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「優越感」から考える評価経済社会。

評価経済社会とは、岡田斗司夫氏によって提唱されたもので、評価が通貨のような役割を果たして社会に流通する状態のことを指します。
今回は、「優越感」というキーワードを軸に評価経済を考えてみようと思います。

優越感を追い求める生物。

まず、私の考えでは、人間は優越感を感じることを目的としています。つまり、人より自分が優れていることを示そうとすることでもあります。これは、生物学的に見てみると分かりやすいかと思います。男としての僕の経験では、小学校では足の速さを、中学校では身長を、高校では学力を競い合います。

この、「人間は優越感を求める」という前提のもと、貨幣経済から評価経済への変化を見ていきましょう。

貨幣経済の終焉。

貨幣経済の時代、当然ながら「お金」を仲介してモノやサービスがやり取りされます。そのゆえ、お金を持つ人が価値があるとされました。
さて、ここで一つの疑問が生まれます。なぜ、お金を持っていると価値があるのか。
それは、お金を使って物を買うことで、その物の価値を個人に投影するからです。「あの人は高級車に乗っているから金持ちなんだ」とか、「あの時計って何百万円もするやつだよね」とか。所有している物を基準として、その人の価値を推し量っているんです。

ところがここには問題があります。物を基準にするは曖昧だということです。また、最近では安くて高品質のものが溢れるようになり、所有物による貧富の差がなくなってきました。

評価経済の権化。

ここで、決定的とも言える変化があらわれます。SNSの登場です。僕らが普段から使っている、FacebookやInstagram、Xに代表されるアレです。
何がそんなに変化をもたらしたのでしょうか。

僕らがSNSで誰かの人気や価値知るときを、ある数字を基準にしています。フォロワー数やいいね数です。SNSの登場によって、人間の価値は全てこれらの数字によって比べられることになりました。これが評価経済のはじまりなのです。

明確で比べやすいSNSのフォロワー数やいいね数は、人々をいっそう優越感の獲得へと駆り立てました。そして人々、特に若者を中心に評価経済が浸透していきます。一度、評価経済に足を踏み入れた人は、もう曖昧で比べにくい貨幣経済に戻ることはありません。そしてこれからも、貨幣経済から評価経済への移行は今までよりも速度を増して進んでいくのではないかと考えられます。

数字で人間は表せるか。

いかがだったでしょうか。こうやって見てみると、現在起きている現象も簡単に説明ができます。若者の〇〇離れが起こっているのは、自分の価値を示す手段が変化したからです。そして、幸福度が低かったり自殺者が増えているのも、SNSの数字ゲームによって自分の価値がないと思い込んでしまったからと考えられます。

「万物は数なり」古代ギリシャの数学者で哲学者のピタゴラスはこう言った。本当だろうか?
世界は相変わらずデジタル化が進み、それに伴って僕たちの思考も0か1かのデジタル的なものになってしまっています。数字で明確にすることによって便利になることもあります。しかし、数字で表せるものだけを取り出して、それが全てかのように思い込むのは危険ではないでしょうか。

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