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人に奢られることを生業とし、4000人以上に奢られ、Twitter・TikTokでは、それぞれ100,000人以上のフォロワーを持つ、稀代の浮浪者(?)である「プロ奢ラレヤー」の「生の声が聞ける唯一の有料マガジン」をご紹介します。 購読者の特典 ▼契約月に更新された マガジン記事すべて読み放題 ▼読書サークルへの参加権。 現在、主に4つの連載があります。 (更新頻度は気分ですので、 毎月必ず連載があるわけではありません。) 1.「奢ログ プロ奢ラ
対談:「ぷろおご×伊予柑の大預言」の書き起こしをお送りします。 大預言を読む こちらは対談を加筆編集したものです。 前回までの大預言 嫌なことでも案外、誰かと一緒ならたのしい。だから、あなたがほんとうに嫌なのは、一緒に苦しんでくれる誰かがいないことなんじゃないの?というのが前回のお話でした。 今回は、新自由主義とネタバレについてお送りします。わたしたちはなにを得て、なにを失い、そしてなにを求めているのでしょうか。 ◾️前回記事はこちら 名づけようのない関係性を強制
ほんとうに思ってることを思ったまま口にしても、なんにも伝わらなくて絶望する。でも、それって、希望でもあるし、なんなら、希望でしかない気もしてきた。
すばらしい人生をあゆみたい、とおもったこともあった。でも、うーん、なんとなくだけど、ちょっと違うのかもしれない、ともおもってきた。 そして今は、確信している。希望の光を追い求めて走っていくより、絶望の闇のなかで笑っていたい。
だけどね、ガッカリしなくたって、いいんだよ。
週刊スラムは読書サークル三ツ星スラムの機関紙として、スラム内トピックスをお届けしております。 大預言を読む こちらは対談を加筆編集したものです。 実際の対談動画は木曜の読書会で配信されています。
きみが絶望的な状況にあるとき、むしろこう考えるんだ。もっと、もっと。もっと絶望を深めちゃえばいいんだ、って。
「こんな残酷なせかいには、生きる希望なんてない」だって?ハハ、なにを言うんだよ。その残酷なせかいこそ、生きる希望になるのさ。
絶望のない人生はないのだけれど、「絶望の苦しみのない人生」はある。 あと、こういう種の絶望へのアンサー的な。 天邪鬼なので、『ロープにぶら下がって身長を伸ばすために言葉で転がしてくれる方』を募集しているひとに、その逆を提供してしまいます。 勘違いするな。お前を救うつもりはない。救えるとも思わない。ただ、「似たような境遇にあるひと」の群に、ひとつの「さらなる絶望への地図」を提供することで、勝手に救われるやつが1人、2人いたらいいな、と思うだけだ。 人を救うことはできない
絶望ソムリエとしては、また見逃せない話が流れてきた。 ぼくはよく奢られる浮浪者なので、業界の裏情報をたくさん持っている立場を活かして、思うことをツラツラと書く。 そのままやっていこう。壊れたままで。 もくじ_____ 『ぷろおごマガジン』は、「月1時間の余暇」を浮浪者のくだらない戯言に払える「大人」向けです。物好きはどうぞ。読者限定のコミュニティ(三ツ星スラムのゴミ捨て場)もあります。 詳しくは↓から。 https://note.com/taichinakaji/
孤独な人生をやっていこう、という話をします。 絶望の克服法について考えます。 もくじ_____ 『ぷろおごマガジン』は、「月1時間の余暇」を浮浪者のくだらない戯言に払える「大人」向けです。物好きはどうぞ。読者限定のコミュニティ(三ツ星スラムのゴミ捨て場)もあります。 詳しくは↓から。 https://note.com/taichinakaji/n/n944b0d7e538a?magazine_key=m171fe652c7ea _________
見ず知らずの他人を刺したり焼いたりして救われる程度の絶望なら、お前をそんなに苦しめたりしないんだよ。お前の絶望は、そんなに浅いもんじゃないだろ。いいか、安く救われるなよ。ちゃんと絶望しよう。そのグチャグチャの臓器を、一緒に見よう。だからそこから、けして目を逸らすな。 ↑のつづき もくじ_____ 『ぷろおごマガジン』は、「月1時間の余暇」を浮浪者のくだらない戯言に払える「大人」向けです。物好きはどうぞ。読者限定のコミュニティ(三ツ星スラムのゴミ捨て場)もあります。 詳
本文は最後まで無料です。オマケがあります。 _________ 希望とは、読みたい本があることだ。鑑賞したい映画があることだ。話したい相手がいることだ。それは、自分の絶望が「自分の絶望」でないことを感じさせるものだからだ。 僕は以前、希望について、こう書いたけれど。 つまり、希望とは「広がり」と「繋がり」なのだ。 「今日から明日へ」という時間の広がり、繋がり。あるいは、「この本からあの本へ」という広がり、繋がり。「この作品からあの作品へ」。「この人からあの人へ」。そ
「諦める」とは、絶望に絶望をすることだ。どうにもならないように思えて仕方ないことを、身体の芯で「どうにもならない」と捉えられるようになることだ。「死にたい」と思ったことは、きっとあるだろう。でも、死んでもどうにもならないことに気づいたとき、それに納得したとき、死ぬことを諦めて、生きていく痛みを諦めて、そして、少なくとも、ここで会うまでは、生きてくることができたんじゃないだろうか。 どうにもならないことによる絶望は、「どうにもならないんだな」と納得することによる絶望で、中和さ