フォーカス理論2〜イメージの共有化〜
フォーカス理論、第2番目の論考は「イメージの共有化」である。
人間は「何のために生きる」のだろうか。
その解は、人により様々だろう。そして「何のために死ぬのか」にも幾つもの答えがあるだろう。
その先はどうだろうか。
私たちは、いつか「死」を迎える。
「死を迎えたあと、何処にいくのか」。
その答えをもたらすのが、宗教であり文化である。
私たちが宗教に求めるのは、良き人生の処世術である。「この人生でどれだけ努力したのか」。「この世で評価されなくてもあの世で報いられる」。そう信じて努力を続けることは、生きる上で非常に重要である。
そして、もう一つ重要なのは「あの世の世界観」である。
もし、あなたが仏教徒なら「極楽」や「地獄」へ行く。キリスト教徒なら「天国」や「冥界」へ行く。それは、各宗教が「あの世」を創り出しているからだ。無宗教であの世のイメージがなければ、何処へも行くことはできない。魂は失われる。ロストしてしまう。
これが「イメージの共有化」だ。「共有されたイメージ」があの世を生み出す。人々の想念の塊が「あの世を生み出す」のだ。
「あの世」に行けるのは、そのイメージがあるからである。だから、多くの宗教では、死を怖れない。あの世に行けると信じているからである。
だから、現代の無宗教の問題は「共有されるべきあの世」のイメージを多くの人が持ち得ない、という点にある。極論を言うならば、宗教は仏教でもキリスト教でも良いのだ。それは宗教が「あの世」を用意してくれるからである。
宗教によって、多くの人が「あの世」にフォーカスする。
それはあの世を創り出すとともに、その人の魂の行方を決める。
それが「現世を豊かにする」と言えるのではないだろうか。
(結)
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