「すべて受け入れて、生きていく」ということ。失われた自律神経と、精神の可塑性について。しょうがない、という意思決定。
まえがき
低気圧で死んでいた。昨日からぐったりとしており、なんとなくダラついていた。そういえば、と思って調べてみると、やはり低気圧。どこまで行っても追いかけてくる。どれだけ健康的な生活に徹していても、忍んでやってくる。抗う術はあるかもしれないが、逃れる方法は「タイに移住」しかない。極端すぎるだろ。障害者の人生は。
今回は精神障害者として「すべて受け入れて、生きていく」ということについて書く。自律神経失調症と、うつ病の合併に苦しんだ学生時代(というか、不登校時代?)を振り返りながら。これは、強い意思決定の話。覚悟の文書である。
ここは思考のゴミ捨て場。ここにあるのはすべてゴミ。僕にとっての。けれど、誰かにとっては光るものがあるかもしれない。だから、捨てていく。勝手に拾って、勝手に持っていけ。
これで、生きていくしかないんだ。
多くの選択肢を持つことを、多くの人は「幸福である」と言う。けれども、ときに選択肢は人を苦しめる。まだ他にあるかもしれない、もっといいものがあるかもしれない。そうして、「今あるものを受け入れる」という唯一の選択肢を取れない。取れないまま、ずるずると生きてしまう。
これで生きていくしかないんだ。そう思うことは、必ずしも「不幸」ではないように思える。あきらめること。これは「しょうがない」という意思決定だ。意思決定さえ済んでしまえば、あとはやるだけ。やるだけでいいのだから、それ以上に気楽なことはない。
思うに、僕は「あきらめる」。これをやってから、視界がクリアになってきた人生だったように思う。あきらめること。しょうがない、をやること。やれないことを知ること。それは、やれることを見つめることでもある。
「不安定であること」を見つめる。
一つをじっと見つめると、それがゲシュタルト崩壊してくる。見つめることで、壊すことができる。これまでは「奴隷の足枷」であったものが、だんだん「お洒落なアクセサリー」と見分けがつかなくなってくる。ここまでいくんだ。
「不安定であること」を見つめる。精神は可塑性があり、ねじ曲がった後に固定される。固定された精神は、そこになにか付け加えることはできても、「あの頃」に戻ることはない。遅かれ早かれ、変わっていく。そのスピードを加速させたこと。その代償。
最初は、そこに固執してしまうかもしれない。あの頃に戻りたい、まだ「曲がっていなかった頃」に戻りたい、戻れるかもしれない、きっとそうだ。そう信じてやまない時期が誰にでもある。が、それはない。戻らない。それが精神の不可逆性。壊れたものは戻らない。
だからこそ、選択肢を放棄する。選べない。それでいい。それしかメニューがないんだから、あきらめるしかない。そいつを喰らうしかない。あきらめるとは意思決定。あきらめることでしか、前には進めないのだから。
どう前に進めばいいのか?
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