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展示のこと(7)「綴じ」

そろそろこの「展示のこと」もおしまいにしようかなと。
書こうと思うとどこまでもあふれ出てきてしまう。
そのとめどない流れはとても気持ちがよく、その水にどっぷりと浸ってばかりいると、それはいつしか「郷愁」というやつに変わって、僕の変化を固定してしまうからだ。

今回の展示では店主の百瀬さんの等価なまなざしに救われ、みきさんのホスピタリティーに救われ、見ていただけたお客さんの言葉やまなざしに救われ、最初から「自分のための展示」と割り切っていたとしても、こんなにも自分自身が救われるとは思っていなかった。こんなことがあっていいのか、と2週目ぐらいは恐縮していました。

ただただ皆さまに感謝するしかない展示でした。
この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。
作品たちもきっとよろこんでいることでしょう。

当初は「意味のわからない作品を『意味が分かりません』と宣言する展示」であったため、どうなることやらと幸先悪い予感しかなかったため、かなりの覚悟をしていました。
そんなものは杞憂でしかなく、「伝わる/伝える」の壁を軽々と越えてそんな不安はどこ吹く風。
そんな壁を越えた先には「感染」があり、見る人を巻き込みはじめました。
はじめましての方ともずっと話していられる。なにか言語を超えたその先みたいなところでつながる感覚を持ちました。

自分で作っておきながら「芸術」というもののチカラを目の当たりにしました。すさまじいチカラです。

そうゆういみでさくらももこ氏の「神のちから」を選書したのかな?とも。

最終日2日前、展示場所の電球がちらちらと瞬いていた。もうすぐ終わりだし明日の最終日にふさわしい演出を「この場所」がはじめたな、と思っていた。
最終日、その電球は息を吹き返し燦燦と光り輝いていた。交換されたのか、はたまた電球そのものが息を吹き返したのかわからないが、「あー、終わりではないということね」となにかお告げみたいなものをいただいた気分。
場の声に耳を傾けながら時を過ごす。
そんな最終日になりました。

皆々さまありがとうございました。
これにて私はしばらく潜伏しますが、insta、noteなどでの投稿は引き続き行ってまいります。
よろしくおねがいします。
また展示の際はこのアカウントでご報告させていただきます。

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堀太一
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