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専門外


野球の大谷さんという方がすごいらしい。
で、将棋では藤井さんという方がすごいらしい。

でも、私は野球のことも将棋のこともよく知らないので、なにがすごいのか全くわからない。なんかつやつやした男たちだな、くらいのまなざしで見ている。
50・50とニュースで行っているが、門外漢の私からするといくら説明されても「引き分けなの?」くらいの認識しかなく、申し訳ないくらい何がすごいのかわからないのだ。

あまりにもすごさがわからないので、誰かにこの話題を振られても
「すいません、専門外なので…」としか言えず、これからどう生きていこうか悩んでいる。いっそ専門家になっても良いんだろうけど、あまりにも興味が無いので、それはそれで悩んでいる。

世の中、ニュースで取り上げられるものはだいたい専門の方が多いものが取り上げられる。経済や政治の話が薄くなってしまうのも仕方がない。
スポーツ観戦と言えば、会場が埋め尽くされる。ノイズミュージックの業界が武道館ライブをやって、会場を埋め尽くされることなどありえない。

陶芸で偉業は無いのか?と聞かれたことがあるが、「人間国宝」くらいしかなく、つやつやした若い頃になれるものでもなく、映像としては映えないだろう。せいぜい日曜美術館で取り上げるくらいが精いっぱいだろう。

しかし、偉業というのもよくわからないもので、例えば科学や医学の分野においてペニシリンの発見だとか、放射線の発見だとか、特殊相対性理論の構築だとか、人類に多大な影響を与えたものが偉業と言われるならばまだ理解はたやすい。
それこそ日常的にそれらの恩恵を受けているからだ。

はて、スポーツは?というと、確かに勇気を与えたり、団結力を与えたり、人間の身体の可能性などがあるのだろう。
だけれども、報道される内容はその偉業の成果のみであり、そもそもその成果のすごさがわからない私にとっては全く意味のない内容となってしまっている。
しかし、そんな私でも唯一興味のあるスポーツ選手がいる。「イチロー」と呼ばれている人である。もちろん私には彼がどのような功績を打ち立て、なにをした人なのか全くわかっていない。
でも、だんだんと選手活動が減っていく中で、彼が自身のことについて語っている映像が多く世に出てくるようになってきた。
そこで話しているのを聞いていると、だんだんと「意識の身体化」がテーマにあるように見えてきてものすごく頭の良い人なんだと思った。日常を慌ただしく生きているとあまり感じられないが、例えば踊るなどの行為においても、絵を描くという行為においても、「いま描く」ということのみに意識を持っていくような感覚がある。そして、その出来たものを見て何かに気づき、つぎの制作を行う、という、その繰り返しである。

イチローさんのお話を聞いていて、この方はこれをスポーツでやっていたんだな、と思った。
野球に全く興味のない私でも、彼のたたずまいやバットを振るという行為もどこか美しさを感じていた。踊っているようだな、と。
そう思う理由がやっとわかってきた。

たしかに優れた職人の技というか、制作風景は指先から足先まで身体の全部に神経が行き届いているように見え、それは全く無駄がなく大変美しい。

最近、意識の数理モデルについて研究している津田一郎さんという方の話を聞いた。YouTubeに映像があったのを見た。それを聞いていると、意識というのは複雑だけれども秩序があるという。それは「行動→知覚→気づき」の連鎖によってだんだんと意識化されていくという。
方程式は決まっているが少しの初期値の変化で、後の結果は大きく変わるらしい。
ということは、練習というのも行動が伴うが、行動だけではダメで、それをまず知覚し、知覚したものから何を気づけるかということで大きく変わってくることが重要なのだろう。そして次の練習(行動)をする。

私は芸術とは「無駄の宝庫」みたいなものだと思っているので、ちょっとベクトルが違うな、と感じているが、工作活動という点では興味深く聞いていた。

こんなふうにスポーツも見せてくれれば、私も興味を持てるのだけど、世の中は功績や偉業が大事なようなので、未来永劫、私がスポーツに興味を持てる日が来ることはないだろう。
とりあえずスポーツの話題は「専門外だもんで」とでも言うことにしておこうと思う。

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堀太一
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