【独学の種類】設計されたインディペンデントはメジャーより強い
無計画な独学が成果になる可能性は、もう無い。しかし設計が正しければ、“無駄”をも価値化できる。このトピックでは、「信じるための検証方法」を、知ることができる。ただ目の前のチャンスに依存してきたがどうやら人生はこのまま向上せずに終わると気付いたアーティストの、ために書く。
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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 無駄を設計すれば価値化できる 』
無計画は、無駄である。
一方で、“無駄”という存在を徹底的に検証、分解して再構築し、価値化することに成功する人々がいる。無駄は設計を経て、「作品」となる
アーティストが注目するテーマはともすれば誰にも観向きされない些細な断片であるわけだが、そこに可能性を信じることで、未来が動き出す。
アーティストが無価値な断片に未来を信じるように、まったく無名の自称アーティストのなかの“本物”を見抜き、信じる人々も存在する。
そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。
■ 最新国際ニュース:インディペンデントのアーティスト作品を紹介してきたギャラリーが閉店へ
ドイツで愛されてきた「Delmes & Zander」が閉店する。独学で制作したアートを最先端で紹介することで知られるこのドイツのギャラリーは、30年以上の歴史を持ち、その間に、まだ規範となっていないアーティストに焦点を当てたオフビートな展示でカルト的な人気を博してきた。
Delmes & Zanderのオーナーであるニコル デルメスとスザンネ ザンダーはギャラリーの閉鎖を発表し、「社会の進歩は常に脆弱なものですが、時代は変わり、私たちのアーティストの作品が現代美術の文脈の中で居場所を見つけられたことを嬉しく思います」と述べた。
このギャラリーが紹介したアーティストらは近年、大規模な美術館での展示を行い、多くの展覧会が批評家から賞賛されている。
しかし、時には、アートとは思えないような展示もあった。“あるビジネスマンとその秘書の関係にまつわる資料を集めた展覧会”などです。にもかかわらずこの展覧会をニューヨークのオルタナティブ スペースであるWhite Columnsで開催したところ、JezebelやHuffPostなどのアート以外の媒体でも紹介される公表となった。
ホワイト コラムズのディレクターであるマシュー ヒッグス氏は、「Delmes & Zander」の活動について、「どの時代においても、最も重要で、特異で、真に影響力のあるプログラムの一つでした。彼らは非常に惜しまれています。」 と述べた。
一時は本拠地のケルンに加えてベルリンにもスペースを構えていた。彼らは決して市場の好みに左右されないアートに重点を置き、業界に成果をもたらした。 - SEPTEMBER 29, 2021 ARTnews -
『 ニュースのよみかた: 』
インディペンデントの支援ギャラリーが幕を閉じる。ここからメジャーへと巣立ったアーティストは多く、その活動ルールはマーケットの流行に左右されない、という記事。
映画館で言うところの名画座や小劇場などもそうだが、この手の支援者が時間を止めるという記事には、胸が締め付けられる。彼らの覚悟なくして現在の成功は無かったであろう成功者のアーティストたちにおいてはひとしおだろう。
最大の敬意をこめて、親愛を伝えたい。
『 正しい独学は、独りでは行えない 』
ときにアーティストが孤独を選ぶのは、“過程に口出し”されることを恐れるためだ。まだ形になっていない可能性の断片は他者を説得するには心許ない姿であることが多い。その“断片”の未来を信じたアーティストが正しい可能性にたどり着くためには必ず、支援者が必要になる。
アーティストの独学は、単身では行えないのだ。
口出しされればアーティスト自身すらも信じる力を失ってしまうかも知れないしかし、“口出ししない支援者”は存在する。アーティストの貴方が断片を作品へと昇華するように支援者は、自称アーティストの“本質”を世に示す。
恐れる気持ちは判る、そこまでの労が無駄になる瞬間を避けたいのは当然だしかし、「支援者」をみつけねばならない。
諦めない、と決めて、語り続けることだ。
作品完成の瞬間を想えば、脳内に籠もったアーティスト本人には作品を世界中に知らしめる力が無いこと、想像に難しくは無いだろう。
作品は、支援者と共に創るべきだ。
あなたを信じ、口出ししない支援者は、いる。
『 無駄を価値化する“信じる力”とは 』
どんな作品もアーティストももともとは、妄言と無価値な人間であった。しかし誰かの信じる心と語り続ける勇気が支援者を生み、「作品」を生み、それが世界への価値ある問いとなる。
まるでここ「アーティスト情報局」が否定している、再現性の無い自己啓発のようだ。だがこれ、妄言では無い。映画で描かれる偉人たちは未来の成功を信じ、ネガティヴな運命をはねつけて成功を手にする。あれは嘘だ。
映画業界に生きて35年のわたしが出逢ってきた大勢の成功者たち、無名から一夜にしてスターになったアーティストたちには少なくとも、そんな自信家は独りとして存在しない。彼らは一様に臆病で排他的でしかも、生き方に不器用な鈍感であった。器用で温厚で成功を信じていた者を、噂にも聞いたことが無い。
成功法則には再現性は無く、しかしルールがある。「信じている」ということだ。矛盾に似たこの奇妙な感覚を、楽しんで欲しい。
彼らは自らが成功していないことに苛立ち、評価しない世界を呪い、“作品化”するべき小さなテーマを疑いながらしかし、他の活動を選べないほどに不器用で、それでも目の前の学びを続ける程度には世に鈍感であった。
彼らは成功を信じるのでは無く、世界中の自分以外の全員が馬鹿だ、と信じていたと言える。自分の活動こそが正解なのだ、と信じる力が強いのだ。無駄を価値化して自身を成功に導くための方法とは、世界と常識こそが間違えている、と想いこむことなのかも知れないのだ。
自分探しの旅をする、“自分を疑うタイプ”に、成功は似合わない。
『 設計するインディペンデント 』
アーティストはとかく、自身の感覚を優先する。いわゆる“勘に頼る”傾向にある。だが確信への裏付けは無く、感情で相手をねじ伏せようとする幼さを捨てない。それはもう世界中、変わらない。30年もすれば“アーティスト”というのはタコと同様、人類に合致しない異種生物だと判明するに違いない。
ならばこそ、正しく生きる必要がある。
社会の路を外れているのだから、立派な人類の迷惑にならないように“正しく外れる”べきである。それを、設計という。
インディペンデントは砂漠を行く遭難者のごとし、基本は死。ならば生存可能性を高める設計を重視すべきだ。成功など、夢に観るのもおこがましい。
インディペンデントの設計は、「捨てる」ことに終始する。
人生の可能性をどれだけ多く捨て去ることができるかがそのまま、作品への注力を強化させる。呼吸や食程度を維持できれば、睡眠や健康くらいは捨てられるはずだ。ボロボロのアーティストは、作品への良いスパイスになる。
正しい設計で支援者との“独学”を突き進むインディペンデントは、会社員クリエイターよりも強い。図らずも、歴史が証明している。
『 編集後記:』
若い頃の媚びはビビりだが、老いた媚びは優しさだと知った。若さは観客の反応を恐れるが、ジジイは創作表現に恐怖がない。実行力は増しており、精神的な余裕は増すばかり。
だとしてだ、
どうしてわたしは毎回、出汁を煮過ぎるのか、塩みを強めすぎるのか、青菜に火を通しすぎるのか。目の前のレシピを疑い、あとちょっとだけ、の余計な実行力と鈍感さがまた、だらしない料理を生む。“あと少し足りない”を選べる格好良さに憧れながら、盛り付けに気持ちが入らない味を食す。
徹底的なこだわりが観客の意思を無視する恐怖を感じながら、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。