国際人形演劇祭inエアランゲン
5月24日
21. Internationals figuren.theater .festival 2019
国際人形演劇祭がはじまった。人形劇といっても、人形を使った演劇だけではなく、物を使ったオブジェクトシアター、独特の空間を演出したインスタレーション、町という舞台を用いたストリート演劇など、何でもありの演劇祭である。エアランゲンにこの演劇祭があることは、エアランゲンに来てから知った。エアランゲンは人口10万人ほどの町で、いくつか劇場はあるものの、国際的なフェスティバルがあるなんて思っていなかった。どうしてこんな小さな町で?とも思ったが、こんな小さな町だからこそ、かもしれない。
SOL
コンセプト&デザイン:Kurt Hentschläger
Kurt HentschlägerによるSOLという作品は、エアランゲンの土地柄をうまく利用している作品だと思った。パンフレットによれば、彼は2009年にもこの演劇祭に参加していたそうだ。そのときには、光や煙を駆使して、完全に方向感覚の失った状態(in absoluten Orientierungslosigkeit)をもたらしたという。今回の作品については、完全に真っ暗(in absoluten Dunkelheit)と書いてある。身を包む空間全体の効果によって、感覚的・身体的な経験をさせるインスタレーションが得意なようだ。
SOLというインスタレーションは、エアランゲンのBurgbergという場所につくられた。エアランゲンは昔、ビールの醸造で栄えた町だった。醸造されたビールは、山に掘ったトンネルで保管されていた。今ではその醸造所の数はかなり減ってしまったが、そうしたビールの歴史があることから、毎年6月にBerg(山)というビール祭が行われる。ビール祭が行われるのは、かつてビールを保存していた山の麓である。そこには、山の斜面に沿って、スタジアムの観客席のように、テラス席が並んでいる。演劇祭が終わるとすぐにビール祭になるので、ビール祭準備のために、何人かの男の人が、せっせと何やら運んでいた。
トンネルの隣に演劇祭の受付があった。パンフレットには16時から20時と書いてあったが、16時に開演するわけではない。この間であれば出入りが自由ということだった。チケットがなければ入ることができないが、それは入場料というだけではなく、人数制限のためでもある。限られた人数でこそ、楽しめる作品ということだった。
入場する際には、気温が8度のため、オプションで黒のパーカーを借りることができる。この日は夏日で薄着だったため、借りることにした。また、ケータイ電話は絶対に預けなければならないようだった。撮影禁止だからかと思ったが、その理由は入ってから実感することになった。
トンネルのなかを100メートル進んだ先に、インスタレーションがある。トンネル内はやはり、ひんやりとしていて、足の方がじわりと冷えてくる。道の片隅には、ビールや水などが並べられている。現在に掘られたトンネルではないので、ところどころボコボコしていて、壁面は漆喰のようなもので多少整えられているようだ。
しばらく歩くと、受付のようなものがあり、その先に暗い空間がある。受付の人によると、この先はかなり暗くなっていて、ほとんど見えない。赤い点のような光があるから、それを目印にすると着く。道は、右に行って、左に行って、また右に行くと言っていた。どのくらいあるのか分からなかった。このときはまだ、この作品の全体像が分からなかったので、不安が大きかった。
赤い光を頼りに進むが、ほとんど見えない。足を踏み入れると、360度何も見えないので、すでに方向感覚を失っている。なんとも心細い状態である。仕方がないので、壁を伝っていくことにした。しばらくは暗幕のような感触だったが、ある程度進んだところで、土のような感触になった。手を嗅いでみると、湿った土のにおいがする。一体どこまで続くのか。ひょっとしたら、本来のコースを外れて、本当は入ってはいけない場所に迷い込んでしまったのではないか。
視界の端に、赤の点以外の光を知覚していた。また、インスタレーションの音響であろう、にぶい電子音が身体中を覆っていた。この音さえ逃さなければ迷うことはない。そんなことを大真面目に考えていた。そこがすでにインスタレーションのメインルームだったと気が付いたのは、どのタイミングだったのか覚えていない。自分はまだ細い通路を進んでいると思っていたが、そこはすでに一定の広さを持つ空間だった。
トンネルというのは、暗順応が起こる隙もないほど真っ暗なのだと思った。ナイトウォーキングに参加したことがあるが、そのときは月明かりのおかげで、どこに誰がいるか、足元はどうなっているのか、がけっこう見て取れた。けれど、今は全く見えない。
どうやらSOLは、そんな完全に真っ暗の空間のなかで、時折、刹那的に光の映像が映るというインスタレーションのようである。その光は光の環だったり、光の線だったり、光の格子だったりするが、とにかく一瞬だけ。光ったと思って、次の光がいつ来るのか、タイミングが全く見えない。光ったその一瞬だけ、部屋の広さ、人の配置が分かる。光ったあと、網膜に光が残っているのか、暗順応しているかのように見える。光ったあと、人が動くと、網膜の映像と足音とにズレが生じるので、なんとも奇妙な体験である。
どれくらいその場にいたのか分からない。その場にいた間、光の形を見たり、部屋の全体像を把握しようとしたり、どんな人が観客として参加しているのか考えたりした。老夫婦の身を寄せ合っている影を見て、うらやましく思ったりした。
この作品、帰るときも大変である。後ろを向けば、赤い光が見える。そこに向かっていけばいいわけだが、ほかの観客のこともある。光るときに全体像を把握しつつ、ちょっとずつ出入口のところに戻る。
ここに来るまで、かなり苦労した印象だったが、帰りはあっけなかった。壁伝いにおそるおそる進んだ道は、光を遮断するためでしかなかった。おそらく、土に触れた時点でインスタレーションのなかに入っていたのだろう。狐に包まれた気分だった。
Cardiophone
アーティスト:Moran Duvshani
自分の内面(Inneres)を見つめるという一見ありきたりなテーマだが、そのために用意されたプロセスが独特でおもしろい。パンフレットの写真には、紙に開いた小さな穴で奏でるタイプのオルゴールが映っている。どうやら自分の心電図に沿ったメロディーを聞きながら、自分の心に寄り添うという体験型の作品のようだ。
この作品もまた、14時から19時と長時間だが、14時に開演して19時に終演するわけではない。14時から19時の間に予約したタイミングで20分ほどの上演に参加できる。会場はエアランゲンの町中にある教会で、その場でどの時間にするか予約する。てっきり数人のグループで参加するのかと思ったら、まるきり一人ずつのようだった。
教会の扉が開いて、呼ばれて、なかに入る。入口に入るとすぐに階段がある。その階段を登ると、踊り場にベッドが置かれていて、演者の一人がいる。受付の人もそうだったが、このチームはみんなオレンジの衣装をまとっている。教会というロケーションもあって、何かの教団のように見える。これから、ベッドに横になって心電図が取られる。両手首は大きな洗濯ばさみのようなもので挟まれ、おなかは水を撫でつけられたあと、吸盤のようなものを付けられた。心電図を測るためだ。教会の踊り場で心電図を測られているとは奇妙な状況である。
心電図が渡されると、次の階に進むように言われる。教会の二階の壁にはパイプオルガンがそびえている。その前に机が二つ並んでいて、その後ろにまたオレンジ色の衣装を身にまとった人がいる。机の上には、中世の機械のような見た目をした装置がある。なんてことはない、ただの穴あけパンチである。この人に心電図を渡すと、心電図の線に沿って穴をあけてくれる。後ろの方には、これまでに穴を開けられた心電図がピンに刺さされて飾りのようになっている。また、自分の目の前には小さな木箱がある。なかには赤いマーブルチョコが入っている。イスラエルのアーティストなので、イスラエル産のチョコである。
心電図にオルゴール用の厚紙を重ねて穴を開けていたらしい。今度はその厚紙を渡されて、また上の階へ行くように指示される。なんだか、診断書を携えて、いろんな検査を受ける健康診断のようだ。
階段を2階分上がると、そこは教会の屋根裏だった。この作品に参加しなかったら、こんな場所に入ることはなかっただろう。こういう町の空間を利用した作品だと、ただ生活しているだけでは入れない場所に入ることができるので楽しい。
暗い屋根裏部屋の真ん中にオレンジの衣装、その前にはオルゴールの木箱が置いてある。いよいよ自分の心臓のメロディーが聴けるというわけだ。オルゴールを回すスピードはかなりゆっくりで、雰囲気も相まって美しく聴こえた。心電図なので、楽譜は波のようになっている。と精度は低いので、波の部分は和音になり、それ以外の部分は同じ音の連続である。誰でも同じメロディーになるんじゃないかとも思ったが、あまり考えないことにした。
上演の工程はこれで終わりだ。しかし、受付に自分の心臓のメロディーを渡すと、その日の晩にパイプオルガンの伴奏付きで演奏してくれる。19時に開場で、コンサートの時間は30分ほど、参加者は30人ほどだった。パイプオルガンの伴奏と言っても、かなり前衛的な演奏だった。パイプオルガンの音は前から聴こえてくるときもあれば、後ろの方から聴こえてくるときもあって面白かった。渡した心臓のメロディーには名前が書かれていて、オルゴールにかけるときには、回す人によって名前が叫ばれた。今度は卒業式のようだった。
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