【シドニー通信】沖縄のために
今朝は目が覚めてすぐに、NYに住むウチナンチュの友人からのメッセージで1日が始まった。首里城が焼けるなんて想像を絶する事なので、返す言葉が見つからなかった。1日を終えようとしている中、いろんな思いがドシっと来るので整理して眠りにつきたい。
首里(しゅり)といえば、沖縄県民にとって、とてもスペシャルな場所。首里生まれの人を沖縄では「首里んちゅ」という。
そんな「首里んちゅ」の友人と会う度、近所に住んでいて、去年亡くなったオバァはロン毛の僕に「髪の毛、美容室でシャンプーして行きなさい」「新しい靴で行きなさい」とうるさく言い、「恥ずかしくないように」とお小遣いまでくれた。「首里んちゅ」が家に来ると、お土産まで持たせ、最高に持て成していたし、オバァ(日本人になりきれない世代)にとって琉球王国の大都「首里」が憧れの場所ということを幼い頃から感じていた。
大人になってからも、「首里んちゅ」の友人に連れって行ってもらうビストロや、家族で行く創作琉球料理屋さん。首里と縁ができる度、誇らしい気持ちになり、首里城の鮮やかな朱色と青い空のグラデーションを前に、背筋が自然と伸びる時、自分が琉球人である事を実感する。そんな場所。
シドニーには不思議と沖縄を感じるスポットがいくつある。過ぎた8月僕は誕生日を迎え、オーストラリアで「衣食住」どれも満足に毎日を過ごせている事にとても感謝した。そして、生まれて初めて「今年からは人のために何か始めたい」と心底思い、まずは、少額だけど、アーティストとして得た収入合計「3万円程」を全て寄付してみた。どのように記事にしていいのかわからず、ずっと放置していたけど、色々考えた結果、今も、2週間に1度、沖縄のフードバンクに寄付とお米を送る事にしている。自分が最高にハッピーで余裕がある分、まずは、お腹を空かせた沖縄の人達が減っていけば、、、と願っている。
ちょうどアーティスト活動を初めて今月で1年目。こうやって毎朝、好きなコーヒーを飲み、ヨガをし、気が向いたら曲作りという生活をしているので、おじさんになっても、きっと色んな国を訪れては、マイペースにこの感じだと思う。「ビジネスして一攫千金!!」なんて事も定期的に頭をよぎるし、呑気に「シドニー通信」なんか書いているけど、やっぱりシンプルにここまで好き勝手やってきた音楽を僕は続けて「沖縄がピンチの時に何かすぐに行動が起こせる」そういう人を目指したいと思った。今は僕が声をあげたところで何かが始まるわけでもなく、情報を待っているだけで何もできずに本当に悔しい。
同時に、一人で気楽な日々もいいけど、これからの人生、残された時間、本当に好きな人達と少しでも多くの時間を過ごしていきたいし、そう思える人達に出会いたいと思った。
当たり前にあった「首里城」が燃えてしまった事は受け入れられないし、信じられない。こんな風に「首里城」を通して自分の事を考える日が来るとも思っていなかった。僕みたい人間は、あんまり、自分の為には頑張れないけど、生きてる間に、また「首里城」に会えるように、今日からは少しだけ頑張る。