。

ただ、池袋のホームレスのおっちゃんに差し入れをするメリットは他にもある。複合的な理由で、ぼくはアフリカの子供たちに支援することよりもホームレスのおっちゃんに差し入れをしている。

その合理的な理由のひとつは「じぶんが池袋西口で生活することになったときのための投資」である。これは年金やidecoなんかよりも、ずっと効果的で、低コストな投資だ。

もしかしたら、池袋のホームレスのおっちゃんに差し入れをし続けることで、じぶんがそこで生活するようになった場合に優しくしてくれるかもしれない。「あ、お前はあのときの」というシチュエーションは容易に想像できる。

一般的に、比較的暖かい寝床スポットとか、「ここは摘発されない」というような極秘スポットなど、ああいった"会員制クラブ"に侵入するのにはかなりの信頼関係と、それを構成するための時間が必要になる。いちどオーストリアで難民をしていたころにこの身を持って痛感したことだ。そういった理由でも、じぶんにとって300円が「たった300円」であるうちに、彼らに差し入れという名の投資をしておくのは合理的である。

まだある。このnoteという媒体では「300円で記事が買える」ような仕組みがあるが、そこにある記事も「うお、これは当たりだ」と思えるようなものは少ない。つまり、金で買える面白いネタというのも中々見つけづらくなっている。そこで、ホームレスのおっちゃんである。彼らにはここまで壮絶な人生がある。それを毎回はなしてくれるとは限らないが、先にのべた合理性が存在することと同時に、3回に1回くらいの頻度では面白いはなしが聞ける。つまり、「良質で安価な有料note」としてもホームレスのおっちゃんに差し入れは機能する。300円でここまで買えるのだ。安すぎる。

きっとまだメリットはあるが(徳が積めるとか?)、ぼくは少なくともこの3つの理由によって、ホームレスのおっちゃんに差し入れをしている。もはや日課だ。じぶんの手元にあればただなんの価値も残さず消えていくだけの300円が、大いに有効な姿になって目の前で消費される光景は、興奮するものがある。いちどやってみてほしい。おトクだよ。

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